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INNER NAUTS(インナーノーツ)第二部  作者: SunYoh
第四章 ノヴス・ドミヌス

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女神の愛 1

 ——抱きしめられなさい。何百万もの人々よ。


 兄弟たちよ。この星の大海の向こうに、


 愛すべき父なる神が、居られるに違いない


 全ての世界へ、この口づけを‼︎ ——



 歓喜の音楽が熱狂となって渦巻き、止まない賞賛の拍手が鳴り響く。


 貨物の搬入を終えた軌道エレベーター、コンテナクライマー(ゴンドラ)の第一便が、夕暮れの空へと上昇を始める。旅客クライマー第一便が出発するのは二時間後。その後、おおよそ四十分間隔で、八十名ずつ、半日かけて天の楽園を目指す。


 軌道エレベーターの構想は、十九世紀末にまで遡る古典的アイディアであり、現実的な構想は二十一世紀にはいくつか提唱されていた。だがそのいずれも、クライマーは七日ほどかけて、衛星軌道までの三万六千キロメートルを旅する、のんびりとしたものだった。しかし、二十二世紀、様々な要因で停滞気味であった宇宙開発を今一度、推進させようという人々の想いは、軌道エレベーターの高速化を要求する。『外宇宙』への進出が難航した代わりに、『内なる宇宙』ともいうべき、余剰次元インナースペースへの目覚ましい発展は、様々な叡智を人類にもたらした。時空間制御技術、それによる慣性系、重力の制御、余剰次元情報をエネルギーとして無尽蔵に抽出するテクノロジー、自然界には存在しない新物質の生成……それらは、この高速軌道エレベーターの実現に、大きく寄与していたのである。


 開所セレモニーを終えた世界のセレブ達は、期待を胸に、自分の搭乗順が巡ってくるのを待つ。待機時間を有意義に過ごすため、このドームホール状施設には、ショッピングモール、飲食店、宿泊施設、さらには映画館、スポーツジム、コンサートホール、カジノなどの娯楽施設が備わっている。セレブらは、ホテルの宴会場へと案内され、出発までのひと時を、贅を尽くした食事と共に、社交パーティーを楽しんでいた。生の弦楽四重奏団の奏でる、『狩』を描いたモーツァルトの調べに重なる、グラスの合わさる音、談笑、宇宙に広がるビジネスプランの話題。スパンコールと宝石の煌めきが舞い、艶やかなドレスの花に、蜜を求める黒い蝶のような男たちが群がる。


「まあ、あれは、何かしら⁉︎」


 宴もたけなわ、となった頃、宴会場の外の方から声が上がる。先ほどまで開所セレモニーが催されたエントランスホール側を臨むペデストリアンデッキの方からだ。次第に膨らむデッキのざわつきに、宴会場内の紳士淑女らも、デッキへと集まる。


 吹き抜け状エントランスホールの中空をゆったりと歩く、四、五メートルほどの白い巨人——純白のワンピースを纏った、可憐な少女の空間ホログラム映像のようだ。


「おい、あれ!」「ロザリア⁉︎ ロザリア・クロイツェルよ‼︎」「まぁ、かわいい!」「何が始まるんだ?」


 ペデストリアンデッキから皆、身を乗り出すように白く光り輝く少女を覗き込む。少女はニッコリ微笑み、彼らに手を振る。男も女も皆、歓声で応えた。


 ロザリアと呼ばれた白い少女は、そのまま中央の軌道エレベーター発着タワー目前まで進み静かにひざまづく。


 照明が落とされ、ホールの暗闇に、白く輝く発着タワーと、それを見上げる少女だけが浮かび上がる。場内のざわつきが、闇に吸収されていきながら、柔らかなピアノの音色が聴こえてきた。


 ゴルトベルクかしら、と小声で囁く婦人に、グレン・グールドだね、と紳士が答える。


 バッハ鍵盤作品の名手と知られる二〇世紀最高のピアニストの一人、グレン・グールドは、『ゴルトベルク変奏曲』で一躍、名を馳せた。彼の演奏した、同じくバッハの『平均律クラヴィーア曲集』は、無人宇宙探査機ボイジャー一、二号のゴールデンレコードにも収録されたというが、今また、宇宙を目指す軌道エレベーターから奏でられる一九八一年版グールドによる演奏のゴルトベルク変奏曲は、はるか宇宙への深淵へと旅立った両機へのメッセージ、とでもいうのであろうか?


