【K】第四話
「空気が悪ぃ……」
我慢の限界とでも言いたげなぼやきが漏れる。相次いでの王族への襲撃があったのだから警備の強化も当然で、空気がピリピリとするのも無理はない。リヴラ機関からの警備の強化が気に食わないにしてもエルンストの身の安全のためと思えば許容もする。けれど、問題は同じ立場にある同僚だ。敏いキーンでなくとも王弟に気に障ることを言われたのではないかという推測は成り立ったから、エルンストも気にしてはいるが今回はハリネズミ全開だ。とりつく島がない。ひっそり落ち込むエルンストをなぐさめるという苦手分野をしなければいけないことも精神疲労が嵩む一方の原因となっていた。
「すまないね、気を遣わせる」
「気を遣わせてんのは、アイツだろ。……ったく、視界に入るなとはっきり言えばいいんだ。喜んで出て行ってや……アンタの警護はやるから。別に護衛を辞すとは言ってねぇだろ」
主に謝罪させるなと苛々を募らせ悪態をついて、どうやら誤解を抱かせたらしいと若干慌てたのを隠して常の面倒くさそうな口調で念を押す。そうすれば「信頼している」と笑顔で頷くのだこの主は。キーンはこういう応対をされるたびに善良過ぎてあきれつつも心配になる。だからこそ、早く解決したかった。交代時間、すれ違いざまに「たまにはゆっくり王子と一緒にいればいい」と囁いた。今回は少し長めに空けるという代わりに。殺人的な視線も、発言もくらう前に扉を閉める。
空はどんよりと曇っていて空気も重たい雰囲気だったが今の場内に比べたら天国のようにすら感じると言いたげにキーンは大きく息を吸い込み、束の間風を浴びるように足を止めた。一瞬の雲間に見えた青が冷たく見えて舌打ちする。こんな場所まで苛々させるなと言いたげに。
冷静で優等生なシェリウスは城内にすんなり馴染むように感じる。キーンは馴染むつもりも、羨ましいとも思わない。ただ、それが違いだと感じているだけだ。相手にできないことをやるというより、自分ができることをするというスタンスのキーンは他者への劣等感というものが圧倒的に欠けているから余計にシェリウスの苛立ちが理解できない。個人的に苛立つと言えばせいぜい身長くらいだ。
さて、どこから動こうかと思案して結局スラムに足を向ける。低層にいる人間こそ、裏には詳しい。上に生きる者達のシワ寄せはいつだって弱者に降りかかるのだ。生きるために誰よりも敏感でなければならない彼らは体裁や身分など捕らわれずに本質を見抜く。思いも寄らない情報を得ていることも多いのだ。
「キーン!!」
スラム街に足を踏み入れて幾ばくもしない内に切羽詰まった声がして振り返ればあちらこちら傷を負った栗毛の少年が必死の形相で駆けてきたところで、明らかに尋常じゃない様子に顔を顰めた。足をもつれさせて投げ出された体を片腕で抱き留めて視線を合わせるように膝をつく。問う言葉は短い。
「何があった?」
「っ、シン、が……っ……変な奴らに、浚われ……妙な、場所が……っ」
切れ切れの言葉を辛抱強く聞いたキーンの表情が険しくなる。シンもスラムの仲間で少年の友人でもある。戦闘能力が高めで間違いなく次代のスラムの護り手の1人になろうと思われる少年だ。それがやすやすと浚われたという事実。取り戻そうと単身後を追ったもののあと少しのところで一瞬にして身が傷だらけになり、これ以上の深追いは危険と判断して援軍を求めて帰ってきたというところまでを聞きだすとキーンは立ち上がり少年の頭を乱暴に撫ぜて、笑った。
「よし、よく戻ったな。……テイラ、お前は間違いなく最善の行動をしたんだ。誇れ。」
「っ……うん! じゃあ、僕は手当てして、仲間にも伝えて万が一に備える。」
「ああ、防衛レベルをあげとけ。で、シンが戻ったら作戦詰めろ。」
大きく頷いて仲間達の方へ駆けていく背中を満足げに見送ったのは数舜。素早く身を翻し聞きだした裏路地へと向かう。立場が王子の側近であってもスラムの仲間を見捨てることは今まで生きてきたこと自体を否定するも同然。付け加えるなら下層とはいえ子どもを浚う動きがあるなら由々しき事態だ。大事になる前に始末をつけられるなら良し。場合によっては奏上することになるかもしれない。いずれにせよ事実を確認しなければ手は打てない。
入り組んだ光の差さない裏路地はじめじめとしていて、子猫ほどに育った鼠が我が物顔で歩き回っている。こうした場所の一部はかつて国を広げる過程で取り残され忘れ去られた廃墟の迷路のようなもの。まっとうな人間はまず近寄りはしない。
「ビンゴ。」
キーンは空気がひりついたような気がして足を止めた。一瞬にして傷だらけになったという言からおそらく鎌鼬のような魔法を使える奴がいると踏んだ。魔法感受性は底辺に近くても発火能力という異能を持つキーンである。動物的勘といっても差し支えないものがそれを教える。大人が体を横にして漸く通れるほどの狭い道は一見裏路地のひとつにしか見えない。けれど、膝をついてよくよく見れば人が通った痕跡がある。迷うことなく身を滑り込ませ壁に背を這わせるように進めばいつの間にか地下道に入っていた。土と古びた石垣がトンネルのように伸びている。
