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INNER NAUTS(インナーノーツ)第二部  作者: SunYoh
第二章 月と夢と精霊と
61/256

空音 1

 ……ずぅっと昔、創造の時代……

 

 ……虹はねぇ……蛇の神様だった……虹の蛇……虹蛇はね……大地を這い回り、山や湖、川なんかを作り、たくさんの命を生み出したんだ……全ての命の、お母さんみたいなもんさ……

 

 ……お母さん? ……

 

 ……ああ。けど……虹蛇はね、怒るととんでもなく恐ろしい……大昔の人間は、皆、一度飲み込まれ、今いる私達は、蛇が再び産み落とした人間達の末裔……

 

 ……人を食べちゃうの……怖いよ、ママ……

 

 ……大丈夫さ……虹蛇は大地深くに眠っている……怒らせたりしなければ、雨季に雨を降らせ、この乾いた大地を潤す、恵みの神様だからね……

 

 ……良いかい、虹蛇を決して怒らせてはいけないよ……

 

 ……う、うん……

 

 ……ごらん、今日は満月だ。こういう月が明るい夜は、虹蛇が月の神様と会って、この世界をどうするか、秘密のお話をするんだ。その話を聞いてはいけない……泉、湖、海……どこかはわからないが、水のある所に虹蛇は現れる……

 

 ……月の明るい夜は、そういう場所に近づいちゃいけないよ……

 

 ……わ、わかったよ、ママ……

 

 ……良い子だ、さ、ママの所においで……

 

 ……うん! ……

 

 ……ゆっくりおやすみ……

 

 ……サニ……

 

 

 閉ざされたレースのカーテンの隙間から、柔らかな薄黄色の光が、微かな潮騒と共に入り込んでくる。

 

 上弦の月の光が、褐色の肌を撫で、その背中を滑り落ちてゆく。

 

 ちょうどその背中と反対側の、下腹部の中で、何かが渦を巻く感触に、サニは小さく吐息を漏らした。

 

 人体の約六割は水であるという。下腹部に巻き起こる渦は、その全てを波立たせるようだ。

 

「うっ……」

 

 期待した快感とは程遠い、本能的な戦慄となって、細波が全身に襲いくる。

 

 反射的にサニは、身を屈めると、手近にあった肌掛け布団を纏った。

 

「……えっ……‥どうして……」戸惑う男の声が、じめっとした部屋に虚しく漂った。

 

「……ごめんなさい……」サニは身体を起こし、暗がりに顔を沈めたまま、呟くように言った。肩に触れようとする男の手から、サニはそっと逃れる。

 

「……やっぱり……今日は……そういう気分じゃないみたい……アタシ……」

 

 落胆した溜め息が、後ろから聞こえた。

 

「……わかった。もう、いいよ」

 

「ごめんなさい。先生」

 

 ナイトガウンを羽織った男は、そのまま寝室を後にしようとドアを開いた。自動照明の灯りが寝室に差し込み、月明かりを覆い隠す。

 

「……こっちで待ってる。……話、聴くよ」

 

 

 爽やかに鼻を抜けるミントの香りが、身体に優しく染み渡り、硬くなっていた全身の筋肉が弛緩していくのを感じながら、サニは口を開いた。

 

「アタシ……仕事、降ろされるかも……なんだ」

 

「仕事? もしかして、インナーノーツ?」斜め向かいのソファに腰を下ろした伊藤は、何気ない口調で聞き返す。

 

「えっ?」サニは、目を丸めて伊藤を見つめた。小さく微笑んで、伊藤はティーカップを口に運ぶ。

 

「あ、そっか……所内の発表は、もう」

 

「うん。昨日ね。メンバーは明かされてないけど……なんとなく。正解だったみたいだね?」

 

「う……うん……」

 

 小さく頷いたサニは、もう一口、ミントティーを口に含んだ。

 

「有人インナースペース探索によるPSID(PSI災害)、PSIシンドロームの解消。もうそんな技術があって、サニちゃんがそのメンバーとはね。驚きだよ」

 

 何食わぬ顔で、伊藤は、ティーカップをテーブルの受け皿に戻し、ソファにもたれた。

 

「たまたま適性があったから……」俯き加減に、サニは小さく言う。

 

「でも……立派じゃないか? 誰にでもできるもんじゃない」

 

「……これでも、自分の天職だと思ってた。けど、やっぱ、居るんだよね。天才って」

 

 伊藤は、小さく眉を顰める。

 

「……あんな天才、狡いよ」

 

 インナーノーツのファーストミッション対象者である謎多き少女、亜夢。そして彼女に宿る、もう一人の人格アムネリア。

 

 彼女()はこのところ、インナーノーツのミッションに関わるようになった。

 

 <アマテラス>の能力を最大限に引き出す彼女達の能力は、今やインナーミッションには欠かせない。特にアムネリアのインナースペース深淵、集合無意識領域をも見通す観測能力は、ミッションの大きな支えとなっている。

 

 たが、その一方で、同じくインナースペースの観測を主任務とするサニは、その能力に助けられながらも、漠然とした不安を感じていた。

 

 その不安は、今、現実のものとなってきている。

 

 この日、サニは聞いてしまった。亜夢を正式に<アマテラス>のクルーとして迎え、サニと交代させる可能性がある事を……

 

「……なるほど、ね。そのコに変えられちゃうかも……か」

 

「そりゃさ、あのコの能力は桁違いよ。|彼女

 《・・》無しじゃ、ここ最近のミッションは正直キツかった……ってか、無理だったかも……けど、だからってさぁ! みんなしてチヤホヤしちゃってさ!」口早に捲し立てると、サニは残ったミントティーを流し込み、カップを受け皿に戻した。陶器同士が触れ合う鈍い音が、伊藤の耳を突く。

