召喚ギルド
視覚、聴覚、触覚……全ての感覚が喪失している。時間感覚も失われた。ただただ暗く、どこまでも続く闇。
どくん。
自分の心臓が鼓動した。その瞬間、一気に感覚が戻ってきた。たった一拍分の短い時間だったようだ。視界が開き、あまりの眩しさに目を眩ませる。
植物の匂いがした。再びその目を開く。
「うわっ……」
そこは草原のど真ん中だった。
右を見る。左を見る。地平線まで延々と続く草、草、草。腰ほどの高さの瑞々しい緑が無限に続いている。ちらほらと木の茶が覗いているが、視界のほぼ全てが空の青と地上の緑で埋め尽くされているのだった。
「な、何これ? ギルドは? 何処ここ?」
草をかき分けながら二、三歩歩き、立ち止まる。
落ち着け。クローディアスの言ったことが本当ならば、ギルドはすぐ近くにあるはずだ。深呼吸して、気分を鎮めてから行こう。まずは息を吸って……。
「ねえ、何してんの?」
唐突な人の声が私の息の根を止めかけた。肺一杯に空気を溜めた状態のまま、声のした方向、私の真後ろの方を見る。
まず目に留まったのは、黄色の耳……いや、この形状は羽根か。黄色い鳥の羽根だ。それを頭に巻いた群青色の紋様布に挿している。それが動物の耳のように見えたのだ。
パッチリ開いた大きな目と小柄な背丈と合わせて鑑みるに、年齢はおおよそ十二、三といったところか。真っ黒な髪の毛は腰に届くほど長く、両耳前に垂らされた二房は顎のあたりで飾りに結ばれ、その少し下で断ち切られている。
衣服は薄い茶色の質素なもの。しかし、胴の前に垂らされた掛け布は頭に巻かれた布同様、暗い青色の紋様が刻まれている。半袖の先から伸びる腕は若干日に焼け、いかにも子供らしい健康さだ。
しかし、そんな子供らしい風体とは対照的に、この少女は大きな槍を背に抱えていた。荒削りな柄部分が少女の両方に伸び、こちらから見て右側に穂先が見える。それはいかにも武器ですよと言わんばかりの黒く凶暴な見た目で、長い刃部分と鉤状の針部分が混ざり合っている。ここにも黄色の羽が結わえ付けられていた。
無論、私はこんな少女は知らない。衣装は文明人っぽくないし、先住民か?
いやいや待て待て、この少女は私と同じ言語で話しているではないか。おそらく彼女は召喚され師だろう。つまり、ここで発言すべきことはまず……。
咳払いを一つ。
「私、ギルドの場所を探してて。近くにありますよね?」
「ギルド? 召喚ギルドならあそこにあるじゃん」
少女は右手で指差す。さっきまで私が向いていた方向だ。
やはり召喚され師だったか……そんなことを考えながら、改めてその方向に目を向ける。当然そんなものは何処にも見えない。からかっているのだろうか。
「あの、それってどこに……」
「んー? あー、お姉さんひょっとして召喚され師になったのつい最近とか?」
「いや、まあ、それなりですけど」
ついさっき成ったばかりの初心者です……とは言わない。自分が右も左も分からない素人であることを口にしたら、この先住民じみた格好の少女は私をバカにするかもしれない。
パッと見気が良さそうな相手でも必要以上に気は許さないこと。長年の底辺経験で培われた警戒心がそうさせたのだった。
「そ。んじゃ一緒に行こーよ。私もギルド行く用事あるからさ」
「良いんですか?」
「いいよー。私なら『一瞬』だしね!」
言うが早いか素早く歩み寄ってきた少女は、右手で私の左腕を探した。無論、私は左腕を失っているので、その手は空を掴むばかりだ。
「すいません、私、左腕無くしちゃって」
「あれえ、ほんとだー。って、よく見たら左目も無いじゃん。カオスへクスにでも出くわしたの?」
カオスへクスを知っているのか。この少女、手練れかもしれない。
強者への信頼と忌避感がごちゃ混ぜになりながら、私は軽く頷いた。少女はパッと顔を輝かせる。
「うあ、すっごい! 羨ましい! 後で話聞かせてよ! 簡単な話は聞かされてるけど、実際出会ったことはないからさ!」
……訂正しよう。この子、多分初心者寄りの召喚され師だ。
思っていたより彼女の年季が浅そうであることに対する失望と、意外に遠くない距離感に安心を覚える。
そして、そんなことで年下の相手に優越を感じる自分に激しく苛立った。
「行こ行こ! 韋駄天の走り見せてあげるよ!」
