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INNER NAUTS(インナーノーツ)第二部  作者: SunYoh
第二章 月と夢と精霊と
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浜辺の狂詩曲 3

「珍しいね、君がこうして、昼に会いに来てくれるなんて」

 

 テーブルを挟んで対面に座る男は、そう言うと、グラスの水を口に含んだ。

 

「そうね。時間、大丈夫ですか?」サニは、上目遣いで男を見つめて言った。そんな仕草をしたところで、この男、附属病院小児科医、伊藤が、動じることもないのは、サニもよくわかっている。

 

「大丈夫。一時間はゆっくり休めるから」

 

 伊藤が、そう言う間に自動配膳カートが、料理を運んでくる。

 

 IN-PSID附属病院四階に位置する院内食堂は、混雑を極めていた。病院の職員や患者向けではあるが、中央区画の職員や医療部の学生などもよく利用しているのだと、伊藤は言う。

 

「ここは初めて? 案外いけるよ」この混み具合を見れば、期待はできそうだとサニは思った。

 

 カートに手を伸ばした伊藤の顔が曇る。見れば、伊藤の左手の掌に、包帯が巻かれている。先程まで、隠していて気づかずにいたが……

 

「あ、こ、これ? ちょっと、料理してて、手が滑ってね、ハハハ」何食わぬ顔で乾いた笑いをたてる伊藤。何かあるのはあからさまだが、サニは余計な詮索はしないことにした。そんなことより、今は食欲の方が勝る。

 

 伊藤が進めた看板メニュー『庄内豚のハンバーグ定食』が、鉄板の上でジュウジュウと、脂とソースの香りを弾かせていた。否が応でも期待値は上がる。

 

「院内レストランなんて、使う機会ないから。ではでは、いただきまーす!」

 

 夏はやっぱり肉っしょ! っとばかりにサニは、一口大にカットしたハンバーグを頬張った。

 

「あ、ホントだ! 美味しい!」「ねっ」

 

 会話も忘れ、二人はしばし、食事に集中していた。

 

 

 ****

 

「それで、改まって話って?」

 

 食後のコーヒーを受け皿に戻し、伊藤が穏やかに問いかける。

 

「うん。まっ、その……」サニは、答える代わりに、アイスコーヒーを啜る。

 

「終わりにしよう……て、ことかな?」

 

 伊藤は、デザートのパンナコッタを掬いながら、淡々と言った。

 

「えっ? なんで……」「ふふ、そんな憑き物がとれたみたいな、爽やかな笑顔、見せられたんじゃ……ね」「つ、憑き物……って……」

 

 氷が溶け残った水のグラスがプリズムとなって、テーブルの上に虹を描いているのが、ふと目に止まる。

 

「……確かに……憑いてたのかも……」

 

「はぁ? ……」真顔のサニに、伊藤は怪訝な表情を浮かべながら、パンナコッタを口に運ぶ。

 

「まあ、僕の方は構わないよ。それを話にわざわざ?」「う、うん。他は適当に済ませたけど……まぁ、先生には良くしてもらったし」「そっか。ありがとう」

 

 サニは、ちょっとバツが悪そうにしながら、伊藤と同じデザートに手をつけ始めた。

 

「……探していたもの……見つかったんだね」伊藤の言葉が、サニの手を止める。時々、見透かしたような事を口にする。それがこの男に得体の知れない魅力と、色気を与えているのだとサニは思う。

 

 スプーンを置き、そっと胸に手を添える。

 

「……うん……ずっとここにあったんだ」

 

「それじゃ、直人くん……だっけ? 彼と?」

「うぅんん……振られちゃった」

 

 軽く頭を振って、サニは再び、スプーンを手に取った。口に含んだパンナコッタのブルーベリーソースが、甘く爽やかに口の中で溶け出してゆく。

 

「えっ……あ、ごめん」「いいの。ダメ元だったし、先に振った? ……のはアタシだし……いいの、コレで」

 