 

「一番ムカつくのは、センパイよ!」

 

「センパイ?」

 

「もう! いつもはヘタレのクセにさ。あのコ、入るようになってから、調子付いちゃってさ」

 

 語気を荒げるサニに、伊藤は瞬きを失っていた。

 

「ミッションの間、ずっーと、二人だけの世界作ってやんの! 見てらんないっての!」

 

「サニちゃん?」次第にヒートアップしていくサニに、伊藤の呼びかけは届かない。

 

「あのコもあのコよ! 戻ってくれば、幼児みたいになって、センパイにベタベタ甘え放題! センパイも、まんざらじゃないって顔してさ! あれじゃ娘にデレるバカ親父じゃん!」

 

「……」伊藤は、ティーカップに再び口を付けながら、横目でサニを見守る。サニの言葉の洪水は、まだ止まりそうにない。

 

「心が繋がってるって……何なのよ……だいたい……繋がったの、アタシの方が先だってのに……もう……」

 

「ナオトのバカ……」

 

 サニの吐き散らかした言葉は、リビングに漂い、室内にかかっていたドビュッシーの『月の光』の中へと溶け込んでゆく。

 

「気は、済んだかい?」

 

 そう言いながら、伊藤は、サニの空いたカップを見つめながら、ティーポットを持ち上げた。

 

「あ、ありがとう……」

 

「キミのセンパイ、ナオトっていうんだね?」ミントティーを注ぎながら、伊藤が問う。

 

「あっ⁉︎」思わず、サニは口に手を当て、伊藤を見つめた。伊藤はティーポットを置きながら、微笑んでいる。

 

「好きなんだ? その、ナオト君が」

 

 瞳の奥を覗き込んでくるような伊藤に、サニは大きく手を振って声を張り上げる。

 

「ち、ち、ち、ち、違うってぇええ! ナオ……センパイは、そういうんじゃないから! 誤解しないで、先生! アタシ、好きとか、恋とか、するようなタイプじゃないし! だいたい、あんなヘタレドMなんか!」

 

「じゃ、僕のことも、呼んでみて。名前で。誠児って呼べるかい?」

 

 瞬きなく見つめる伊藤の細目から、サニは身を逸らして、顔を俯けた。

 

「い、いや……だって……先生は、先生……だし」

 

 伊藤が、軽く鼻で笑っている。

 

「そういう事だよ。誤魔化す事なんてないさ」

 

「う……うん……好き……なのかもしれない。でも……」

 

 答えながらサニは、ふと、『月の光』を奏でるピアノの和音が濁っていくような気がしていた。

 

「自分の気持ち……自分が一番、わからないなんて、よくある事さ。けど……確かにキミは、今、思わず……」

 

 伊藤は何も気づいていないのか、ミントティーを啜りながら、淡々と話を続けている。

 

「う……うん……そう……かな……」

 

 風穴(ふうけつ)を抜ける気流のような唸りが、サニの頭の中で渦を巻く。サニは、努めて気のせいだと自分に言い聞かせるも、唸る風音は止まらない。

 

「サニちゃん?」

 

 風の音と共に、視界がグネグネと歪んでゆく。身体の軸が失われ、周りの空間に溶け込んでゆくような感覚に、サニは大きく体を揺らす。

 

「どうした? サニちゃん⁉︎ ……サニ‼︎」

 

 伊藤の呼びかける声を風の音が包み隠して行く。

 

 

 ****

 

「サニちゃん……よかった。どうだい、お目覚めは?」

 

 再び、頭上から聞こえて来る伊藤の声に、視界が徐々に整っていく。

 

「……ここは……」

 

「附属病院の救急科病棟。急に意識失って倒れたから、念の為、ここに運び込んだ」

 

 言いながら、伊藤は、机の端末に転送されたサニの検査結果を一つ一つ確認している。

 

 サニはベッドの上で身体を起こし、室内を見渡す。だだっ広いフロアをカーテンで仕切った救急病床には、サニの他、今は誰もいない。ふと窓をみやれば、外はまだ夜の深い闇に覆われている。

 

「う〜ん、身体の異常はなさそうだけど。過労かなぁ? インナーノーツは、過酷な仕事だろうからね」

 

 伊藤は、首を傾げている。

 

「音……」ポツリとサニは呟いた。

 

「音?」怪訝そうな顔つきの伊藤が、振り返った。

 

「うん……音が聞こえたの……何か、唸るような、震える音……」

 

「幻聴?」「わからない。でも……どこかで聞いたこと、あるような……」

 

 確かに聞こえたはずの奇妙な音。サニが、手がかりを探って、自身の記憶を手繰り寄せようと俯いた時、伊藤は、何かに気づいて、そそくさと立ち上がった。

 

「そっか。話はつけてあるから、今夜はここで、ゆっくり休んでいくといい。じゃ、僕は行くから」

 

「えっ……? あ、う、うん。ありがとう、先生」

 

 伊藤は、サニのカーテンを閉め、足早に去っていく。誰かと話をするような伊藤の声が僅かに聞こえ、次第に消えていった。

 

「薄情者め。まっ、お互い様……か」

 

 ベッドに横になり、灯りを落とすと、サニは目を閉じる。一人取り残される救急病床は、不気味なほど静まり返っている。

 

 布団を頭まで被り、目をしっかりと閉じる。そうすればするほど、頭は冴えてくる。

 

 たまらず、サニは体を跳ね起こし、ウェーブの髪をくしゃくしゃとかき上げた。

 

「もおおおお! 何よぉ‼︎ こんなん、眠れるわけないでしょぉおー‼︎」

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