第一章
今回はどちらかと言えば短編になっています。では、最後までよろしくお願いします。
人はどんな夢を見ていたかなんて、大概起きたら思いだせないもので、夢とは元々そういう風にできているそうだ。脳が寝ている最中に記憶を整理する。それが夢の正体であり、誰しも経験があるだろうが、大体はありえない設定の中を彷徨う形式だろう。
今、俺は夢を見ていた。
いい加減な夢だ。
俺が死ぬという夢。
そんな訳はない、今もこうして……。
「パパ!」
俺は何か息苦しさを感じ、寝返りをうった。
「もう! いい加減起きないと遅刻するよ!」
これも夢だろうか。誰かが俺を揺さぶってくる。
「起きろぉ!」
あまりにも大きな声が俺の耳を通過し、鼓膜にダメージを与える。反動的に飛び起きると、何かが俺の上から転がり落ち、まだ半開きの目でそれを見た。
「い、いたぁ」
それはまだ身の丈一メートルほどしかない少女――というか、正真正銘俺の娘である花音だった。
「もう! パパは起きるたびに暴れすぎ!」
花音が髪を整えながらそう言った。パジャマ姿の俺とは違い、私服を着ていて髪も既にセットされている状態だった――と、考察している場合ではない事に気づき、俺は枕元にあるはずの目覚まし時計に手を伸ばした。
「夢だろ?」
時計は午前七時をさしていた。ちなみに、俺が会社に向かうために汗臭い満員電車に乗るのが、午前七時半。うちから駅まで大体歩いて十五分。
「まずい!」
俺は少し乱れたダブルベットから飛び降り、丁寧にかけてあったスーツを手にとった。
「パパ! ちゃんとご飯!」
無造作にスーツを着ると、部屋を飛び出してリビングへと向かう。扉を出た時の香ばしい匂いが朝食の存在を俺に知らせたが、堪能している時間はなさそうだ。
「あらあなた。ようやくお目覚めね」
我ながら社会人八年目にもなるとスーツを着るのも慣れるらしく、時計を見ると起きてからまだ三分しか経っていなかった。
俺はゆっくりと所定の位置に座ると、愛妻の由美がパンとスクランブルエッグとサラダがのった皿を俺の前に持ってきてくれた。
「はい、あなた」
コーヒーメーカーからカップを取ると、それを皿の横に置く。我ながらよく出来た妻だ。
「ありがとう、由美」
俺はそうとだけ言うと、一度姿勢を正した。
遅れて花音が俺の部屋から出てきて俺の隣に座る。テーブルを挟んで由美と、朝食を待ちわびていたであろう次女の風音がその時を今か今かと待っていた。
俺は手を合わせ――。
「いただきます」
『いただきます』
これはうちのルールだ。朝食はみんなでとる。至って簡単なルールではあるが、これが家族円満の秘訣だと、結婚する前に部長が教えてくれた事だった。
最初にジュースをがぶ飲みする幼稚園児の風音は、はしたないと由美に怒られ、それを見て俺はパンにかじりつきながらつけっぱなしのニュースを見る。
いつもの光景。
いつもの日常。
なんて平和なのだと心から思う。テレビの向こうでは、事件やらで世の中の悪い面ばかり報告されるも、谷川家は今日も平和だ。犯罪とは一切無縁だし、俺が二流の商社勤めだろうが、今はこんな三LDKのマンションに家族四人で楽しく暮らしている。これを幸せと呼ばずになんと言うのだろうか。
「ねぇパパ。そんなにゆっくりしてる時間あるの?」
隣で由美特製の麦茶を啜る花音が、俺を見る事なく告げてくる。俺はテーブルに置いた腕時計を見た。時間は七時十五分。
「やばっ!」
俺は慌ててコーヒーを喉に流し込むと、玄関へと走った。
玄関には綺麗に革靴と鞄、そしてゴミ袋が用意されていた。俺は靴べらを使いながら革靴を履き、鞄とゴミ袋を持った。
「あ、待って」
由美がエプロン姿で玄関に来る。俺はいつものように顎を上げた。
