キキバイヤの戦い
花の都と謳われた美しき国・キキバイヤ。その首都といえば、段々状に築かれた街、アーチ状の屋根を持った家屋、そして溢れんばかりの花畑が有名だった。他国に興味のない私でさえ知っているくらいだ。
皇国軍の砲台が狙いを定めている以上、それらが燃え尽きているくらいの覚悟はしていた。魔物の暴虐により崩れた城郭をなんとなく思い描き、事前に予想を済ませていた。
しかし──これはどうしたことだろう。
神官の指差す場所にあったのは、毒々しい紫とピンク色に覆われた、肉々しい出で立ちの巨大な一輪花。というか、絶対にあれは花じゃない。あんな不気味で、城を五、六倍も超える種があってたまるか。首都がまるで底の浅い鉢植えだ。
私は困惑の表情で神官に視線を投げかける。それを察した神官は無言の質問に答えてくれた。
「かの花は首都の城内にて突如発生したとされています。急成長した花は城内にいたほぼ全員を飲み込み、周期的に魔物を大量発生させるようになりました。国王以下親族全員が消息不明であり、キキバイヤ国は実質滅亡したものと思われます」
花を愛した国が花に滅ぼされる? そんな悪趣味な最期があっていいのか?
理解の範疇を超えた展開に何も言えず、私は視線をフラフラさせながら辺りを見回す。と、駐屯地の中から接近しつつある、見覚えのある金髪を発見した。
「ガーネ……?」
そう。先に着いていたガーネ=トット・クー・マイニュカッセである。昨日のようなドレス姿ではなく、動きやすそうな皮鎧に厚手のズボンを装備している。
ガーネは私を見上げ、睨みつけながら言った。
「生誕名で呼び捨てるなんて馴れ馴れしいですわね、リエル=トルフ。召喚されし者の付き人に選ばれたぐらいで私に並んだつもりかしら?」
私は黙りこくる。それを無言の肯定と受け取ったのか、ガーネはムッとしたような表情を見せてからそっぽを向いた。
ふと、私は昨日の馬車中での会話を思い出す。
「抜け駆けするんじゃなかったの?」
「抜け駆け? なんのことかしら」
ガーネはバカにしたような表情で見返す。確かに、いきなり抜け駆けだなんだと言っても意味がわからないだろう。言い方を変える。
「こう、召喚され師より先に倒そうとか考えていたとか」
今度は一瞬面食らったような表情を見せ、すぐ真顔に戻った。そして、咳払い。
「……ようやく上の許可を取り付けて、魔力弾頭弾の使用を許可させたところですわ。これから一斉攻撃を仕掛けます。地上砲撃部隊と航空機動部隊で魔物の巣を完全に粉砕するのです」
「やめておけ」
クローディアスが会話に割り込んだ。振り向きすらしていない。ガーネはその背中を忌々しげに睨みつけた。
「あら、それはどういう意味かしら?」
「お前たちの手に負える相手ではない」
「私たちをあまりバカにしないことね。召喚されし者の力など必要ありません」
「『召喚され師』だ」
間髪入れず突っ込むクローディアス。
「どうでもいいですわ、そんなこと」
ガーネは頰を膨らませてクローディアスの顔を睨みつける。
うん。私もそこだけはガーネに同意する。そこだけはね。
「局長!」
突然、慌てた様子の皇国軍兵士が駆け寄ってきてガーネを呼んだ。彼女は兵士に局長と呼ばれているらしい。兵器開発局の局長って偉いんだなあ。
「魔物出現の兆候です! 今までとは比べものになりません!」
「なんですって! こんな時に、なんでまたっ……!」
ガーネは踵を返して駐屯地の方へと戻っていった。
嫌な奴の時は本当に憎たらしいくらい嫌な奴なのに、きっちり決めている時の彼女は人を率いる風格がある。流石親子三代にわたって軍事に関わる家系だ。
……と、呑気なことを考えている場合ではない。巨大一輪花の方に目をやると、その花弁は不気味に震えていた。怖いというより、気持ちが悪い。まるで虫か何かに寄生されてるみたいだ。
「クローディアス様、どうするんですか? あんな大きいものだなんて思いもしませんでしたけど」
「仕事を全うする。それだけだ」
シンプルな答え。だが、いったいどうする気なのか? クローディアスが言うように軍の攻撃が効かないとしたら、彼だってどうしようもないと思うのだが。
──なんの前触れもなく爆音が轟いた。
