イリュージョン・クライシス 6
ブリッジの全モニターの映像が歪みだし、何かの像を結び始める。どこかの宮殿の大広間なのか? 高い天井、壁一面を彩る煌びやかな装飾は、黄金色の輝きの中に、赤々と揺らめく影を映し込んでいる——
次第に、景色がはっきりしてくる。階段下の広間は今、床のカーペット、壁の彼方此方が燃え上がり、そこに集う大勢が、右往左往と逃げ惑うシルエットが見えてくる。音声変換された阿鼻叫喚の声に、爆発の音が重なった。
その音の方へ視界が移動する。左右に両階段が見える。視点は、階段が合流する踊り場にいるようだ。
「ここは……」カミラは、息を呑む。カーペットの引火が両階段を火に包んでゆく。カミラは、その光景から、目を離せない。
『十六年前……中東の戦争は、欧米各地でも、多くのテロを促した……』
再び爆発の音。崩れた壁や、装飾品が頭上から降り注ぐ。
『我がクロイツェル家も……当時の中東ブロック政府を支援しているとみなされ、標的に。私の社交界デビューを飾るはずだった会合は……一瞬にして、業火の地獄と化してしまった……』
危ない! と誰かが叫ぶ声。何かが覆い被さり、視界が失われる。
『お父様も、お母様も……死んでしまった……私に残ったのは、莫大な財産と、不自由になってしまった身体……そしてヴァーチャルネットの数多の利権』
『ヴァーチャルネットは、私に生きる場を与えてくれた。不自由な肉体とは裏腹に、財と利権がヴァーチャルネットの世界で、私に自由を与えてくれた……』
アランは<アマテラス>のデータバンクを検索する。IMCとの通信が切れているため、<アマテラス>が保持するヴァーチャルネットから自動収集した上澄のようなデータしか参照できないが、クロイツェル家テロ襲撃事件、そしてロザリア・クロイツェルの経歴は、すぐにヒットする。ヴァーチャルネット上でもメジャーなデータなのであろう。
「ヴァーチャルネットの情報とも一致するな」「……そう……」カミラのどこか上の空の返事に、アランは眉を顰める。
美しいドレスを纏い、世界的ヴァーチャルネット検索アルゴリズムを運営する会社のCEOに就任。だが、それには留まらず、彼女の圧倒的なルックスは、瞬く間に世界を席巻。CMからドラマ、そして映画へ……トップ女優へと駆け上る。またある時は、彼女がプロデュースしたコスメ商品が、一大ブームを巻き起こし、デザイナーとしても、数々のファッションショーでその名を轟かす。ある時は、慈善家として、世界同時多発地震の被災者らを見舞う——その全てを、彼女はヴァーチャルネットをとおして活動してきた。
「ヴァーチャルネットの……アバター……」カミラは呟いていた。
『……ふふ……この十六年、誰も私の実在を疑わなかった。ヴァーチャルネットは、もはやイメージの世界ではない。リアルを超えた、リアル! それがヴァーチャルネットなのだ! 私はむしろ、感謝すらしている……肉体の牢獄から、私を解き放った、あのテロに!』
空間から湧き上がる光の粒が、<アマテラス>の正面に集まってくる。白いドレスをその身に纏った、ヴァーチャルネットのプリンセスの装いで、ロザリアが再びそこに現れた。
「デジタル・ソウル……」直人は、ロザリアを睨んで呟く。
『そう……私こそ、デジタル・ソウル、その第一号』
インナーノーツの一同は、冷たく微笑むロザリアに、薄ら寒い感触を覚えずにはいられない。
『カミラ……デジタル・ソウルは限りなく自由。なぜ、この素晴らしさが解らぬ?』
「……そ、それは……」カミラは、反論が見当たらない。
『ふ……もう少し考える時間が必要か? いいだろう、ゆっくり、お前の答えを待つとしよう』
「……機関、稼働低下、全装備へのエネルギー供給ダウン! まずいぞ、カミラ! このままここにいては危険だ! あいつは、明らかに!」「わかってる! 時間稼ぎなのは! でも!」
カミラはロザリアを睨め付ける。彼女は正面で、浮かび上がった白と黒の柱の間に悠然と腰掛け、冷ややかな眼差しで見つめてくる。それは、タロットカード「女司祭」の図象そのままだ。
緊張に包まれ、静まり返ったブリッジで、カミラは瞑目して思考を巡らせる。
……考えるのよ、カミラ! あと少し、あと少しなのよ……もう、諦めないで! ……
仲間達の視線が集まるのを、カミラは瞳を閉じたまま感じていた。
………………デジタル・ソウル? ……それなら……ロザリアにも本当の魂が? ……だとしたら……さっき、ナオがしたように、引き寄せられたら……
——「ふふ、これはね。引き寄せのビジョンクリエイターよ」「引き寄せ?」——
唐突に、胸に湧き上がる遠い記憶の会話。ハッとなってカミラは顔を上げた。
——「……あら……いいじゃない! 『恋人』、しかも正位置よ」——
フラッシュバックするタロットカード『恋人』『節制』『悪魔』。そして『世界』のカード。
——『ワールド』……姉さんの一番のお気に入りのカードだった。だから、あの女神……なぜかとても懐かしかったの……——
カミラは、額に手をやり髪をグシャリと持ち上げる。
……まさか⁉︎ ……
——『レ……レオン……どうして……ここ……お姉ちゃんの……部屋……」「レオン! 待って‼︎」——
半開きのままの扉から垣間見た、ベッドの上で胸元をはだけ、親指の爪を齧ってこちらをじっと覗っている女が、先程の女司祭のとった奇妙な仕草と重ね合わさる。
「……姉さん……シルヴィア……姉さん……なの……」
カミラの口を突いて溢れた言葉に、アランは目を見開く。
「シルヴィア⁉︎ あの、シルヴィアだというのか⁉︎ シルヴィアは、あの日、死んだはず!」
燃え盛る炎に包まれた両階段のホール。その炎の中に、ふらふらの吸い込まれていくように消えゆく女の姿。カミラの胸の奥底に燻る、あの地獄の業火の残り火が、身体中に広がってゆく。
「デジタル・ソウル……ロザリアは自分がデジタル・ソウルと言った!」
カミラは、自席のPSI-Linkモジュールに左手を叩きつける。
「姉さん! 姉さんなんでしょ‼︎ 応えて‼︎」
カミラは、溢れそうになる想いをモジュールに注ぎ込む。
『何をするつもりだ、カミラ?』ロザリアは、余裕の笑みを浮かべたまま、動じることなく、こちらを見つめ続けていた。
「……賭けるか、カミラの勘に。アムネリア! カミラをサポートしてくれ!」『はい!』アランは呼びかけながら、コンソールに向かい、<アマテラス>に入り込むPSIパルスを最大感度で解析を始めた。
……姉さん! ……
すると、モニターの映像が、入り乱れ始める。
取り巻く観衆、カメラのフラッシュ、自らデザインしたドレスをたなびかせ、華やかなランウェイ闊歩する——その映像は、幻のように去り、手元に残るのは、画用紙に描いた、手書きの拙いデザイン画。
銀幕のスターたちが自分を取り合い、恋に悩みながら成長するサクセスストーリーの主人公——夢見がちの少女を映し出す大きな鏡は、やつれた頬に、原因不明のアザが浮かぶ肌……
……間違いない……貴女は姉さん……シルヴィア姉さんよ! ……
……なに……なによ⁉︎ ……誰⁉︎ ……
声が聞こえる。カミラはその声に向けて、さらに意識を深く落としてゆく。