小さく舌打ちをした。嫌な感じがする。おそらくシンを浚った連中はここを通っている。アジトに繋がっているであろう場所に見張りがいないのはどうしてか。考えられることは2つ。ひとつはどうせ誰も見つけられないと高を括っている。もうひとつは……知った者をひとりたりとも逃さない自信がある。どちらにしてもキーンに引き返すという選択肢はなかったが。
「順調にいっているか?」
「はい、今日もいい人材が手に入りました。しっかり躾けますよ。……様。」
気配を殺して進むキーンの耳に入った声。ひとつは聞き覚えがある気がして進行方向にちらちら見える光の方へ近付く。あと少しで覗けるところまで来たところで銃声が響き渡った。音は通路の向こう。一気に殺気が膨れ上がり怒号が響き渡り始めた。
「……ラル様! お怪我を!?」
「クソガキ、なめやがってー!」
「そのクソガキに騙されてあっさり銃渡した自分を恨めよ、人攫い!!」
より響いた少年の声に瞠目して躊躇なく通路を抜け開けた場所に出れば一斉に襲い掛かられる少年の背中が見え、襟首を掴んで通路の方に投げる反動を使って数人を蹴り飛ばす。周囲を見渡せば殺気立った明らかに高い戦闘能力を持つ集団がざっと見て数十人警戒を露わにしていた。これはヤバい。
「キーン!?」
「行け!!」
交わした視線は刹那。スラムに住まう者の優先事項のいちばんは、生き残れだ。自分にできること、できないことを見極め最善を尽くす。逆に言えばそれができなければ死ぬしかない。揺れた瞳が強い意志を持って定まる。援護射撃といわんばかりに手にしていた銃を撃ちまくり脱兎の如く逃走に転じたのを確認してキーンは進路に立ち塞がる。微かに笑みを浮かべて。
「追わせないぜ……?」
「ふん、袋の鼠はお前だ。 お前達! こいつを殺せばNo.1だ。願ってもない訓練相手が来たものだ! これで力が削げるというもの……かかれ!!」
先ほどの会話をしていた片割れと声で察しがついたが発言を吟味する暇はキーンにはなかった。号令を合図に一斉に襲われたのだから。さすがに開けているとはいえこれだけ人が密集して戦おうとすれば飛び道具や魔法は難しい。となれば近接戦闘になる。片っ端から捌きながらあることに気付くのに時間はかからなかった。隠し武器が多い。確実に急所を狙った動き。命を奪うための訓練を受けてる。
力量は比べたら相手が悪いかもしれないがツバキほどではない。だが、数が多い。ひとりで相手ができる限度を超えていた。細かい掠り傷に過ぎないが嵩めば動きも鈍りだす。通路に逃れ、動きを多少封じたところで逃げ切るのは難しい。このままでは。
「ちっ……面倒くせぇ。数に任せてきてんじゃ、ねぇぞ……!!」
近しい距離にいた追手が怪訝そうな顔をした。温度が変わった。地下において気温はそうそう変わらない。けれど彼らは確かに感じたのだ。まるで強い日差しが皮膚に触れたようなはっきりとした熱量を。目の前で侵入者の口角が吊り上がる。
「訓練は、お終いだ。」
悲鳴があがる。周囲が赤く揺らめいてキーンの近くにいた者の服が燃えあがった。追い詰めるように相次いで服の袖や、ズボンの裾、髪の毛と燃えあがる火にパニックに陥った隙に身を翻す。果敢にもその背に飛び道具を放つ気配を感じたキーンはただ片手を後ろに翳した。ゴウゥッと音を立てて炎の壁が立ち上がり武器はキーンに届くことなく燃え尽きる。炎を壁が消えたときにはキーンは路地まで逃げおおせていた。
「っ……そ、面倒にも、ほどが、ある……っ」
追手の気配がないことを確認して膝に両手をついて荒い息を繰り返す。青白い顔に流れる汗。何度か咳き込んで震える腕を虚空に伸ばして火球を飛ばした。スラムの仲間に自分も無事に逃げたと報せるために。そうしなければ仲間が動いてしまうから。
生まれ持った発火能力は強いが負担が大きい。そう、無理をすれば命の危険も生じるほどに。手加減をしてもこの消耗具合だ。最後の炎の壁が大きかったとキーンは微かに苦笑した。
「くたばって、堪る、か……っ」
ありったけの気力を総動員して城に戻り、手当てと着替えを済ましたキーンは可能な限りいつも通りを装ってエルンストの元へ戻った。報告をするために。けれど、顔色を変えて立ち上がったエルンストと僅かに表情を変えた気がするシェリウスを見るに装いは失敗しているのは明らかだった。らしくないと思いながら壁に背を付け問いかける声はいつも通り……否、苦さを含んでいただろうか。
「面倒な場所を見つけたぜ……聞く気はあるか、エルンスト王子。」