「ほら。いい加減ちゃんとネクタイ締めれるようにならないと」
「いいんだよ。これが日課なんだから」
「まったく!」
少しきつめに締めるのは、由美なりの報復なのだろう。だがそれすら俺にとっては微笑ましい。由美の後ろには小学生の花音と幼稚園児の風音が揃って見送りにくる。俺と由美はもういってらっしゃいのキスをする事はなかったが、夫婦仲は円満と言えよう。
「じゃぁ、いってきます」
『いってらっしゃい!』
毎朝この三人の見送りが、俺の一日のエネルギー源になっていた。それを考えたら、ちょっとのゴミ捨てくらい大した事ない。
俺は笑顔で手を振ると、ゆっくりとドアノブを回した。
夢を見ていた。
幸せな夢。
俺はそれを楽しいと思っていた。
いい夢だ。それが一生続けばいい。
だが、夢は起きたら忘れるもの。
でも俺は特殊だ。
この夢だけは、忘れる事はない。
「また……か」
目を開けると、広がるのは白い天井だった。見慣れた天井。いわゆる病室の天井だ。
「おはよ。京ちゃん」
首を左に動かすが、そこにはカーテンだけがあり、人の気配はなかった。
「こっちだよ」
声の聞こえる方へと、首を右に動かした。
そこには、高校の制服を着た由美の姿があった。
「お前、エプロンは?」
怪訝そうな顔を浮かべた由美は、一度考えるような素振りを見せると首をかしげた。
「また夢の話?」
あぁそうか。あれは夢か。
そして、これが現実。俺は入院していた。
「悪い。また夢を見ていたらしい」
夢と違い、由美はまだ高校二年生だった。幼なじみで同級生である俺も、勿論会社員なんかではなく、ただの高校生だ。一ヶ月前まではな。
丁度一ヶ月前。体育の授業中に倒れた俺は、この病院へと運ばれた。医者は長ったらしく色々話していたが、結局は白血病という病気なのだと静かに告げた。ドラマなどではよく聞く病名だが、現実になるといまいちピンとこない。つまり、血液中の白血球が少ないため、病気になっても対抗するすべもない裸同然の状態なのだという。だから、今の俺は風邪でさえ死ぬ可能性があるらしい。しかももうすでにヤバイ状態だと医者は言っていた。昔からバスケをやっていたせいか、身体の丈夫さだけは自信があったんだがな。
「今度、その夢の話。ちゃんと聞かせてね?」
「そうだな」
この現実世界の俺と由美は勿論結婚などしていなく、花音も風音も生まれていない。それどころか、この先俺たちが付き合う事すらないだろう。
余命一ヶ月。
それが医者に一ヶ月前つきつけられた宣告だった。俺の両親は泣き崩れ、それを聞いた由美も涙を流していた。だが不思議と俺は涙を流さなかった。現実味がなかったのだ。あの夢のせいで昔から夢と現実を混濁してしまう節があり、一ヶ月後に死ぬなんてのは到底信じられる事じゃなかった。
そして約束の一ヶ月は過ぎた。だがこの通りまだ生きてる。身体はもうあまり動かなくなってきたが、まだ心臓は動いてるし、声も発する事ができた。
昨日の検査では、生き延びているのが奇跡と言われ、あと一週間もてばいいと言われたが、あのやぶ医者め。絶対にその予知を崩してやる。
「気が向いたらでいいか?」
「うん」
由美は毎日学校に行く前と終わった後にお見舞いに来ていた。そう律儀に来なくていいとは言ってあるのだが、どうやら俺の事が心配らしい。
「悪い由美。水取ってもらえるか?」
「うん。いいよ」
俺は重い身体を上半身だけ起き上がらせた。由美の差し出した紙コップを手に取る――が、あまり力が入らなく、それをベッドの上に落としてしまった。
「わ、悪い」
「ううん。大丈夫。今拭くもの持ってくるね」
由美は備え付けの棚へと向かい、その中からタオルを持ってくると水に濡れた布団を叩くように拭いた。