「で、でも……なんか、ちょっと……なんでだろ……」ふと目頭に熱っぽい感覚を覚え、サニは目元に手を当てがう。

 

「サ、サニちゃん、ちょっと……」伊藤は、周りを見まわし、狼狽してサニを隠すように左手を伸ばす。

 

「あ、ご、ごめんなさい!」

 

 サニはハッと我を取り戻し、手早く潤んだ目頭を手で拭う。その時、伊藤の瞳が、何かに気付いたのか、大きく見開く。同時に、背後の方で、急速に波動収束するかのような、昂る気配を感じ取り、サニは振り返った。

 

「なに、この視線……」

 

 レストランの奥の席からだ。気配の感じる方へ視線を送れば、こちらを伺う人影が見えた気がした。女? サニはそう感じた。

 

「イツツ!」「だ、大丈夫? 先生??」

 

 伊藤の包帯に、血が滲んでいる。どうも、無理に手を伸ばして傷口が開いてしまったようだ。

 

「ば、場所……変えよう」

 

 先程までとは打って変わって、伊藤はソワソワとしながら、サニを追い立てるように席から立たせる。

 

「えっ?? ちょっ……ちょっと?」

 

 

 ****

 

 処置室に駆け込むと、伊藤は包帯をとり、自分で怪我の手当を始めた。掌いっぱいに、斜めに走った切傷は、どう見ても料理のケガではない。

 

「その傷……女でしょ?」

 

 処置室のベッドに腰掛け、伊藤の処置を眺めていたサニは、冷ややかな口調で訊ねる。

 

「いや……まぁ……ハハハ」「さっきの食堂にいたの?」「……」

 

「いたんだ……」「こ、ここなら大丈夫。休憩時間、誰も来ないから……はは」

 

 一人で自分の片手に包帯を巻くのは、医者とはいえ、どうにもやりにくそうだ。

 

「もう……貸して」サニは、包帯をとると、手際よく巻き始めた。

 

「あ……ありがとう」伊藤は、サニに左手を預けたまま大人しくしている。何気なく伊藤の胸元の名札に目が行く。

 

 ……じゃ、僕のことも、呼んでみて。名前で。誠児って呼べるかい? ……

 

 思えば、伊藤を名前で呼んだ事など一度もなかった。

 

『伊藤誠児』

 

 そういう名前だったと、別れを決めて初めて認識した。

 

 漢字は苦手だ。象形文字とはいうが、やはり絵のように見えてしまう。

 

『伊藤誠児』……『伊藤誠児』……『伊藤誠……

 

 どこかで見た文字だ、とサニは思った。

 

 そう、都市伝説か何かだ。百数十年前の昔話。途方もなく女性にもてたが、反面、女の憎しみを買い、壮絶な最期を遂げた男の話……

 

 その男の名前は、確か……伊藤……ま……なんたら……漢字の字面は、そうこんな感じ……

 

「‼︎」

 

「先生……刺されないでね」「な、な、何だい、急に。こ、これは……そういう傷じゃ……」「そういう傷でしょ」言いながら、包帯をキツく止める。伊藤は、苦悶に顔を歪めた。

 

 構わずサニは話し始める。

 

「どーもこの世界、インナースペースからなのか、時々、意味もなくメタ的なネタがぶっ込まれているみたいなの」

 

「へ? メタ……」

 

「先生の名前もきっとそう! だから!」

 

「な、何言ってんの、サニちゃん??」「とにかく……女遊びは謹んで。大丈夫、グッドエンドへの選択肢はまだ残されてるわ!」

 

「い、意味わかんないよぅ」

 

 ぐいと顔を寄せ、目力たっぷりに説くサニに、伊藤はたじろいだ。

 

 サニの鬼気迫る表情に空恐ろしいものを感じ、何か話を逸らそうと、伊藤はちょうど、手近にあったフライヤーを手に取る。

 

「そ、そ、それよかさ……これ、どう?」

 

「へっ?」

 

 目の前に広げられたフライヤーに、ふと我に戻ったサニは、目を白黒させていた。


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