私がイラつきを覚えている間に、少女はイダ……よくわからない単語を口走りながら槍を持ち替え、左手で右の二の腕を掴んだ。
そして、ニヤリと笑いながら一言。
「《超重雷走》!」
瞬間──辺り一面の草原が単色に溶け──青空に赤や紫がチラつき──。
「ほい、着いたっ! ざっと直線距離、五十キロ!」
ざ、という草むらを蹴る音がして、目の前に巨大な木造建築が生えた。
移動した感じが全くなく、私にはそう形容するしか無かったのである。
「ええっ、えええ!?」
「何驚いてんのー♪ 早く中で話聞かせてよー♪」
驚愕で素っ頓狂な声を上げる私を茶化しながら、少女は上機嫌で槍をぶん回す。
「私は『イダテンコ』って名前だから。テンコで良いからね、よろしく! そしてようこそお姉さん、召喚され師の為のギルドへ!」
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ギルドの外観は威圧感漂う薄暗い雰囲気だったが、内部は意外にも明るかった。
柱に取り付けられたガラス細工が煌々と辺りを照らしている。そのお陰で、明度は外の晴れ渡る草原と大差ない。それほど高くない天井は荒々しい梁が整然と並び、あちこちに金属製の刀剣やら紋章やらが飾られている。
ある程度中に入っても草地の匂いは絶えない。扉が無いからかもしれない。
さて、この室内には数人の人間が居た。
右のテーブル前には、椅子に腰掛けて何かの料理を食べている少年。
左の壁際では、柱に寄りかかりながら小さな本を読む赤ローブの男。
奥の暗がりだと、ソファでパイプ煙草を咥えている年上っぽい女。
目に見える範囲に居るのはこの三人か。多分、全員召喚され師だろう。もっと賑わっているのかと思ったが、そうでもなさそうだった。
「おーい、『アイスラビット』! ギルドリング二つ頂戴!」
イダテンコの声に反応したのは、紫煙を燻らせている奥の女だった。少年も男もチラッとこちらを見たものの、一瞥しただけで再び自分の作業に戻る。
「なんだい、またリング無くしたのかい」
「そうだけどそうじゃない! この子にもあげてよ!」
「新入りか? どれどれ」
その女、アイスラビットは薄い青色の髪をかきあげながら立ち上がった。少し背が低いものの、余裕綽々の歩みはそれをまるで意識させない。目の前で見上げられた瞬間、その強い眼光に思わず後ずさりしたくなった。
片方だけ釣り上げた口元には少しだけ小じわが見える。遠目で見た時に立てた予想より、もう少し年上だろうか。ラビットという名の通り、首狩兎の頭部を模した銀の首飾りがシャツの上で揺れている。
下半身は男の平民みたいなズボン姿だ。ただ、皇国で見たことのあるダボついた物ではなく、シワのないすっきりした代物だが。
アイスラビットはひとしきり私の目を見据えた後、片足に重心をかけながら値踏みするような目つきを見せた。
「なったばかりかい。召喚され師」
「え、まあ、それなりに」
「嘘は良くないね」
わあ、困った。この人にはハッタリが効かない。イダテンコとは練度にだいぶ差がありそうだ。私は見栄を張るのを諦めて、本当のことを話すことにした。
「実はその通り、召喚され師になって間もないんです。本当についさっきで」
「え! そうなの!」
イダテンコが演技がかったオーバーな驚きを見せる。いや、その表情は本当に驚愕していた。少女らしい見た目に違わぬ純真さだ。
アイスラビットは特に反応も見せずに続ける。
「なら『創造神』様にいろいろ説明してもらったはずだけどねえ」
「えっ」
創造神? 流石にクローディアスではないだろう。あんな魔動像みたいな奴に作られた世界なんて、ただ可哀想なだけだ。
「その反応を見るに、創造神様も知らないようだね。最近ちょくちょく見るパターンか……名前は。名前くらいは分かるはずだ」
「え、あーっと、リエル=トルフ……」
素直にフルネームを言おうとして、言い淀んだ。クローディアス。イダテンコ。アイスラビット。召喚され師はフルネームなど使っていない。
ならば、生誕名と成人名だけで十分だろう。姉妹名も家系名も教える必要はない。またフルネームでばかり呼ばれたら余所余所しすぎて居た堪れないし。
「リエル=トルフです」
「そうかい。それじゃ、これを付けな。ギルドリングって奴だ。所属する人間は皆これを身につけるんだ」