 ひざまづいたロザリアは、情感豊かに、ゆったりと流れるアリアに合わせ、手を組み、祈りを捧げるかのように軌道エレベーターのその先、はるか上空を仰ぐ。


 その可憐で、一見どこにでもいそうな慎ましやかな少女に天より光がさす。神々しいまでに神秘的な姿は、まごうことなきヴァーチャルネットのプリンセス。世界中に配信されているその映像に、人々は感嘆のため息を漏らす。


 アリアは後半に入り、音楽が少しずつ動き出す。月光に照らされる渚の波のように。白いプリンセスはスッと立ち上がると、その旋律に合わせ、ワンピースを靡かせて舞い踊る。白鳥のようなその舞は、宇宙という大いなる神への奉納——そして、アリアの終息と共にロザリアは、再びひざまずいて、天を見上げる。


 訪れる静けさに、声を立てるものは誰一人としていない。


『ゴルトベルク変奏曲 ヴァリエーションⅠ』


 アリアと打って変わり、軽やかなピアノの音の粒が、転がり出す。躍動する低音部に鼓動が重なるのを誰しもが感じ始めた時、ロザリアはふわりと中空へ舞い上がる。そう、まるで何かに『吊り上げられる』かのように。


 あどけなさを残した、小さな驚きの表情を浮かべながら、ロザリアは自身を天へと誘う見えざる力に身を任せる。白い煌めきを振り撒きながら昇るロザリアは、銀白に輝く翼を与えられ、ワンピースは、優雅なローブに変わる。その姿は、宗教画に描かれる天使そのものだ。


 彼女の昇天と共に、ドームホールはプラネタリウムのようになって、赤焼けの空から次第に満天の星空を描き出す。そして、塔の先、天の中心上部に、宇宙ステーション『オービタル・エデン』が描き出される。


『オービタル・エデン』下部、軌道エレベーター発着区画を抜け、ロザリアは導かれるままさらに上昇し、巨大な球体区画へと辿り着く。そこは『オービタル・エデン』の中心部のようだ。ロザリアの身体は、溶け入るようにその中心部へと潜っていく。暗闇の世界をただ一つ、白銀の光となったロザリアは、翼をはためかせ、何かを求めるようにその両手を頭上へと伸ばした。


 ロザリアの細くしなやかな指の先に、もやもやと変容する光るもの……球体のそれは、何かを映し出す。人の顔、街、大地に海、動植物……地球上のあらゆる情報が詰め込まれた卵。そんなふうに見える。


 ロザリアはその卵を、慈しむように胸元に包み込み、そして口づけをする。ゴルトベルク第一変奏の終わりと共に、卵はプラチナの発光と共に弾け、何本もの光束(ビーム)を四方八方へと飛ばし始めた。驚きの表情でその行方を見渡す、妖精のようなロザリアはなんとも愛くるしい。


 ピアノの余韻が、テクノポップ調のリズムに変わり、そのリズムに乗せて、光束が、ドームホール内壁で弾ける。この日のために準備されたのであろう、洗練された軽快な音楽と完全にリンクして、弾けた煌めきは球体を形造り、そこから火星に、水星に、木星……次々と惑星に形を変え、太陽系がロザリアを中心に創造される。光と音の天体ショーに、観るものは皆、圧倒されていた。


 生まれたての惑星にはそれぞれ、マルス、マーキュリー、ジュピターといった惑星に当てられた神々を表現したような、ロザリアの分身が現れ、中心のロザリアに、光束を送り返す。太陽系全惑星から、たくさんの贈り物を受け取るかのようにロザリアは、両手いっぱいにその光を集め抱きしめ、そして、星の海へと再び両手をいっぱいに広げた。


 ロザリアに集まっていた光は、煌めく星となって大宇宙を照らし、あたりは眩い白光に包まれる——


『星々がつながる。ヴァーチャルネットは、次の時代へ』


 太陽系各惑星、そして月を象徴するロザリアの分身達が整列し、その中央に白銀の天使、ロザリアが舞い降りる。


 ロザリア達(・・・・・)は、浮かび上がる文字と共に高らかに宣言した。


『Nexus Arcadia ——


 Coming Soon』


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