もうだいぶ力が入らなくなってきた。さっきは威勢のいい事を言ったが、自分でも分かる。そろそろ限界だった。
「ありがとな由美」
「う、ううん。大丈夫だから」
一生懸命布団から水分を抜き取る由美を見て、俺は情けなくなる。もう、人に頼らないとこぼした水さえも拭けないのか……。
「そろそろ時間だろ?」
「うん。じゃぁ私、もう行くね? あ、あとそこに課題があるからちゃんとやっておくように!」
そう言って病室から出て行った由美を見送ってから、俺はベッドの横に置かれていた紙の束に手を伸ばした。
並べられた数字を見て、元々頭の悪い俺が解けるはずもなく無造作にそれらを置いた。それに、もう鉛筆を持つ自信すら俺にはないのだ。
だから、俺はまた眠る事にする。
何もかもが幸せなあの夢を見るために……。
ゆっくりと重い瞼を上げた。そこにはあの白い病室の天井はなく、去年購入した俺たちの自宅マンションの扉があった。よかった。また俺はこの夢に戻ってきたのだ。人によっては死を目前にした現実逃避だという人もいるかもしれないが、俺はそれでも一向に構わなかった。
この世界はとても心地が良い。夢だから当たり前なのだろうが、この扉の向こうでは笑顔で家族が迎えてくれるのだから。
「ただいま」
この一言には色々な意味がこもっている。扉は手をかけるとすんなりと開いた。
「おかえり」
しかし、そこで待っていたのは俺の望んだ家族の笑顔ではなかった。
「なにしてんだ、宏輝?」
この夢の世界では勿論、現実世界でも俺と由美の小学生からの親友である笹波宏輝がそこにいた。
「なにって、由美にご招待いただいたんだよ」
「俺は聞いてないぞ?」
「僕もいちいち言う事でもないと思ってね」
「まぁ、確かにな」
ふっと笑う宏輝は相変わらずのようだ。眉くらいまで伸びた縮れのない髪に黒縁の眼鏡は宏輝の知的さを物語っている。表情がやや疎いが、性格は至って温厚で友達も多い。宏輝は笹波病院の御曹司で、この夢の世界では医大卒のエリート医師としてその腕を振るっている。
「あ、おかえりなさい」
玄関でのやりとりの後、宏輝とリビングに向かうと、テーブルの上には大層なディナーが並べられていた。
『おかえりなさい、パパ』
二人の娘がテレビの前に座り込んで、バラエティ番組を見ていた。そんなに近づいたら目が悪くなるぞ?
「ただいま。それにしても、すげーな」
まるでこれからパーティーでもするかのようなラインナップになっていた。装飾こそされていないものの、まるで誕生パーティーのようだ。
「でしょ? 今日は記念日だからね」
記念日?
「俺達の結婚……いや、違うな。誕生日……でもない。一体なんだ?」
俺からしたら、今日はただの平日だ。それ以上でも、それ以下でもない。特に思い当たる節もないし、宏輝まで呼ぶなんて一体なんだろう。
「もう。絶対忘れてると思ったよ」
分からない。考えれば考えるほど、ただの平日だとしか思えない。
「宏輝。お前分かるか?」
「いや、僕にもさっぱり」
宏輝の誕生日も当分先だ。俺たち二人は困惑の色を浮かべ、それを見て呆れるように由美は口を開いた。
「今日は、私と京ちゃんと宏ちゃんが出会った記念日だよ?」
京ちゃんって呼ばれるのは夢の世界では久々だが、それよりも俺たち三人が出会った記念日だ? そんなの覚えてるのはお前だけだ。
「よく覚えてるな」
「それはそうだよ。あの蛇退治の事件は嫌でも頭に残ってるからね」
俺だってその事件は覚えてるが、二十五年も前の日付までは流石に覚えてなかった。
「あぁ、あれは懐かしいね。京介がアオダイショウに喧嘩をふっかけたんだったね」
「違う。あれはお前が――」
その時、不意にシャツの袖が引っ張られる。顔を向けると、そこでは空腹で機嫌を悪くした顔の風音がいた。