銀色の手のひら大リングを二つ手渡される。それを受け取ろうとして左腕が無いことに気づき、あたふたしている内に横からイダテンコに取られてしまった。
「私が付けてあげるね、リエル=トルフ」
「あ、ああ、ありがとう、テンコ」
イダテンコは歯を見せて笑う。そして、リングを開いて右手首に取り付けてくれた。良い子だなあ。
「これあると便利なんだよねー、他の召喚され師を探したり助けに行ったりできるし、知らない言葉をオート翻訳もしてくれるし。やっぱオドフロスキィって元天才科学者とかなのかな?」
ぶつぶつ呟きながらイダテンコは自分自身の右腕にも取り付ける。その呟きの中で気になる一節──即ち、翻訳機能のことを聞いた私は、この何の飾りもない輪っかを試してやりたくなった。
「《ステータス・オープン》」
ばあっ、と溢れ出す言語。一つ一つの文字は全く読むことができない。それなのに、文章の意味が理解できる。なるほど、これがギルドリングの効果か。面白い。
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名前:リエル=トルフ・クー・アザストリ
性別:女
スキル:《過剰治癒》
召喚回数:1
年齢:20歳
身長:171cm
体重:65kg
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「体重!? うわ、うわっ、なんで!?」
慌てて手を振って消そうとするが、もちろんそんな事をしても消えない。視界から消えることもなく、私をあざ笑うかのように、私の目に文字情報を送り続ける!
大丈夫だ、周りに見えているはずがない、見えていたらクローディアスが図柄を要求することなど無かったはずだ……頭で分かっていても、現実にそこにある以上、慌てふためくのは仕方がない。
そんな初心者の私に、アイスラビットが冷静に一言。
「《ステータス・クローズ》と唱えなさい。それで消えるから」
「へっ……す、《ステータス・クローズ》! 早く閉じて!」
まるで最初から無かったかのように、並んだ文字たちは跡形もなく消えた。肩で息をしながら大きなため息をつく。
ああもう、学校を卒業してからずっと体重気にしてるのに、なんで今ここで見せつけられなければならないのだ。腹が立つ。
「あはは、体重なんて気にしてるの?」
「そ、そりゃまあ、私大人だもん……体重くらい気にするし」
「諦めなよー。そんなでかでかおっぱいじゃそうそう減らないでしょー、体重」
槍の柄で私の胸をビシバシ叩き、ニコニコ笑いで茶化すイダテンコ。
はあ、何も知らない少女ってのは良いなあ。私は故郷じゃ平均よりちょっと大きい程度。身長が上で体重が下の女性なんてざらなのに。
「それじゃあさ、リエル=トルフ。あっちに座ろうよ。カオスへクスのこと色々聞かせて聞かせて!」
「う、うん」
「へえ、カオスへクス? 知ってるんだ」
おっと、アイスラビットも興味を示した。面倒臭いことになりそうだなあ、と思いつつ視線を逸らすと、食事中だった少年がこっちを見ている。慌てて視線を反対側に向けると、本を読んでいた赤ローブの男と目が合う。
うわ。すごく面倒臭いことになりそうだ。
その予感は当然のように当たり、少年も男もこちらに歩み寄ってくる。
「俺、ムソウマルってんだ、よろしくなリエル=トルフ。俺にも聞かせてくれよ」
そう自己紹介したのは、ボサボサの茶色いショートヘアーの少年。
腰には細身の剣を備え、胸には黒い胸当て、足には鋼のブーツ。よく分からない組み合わせの装備だが、例えるなら軽装の兵士といった様相に近い。口には食べかけの魚の乾物が咥えられていた。
「フラマーだ。我も興味がある」
こちらは赤ローブの男。
顔は焦げ茶色で、紫がかった白髪が乱雑に後頭部で纏められている。落ち窪んだ目の奥では黄色い目が光っていた。一見すると年寄りのようだが、肌の色艶だけは若者のようで少し不気味である。
よく見るとローブの下にはいくつか魔法杖らしきものがぶら下げられているようだ。この人は魔法使いなのかもしれない。
「え、ええ、分かりました、じゃあ、一旦テーブルに座ってから話しましょうか」
そう言いながら、私はどうでもいいことに気がついた。
今この部屋にいる人間で最も背が高いのは私。故郷ではあり得ない光景。
なんだか気恥ずかしさを覚え、私は肩を竦ませ縮こまりながら、席の一つに恐る恐る座るのだった。