開かれる輪 4
「カミラ‼︎」アランの叫び声に気づくこともないインナーチャイルドの手が、その目の前に浮かぶバースデーケーキに立てられた十三本のキャンドルの、中央の一本へと再び運ばれていく。
まったくもって、先程の繰り返しだ。皆がそう思う。カミラは無意識のこの閉ざされた空間の中で、運命の輪廻を繰り返すしかないのか……
直人は、歯噛みする。生を受けたその時から、人は幾度も、運命の繰り返しを刻み込まれる。それは轍となって、いつしか深みとなり、決まったレールの上を走り続ける列車のように延々と、無意識のうちに『運命の輪』を走り続ける。
それは、カミラに限ったことではない。それほど、人の運命の支配する無意識の悪魔は、あまりに強大なのだ……
カミラの意志との同調が回復しない<アマテラス>、<イシュタル>には、戦う力はもうない。インナーノーツができることはただ一つ。静かに瞳を閉じたアランの口に、あの言葉が蘇る。
「我らを、試みにあわせず……悪より救い出したまえ……」
そう、祈ることくらいだった。アランの祈りに、直人も目を閉ざし、心の中で言葉を重ねた。ティムも直人に倣い瞳を閉じ、サニはコンソールに肘を立てて両手を組んで頭を垂れて祈る。亜夢もサニを真似て、同じように祈り始めた。
<イシュタル>のメンバーも、自身の宗教信条を超え、その祈りの言葉に心の声を重ねる。
『くくっ……かっ、はははは‼︎ この期に及んで、祈りぃ? 祈りだと? 祈りが何になる? えぇ? 面白い! 好きなだけ祈っていればいいさ!』
嘲りと挑発とが入り混じった、ニコラスの高笑いがブリッジに響く。その姿は、やはりどこにもない。
『さぁ、カミラ‼︎ キミはずっと、幸せを求めていた。ほら、キミの幸せはここに。これはキミが引き寄せた幸せ。遠慮することはない‼︎』
ニコラスの不敵な笑いに包まれ、インナーチャイルドの手が、キャンドルの炎と重なったその時……
『……違う……そうじゃない……』
ブリッジの音声変換に湧き上がる声。その声に、インナーチャイルドの手が止まる。同時に、インナーチャイルドの僅かな変化を感じ取ったニコラスの笑いが止まる。
『……幸せが……こんな都合よく、やってくるわけ……ない……』
インナーノーツの皆は、瞳を開いて顔を上げる。間違いない、カミラの声だ。凍えた身体に血流を送り始めたように、<アマテラス>の機関が、船体中にエネルギーを供給し始める。
「カミラ‼︎」アランは叫んで呼びかけ、もう一度、PSI-Linkにダイレクト接続する。アランの想いの形が、インナーチャイルドの目の前に、アランの手を形作る。
「俺の手を取れ! カミラ‼︎」
『ぐっ……まだ邪魔をするか‼︎ カミラ! キミはボクのモノだ‼︎』
ケーキの上に止まったインナーチャイルドの手が、姿の見えないニコラスに掴まれ、ケーキの中央へと引きずられる。
『嫌よ‼︎』インナーチャイルドのカミラは、その見えざる手を、いとも簡単に払い除けた。悪魔はだいぶ弱っているのだろうか?