「ねぇパパ。ご飯まだ?」
「ん? そうだな。飯にするか」
俺は手を洗うため、洗面台へと向かった。
「明日は非番なんだ」
宏輝がそんな事をぼそっと言ったのは、俺たちが出会った記念日パーティーが終わって娘たちを由美が寝かせに行った時だった。
俺は冷蔵庫から缶ビールを二本持ってきて、テーブルの上に置いた。口を開けると、炭酸の抜けたいい音がする。
『乾杯』
軽く缶を当てる。俺たちが成人して九年が過ぎた。最初は酒が苦手だったが、会社の飲み会などに参加しているうちにビールの味と深みを覚え、今となっては晩酌は欠かせない行事の一つとなっていた。
「今日は泊まっていけよ」
「うん。そうさてもらうよ」
一口目はやはり美味い。大人の味というか、未成年時代にも飲んだ事はあったが、あまり好きな味ではなかったなのを覚えている。
「あぁ! やっぱり先にやってる」
娘たちを寝かせた由美が、子どもたちの寝室から出てきてぼやいた。自分の分を冷蔵庫から取ってくると、その口を開けて前につきだした。
「じゃもう一回。乾杯」
「うん。乾杯!」
「乾杯」
それぞれ口に運び、感想を言いながら料理の残り物をつまんだ。
「三人で飲むのも、久しぶりだね」
「そういや、去年の今日も記念日ってやったっけ」
「そうだよ。京ちゃんも宏ちゃんもすぐ忘れるんだから」
「こんなのを律儀に覚えてるのは由美くらいだよ。僕も京介も流石に覚えられないって」
初めて記念日をやったのはいつだったか。確か結婚してすぐだったような気がするが、記憶は曖昧だ。
「なんか、高校生に戻った気分だね」
「そうか?」
「そうだよ。あの頃もよくこうして三人でご飯とか食べだでしょ?」
「覚えてるか?」
「いや、僕もそんなに」
「まったく!」
夢の世界の記憶は全て頭の中にあった。現実と夢を混濁させるためか、よく分からない部分も多いが、この夢の世界では俺は無事に高校を卒業し、都内の大学に進学した後、今の会社に就職している。そして社会人一年目で由美と結婚し、すぐに花音を授かった。そして今年三十を迎える今も、こうして幸せな時間を過ごせていた。
「宏輝。最近の医療事情はどうなんだ?」
現実の記憶がそう言わせたのか。何となくだが宏輝にそう聞いてみる。この夢の世界では、俺の病気は治せるものになっているのかという好奇心と淡い期待があったからだ。
「どうって、あまり変わってないかな。まだ癌も完全に治せていないし、もちろん生活習慣病の完全な完治はできる状況じゃないね。医学が進歩したと言っても、ここ数年は牛歩状態だよ」
「でも、宏輝は凄いらしいね。ご近所さんも、笹波病院の若は優秀だってもっぱらの噂だよ?」
「そんなのお世辞さ。僕は誰にでも知識さえあればできる事をただ淡々とやってるだけ。救えない命を手の届く位置で目を瞑った事も少なくない。まったく、医者ってのは天使にも悪魔にもなれるってのは本当だよ」
「宏ちゃんも大変だね」
「まぁね」
少し寂しそうな顔でビールを舐める宏輝は、一体どれだけ苦い体験をしてきたのだろう。平の会社員である俺にはそれが分からなかった。
「白血病とかもまだ全然か?」
俺の病気。現実世界の俺のだ。どんな答えが聞きたいとかじゃない。もし仮にこの世界で治せたとして、ここは夢の中。現実の俺をどうこうできる訳ではないのに、何となく聞いてみたくなった。
「現状は変わらない。重度の場合、それ単体での治療は不可能だ。やっぱり従来どおりドナーによる骨髄移植が必要だね」
やっぱりか。この夢でさえ俺の病気は治せない。現実でもそうだ。なんてったってドナーが見つからないんだからな。
「どうしてそんな事が気になるんだ?」
「いや、何となくだ」