私は慌てて耳を塞ぐ。連続して響く凄まじい轟音が心臓を叩く。それに耐えながら音のする方向を探すと、大型火砲による砲撃が始まっていた。強力な破壊力を持つであろう魔力弾頭弾が途切れることなく撃ち出され、異形の花へと無数に降り注いでいく。
炸裂する閃光。遅れて轟く爆発音。
どうやら攻撃は効いてるようだ。爆発とともに血煙のような黒い雲が花弁から立ち上る。
「あれっ?」
違う。あれは血煙じゃない。空中を激しく動き回っている。
あの煙のようなものは、全て魔物だ。
ここからでははっきり分からないが、羽ばたいているように見える。何百匹……いや、千……万? もっといる。信じられないほど溢れ出てきている。先ほどまで見えていた巨大花の姿すら見えなくなるほどに湧き出してきている。
もはや首都の向こうに見えていた風景すら全く見えない。魔物の大軍の大群に覆われ、まるで暗幕に閉ざされてしまったかのようだ。
たまたま首都の近くにいた武装ドラゴンがブレスと背中の砲台で攻撃を加える。しかし、押し寄せる黒い濁流に一瞬で飲まれた。姿が完全に見えなくなってからチカッと閃光が煌めき、それっきり。
あまりにおぞましい光景に私は絶句するしかなかった。
「来るぞおおお」
「迎撃用意ぃ」
慌ただしく走り回る兵士たちの誰かが叫んでいた。
迎撃? 無茶な。こんなものどうしようもない。先ほどから矢継ぎ早に連射している火砲も、武装ドラゴンの攻撃も、魔物の群れに飲まれてまるで役に立っていないではないか。
私たちはただ濁流に飲み込まれ、肉体を粉々に砕かれ、血も骨も残さず食い尽くされる。そうに違いない。
あー、くそう。どうして一時の欲に負けて治癒魔法なんか使ったんだ、私は! こんなことになるなら治癒魔法の才能もいらなかった。
お父さん、お母さん、私はあなた方を呪います。
「俺より後ろにいろ」
不意にクローディアスが歩き出した。雲霞のように湧き出す魔物の方へと。
「ちょ、ちょっと、クローディアス様……!?」
私は一歩踏み出して彼の名を呼ぶ。クローディアスは気にも留めず歩き続ける。怯えている馬車馬の横を過ぎ、突貫的に作られた粗末な柵を乗り越え、荒れた草地をゆっくりと歩いていく。
自殺行為だ。まあ、ここにいること自体が自殺みたいなものだが。
黒い濁流のような魔物の大群が近づくにつれ、個々それぞれの姿がはっきりと見えるようになる。
羽の生えた細長い虫のような魔物、千足虫。
複数の目とヒレを持つ毛むくじゃらの魔物、海洋狼。
口が腹まで裂けた人間のような魔物、夢喰霊。
どいつもこいつも醜悪で見るに堪えないというのに、その口からは金属を引っ掻くような凄まじい金切り声の大合唱だ。五感があることを後悔したくなる。恐怖と嫌悪で今にも吐きそうだ。
クローディアスが右手で剣を抜く。それはやはり小さく、あまりに頼りない。あんな短剣で何をする気なのか。もう大群は目の前だ。
ひゅっ。剣が空気を裂く音。
大地を揺らすほどの砲撃音が止め処なく轟き、鼓膜を裂くような魔物の叫びが響き渡っているというのに、その風切り音だけは私の耳にはっきりと届いた。
魔物の接近が突然緩やかになる。目玉の一つ、牙一本まではっきりと見える。これが死ぬ直前に見る走馬灯というものか。ああ、飲み込まれる。爪で裂かれ、歯に砕かれ、食われて死ぬ。殺される。
だが、そうはならなかった。
風切り音が重なっていく。火球を召喚した時と同じだが、違う。風は集まらない。広く拡く、際限なく散乱していく。それが魔物の群れを押し留めていたのだ。
いや、押し留めるに留まらない。数えきれないほどの魔物たちを一斉に押し返していく。
魔物たちが苦しみに叫ぶ。その声はほとんど聞こえない。重なり合った風が、声を、肉体を、魂を、魔物の全てを引き裂いていく。
「吹き飛べ」
確かにクローディアスがそう言うのを私は聞いた。
その瞬間、彼の前に巨大な渦が巻き起こる。巨大すぎて何が何だか分からないほどだ。渦は魔物を微塵に破壊し、激流となって押し流す。破片はさらに細かく砕かれ、潰され、煙のようになり──。
雲が晴れた。
魔物は影も形もなく。
一輪花は花弁を散らし茎だけになり。
キキバイヤ首都は土台しか残っていなかった。