『私はずっと待っていた』インナーチャイルドと、今のカミラの意志の声が重なる。
『……いつか、幸せがやって来ることを。誰かが与えてくれることを……でも、そうじゃない』
一同は、カミラの言葉に、胸の奥底から奮い立つものを感じていた。
『幸せは、自分で掴み取る。たとえ、それがどんな痛みを伴うものでも‼︎ 私は掴みに行く! 自分の、この手で手繰り寄せてみせる‼︎』
アランの手をしっかりと掴み取る、インナーチャイルドのカミラ。その瞬間、バースデーケーキのキャンドルが激しく燃え上がり、その中にカミラの記憶を映し出す——炎に包まれた病院で叫ぶ少年は、十一歳の、あの時のアランであろう。
まさに、同じように手を伸ばし叫んでいる。
『どんなことがあってもキミを守る。ここからキミを無事に連れ出す。約束だ!』と——
キャンドルはさらに激しく燃え上がり、記憶の映像を飲み込みながら、暗闇の牢獄を真っ白な光に反転させてゆく。
カミラの無意識の変容が始まっている。大きな揺さぶりと、真っ白な光に包まれたインナーノーツらは身を任す他ない。
その中で、アランは再び、記憶にない幻影を見る——悪魔を殺せ、と叫ぶ群衆の中で、炎に包まれる視界の先に、届かぬ手を伸ばす——
先程、あの『悪魔を殺せ』の声が、心象のエコーチャンバーのように響く中で垣間見たのと同じ光景——手を伸ばす中世ヨーロッパの貴族らしき青年は、自分なのであろうか? その手には何か書簡のようなものが握られ、必死に何かを訴えていた——
一方、それと同じ光景を見つめているのがもう一人。<イシュタル>のタリアも、先ほどのフラッシュバックが呼び起こされる——悪魔、魔女と声高に叫んでいるのは、このあたし……なのだろうか? 周りで同じように声をあげる平民達と大差ない身なりの、中年女性のようだ。目の前で業火に包まれている哀れな女は——
「カミラ‼︎」ハッとなってタリアは息を呑む。
「カミラ……やっぱりそうだったのか……わたしは……あんたを……」とめどない涙が不意に溢れ出していた。
白モヤの<アマテラス>ブリッジ正面モニターの中に、同じ光景が映り始める。カミラの持つ、遠い過去の記憶なのだろうか?
炎と煙に包まれる先に見える、貴族の青年。その必死に何かを訴えている貴族の青年の顔は——
「ニコラス⁉︎」サニが思わず、声をあげる。いや、風貌は似ているが、雰囲気はまるで違う。これは……ハッとなって、キャプテンシートの上のアランを見上げた。そのアランの瞳には輝くモノが見える。
サニが、モニターにもう一度、視線を戻せば、その青年の顔も次第にアランに近づいてゆく。ティム、直人、そして亜夢も、言葉もなく目を見開き、モニターの中のアランそっくりな青年を見つめるばかりだ。
アランの胸中にも、その記憶がはっきりと蘇り、炎に包まれゆく、その女性の最後の愛おしげな瞳がはっきりと浮かぶ。アランもまた、はっきりと確信した。その女性こそ、現世のカミラなのだと。その瞬間、炎がその女性の姿をかき消していった。
「カミラ……俺は……今度こそ……約束を守れたのか」瞑目して呟くアランに、心象の世界で、カミラはその手をしっかりと取り、頷いていた。
……カミラ……
……ありがとう……アラン…………
……カミラ! ……俺は! …………
沈黙が包む。微笑むカミラ。そう、言葉は何もいらないのだ。アランは、不器用に微笑み返した。
…………さあ、帰りましょう……今を生きる……私たちの世界へ! ……
……ああ……ああ‼︎ ……
心象の中で、繋ぎあったカミラの手に、アランは更にもう一方の手を重ね、しっかりと握る——
「アラン……」その時、救護カプセルに横たわるカミラは、ロザリオを胸に、小さく呟いていた。その身体に現れてきた異常は嘘のように消え、穏やかな微笑みが戻る。
カミラは夢を見ていた。
目の前に、バースデーケーキの十三本のキャンドルの炎が灯る。ロベルト、カタジナ、シルヴィア、レオンの姿がぼんやりと浮かび上がり、誕生日を祝う声が聞こえる。
隣に立つ人の気配に顔をあげれば、ニコラス……ではない。それはアランだ。二人はしばらく見つめ合い、アランが照れくさそうに微笑んで促す。カミラは、頷いてケーキに向くと、大きく息を吸い込んで、その十三のキャンドルを勢いよく吹き消した。
<アマテラス>、そして<イシュタル>両船のモニターは、遠い記憶の残滓を溶かしながら、もう一度、白く柔らかな光に包まれていった。