「そうか」
俺は空いた缶ビールを握り潰した。別に他意はない。ただ力が入ってしまったのだ。由美が新しいビールを持ちだしてくる。俺はそれを開けて喉に流し込んだ。
「それはそうと、宏ちゃん。結婚しないの?」
「僕かい? 僕はまだいいかな。彼女もいないし」
宏輝も今年で三十になる。そろそろ結婚してもいい歳なのだが、未だに彼女の一人も作ろうとはしていなかった。
「お前、モテるだろ?」
「大病院の息子で現役の医者って聞いて寄ってくる女に僕は興味ないんだよ。ろくな女もいないしね」
どうだか。その辺の事情は俺には分からない。
「でもさ、宏ちゃんなら絶対いいお嫁さんをもらうと思うんだよね」
気づくと由美は二本目を空け、三本目に手を出していた。昔から酒の飲むペースはやたら早いが、実は弱い。そろそろ眠くなってきたのか目も多少トロンとしている。
「おい由美。眠いならもう寝ていいぞ?」
「大丈夫だよ。まだまだいけるって」
顔は真っ赤に染まり、あまりいけそうにもないんだが。
「いいお嫁さんか……」
「ん? どうした?」
「いや。僕も京介たちみたいに家族を持つ日が来るのかなって思ってさ」
「来るさ。何なら会社の若い子紹介しようか? 玉の輿大歓迎だと思うぞ?」
「そういうのはお断りだって」
「そっか」
その後、俺たちは昔話に花を咲かせたりしながら酒を飲んだ。五本目の途中くらいで限界を迎えたのか、その場に伏した由美を寝室まで運び、戻ってからはどうでもいいような話をしながら宏輝と二人で家にある酒を飲み干すまで浴びた。俺も明日は休みだからな。
「結婚の話だけどさ」
そろそろ俺も眠くなってきた。顔には出ない宏輝の頭が少し揺れ始め、俺たちのペースは若干落ちてくる。
「なんだ?」
俺は残りのビールを飲み、缶を潰した。
「僕だって、前は好きな人がいたんだよ」
まがりなりにも俺は親友だと思っている。だから、その位知ってるさ。
「悪かったな」
「何で京介が謝るんだ?」
「お前が好きだった人って、由美だろ?」
宏輝の気持ちには俺も気づいていた。恋敵とかそんなドロドロの関係はなかったものの、宏輝の心にはいつも由美がいた事くらい気づいていたのだ。だが、俺も昔から由美の事が好きだった。幼なじみの俺たちが結ばれるのは必然のようなもので、宏輝もそれを分かってか、その気持ちを由美に伝える事はなかった。
「気づいてたのか。京介も人が悪い」
「俺が由美を好きだったのも知ってるだろ?」
「そうだね。由美が京介しか見ていない事もね」
昔からそうだった。宏輝は必ず物事を一歩引いた位置から見ている。こいつは顔も育ちもいいから昔からモテたのは事実だが、誰一人として付き合ったりしなかったのは、由美を見ていたからに違いない。そういった一途な面を持っている奴なのは、現実でも同じだ。
「俺と由美が結婚するの、本当は嫌だったんじゃなかったのか?」
「何を今更。本当にそんな事はないんだよ。僕が好きだった由美は、京介をいつも見ていた由美なんだ。勿論他の男と結婚するって言い出したらそれは反対したけど、京介だったら全然いいんだ」
「そう簡単に割り切れるものか?」
「僕はそういうの得意だからね。でもね、さっきの『好きだった』って表現はちょっと間違ってるかな」
「え?」
「僕は今でも由美が好きさ。昔と変わらない、京介と僕の隣でいつも笑ってる。そんな彼女が僕は好きなんだよ」
酔ってはいるものの、こんな話をするのは初めてだった。だが、宏輝にしては珍しくとても楽しそうに話していた。俺はそれだけで心がどこか洗い流されていく気がして。
「お前と友達でよかった」
「それはお世辞か?」
「いやいや、本心だ」
俺たちは最後の缶ビールをぶつけあった。




