悪い癖
「おお、我々の呼びかけに応え、よくぞおいでくださいました。召喚されし者クローディアスよ」
大男の名はクローディアスというらしかった。
高位神官を筆頭に、神官たちが一斉に跪く。そのせいでクローディアスの姿が余計に大きく見え、威圧感がより一層増した。
こんな恐ろしげな奴の支援をしなければならないと思うと、むしろ選別されるエリート魔法使いが哀れにも思えてくる。実際周囲の魔法使いたちは明らかに引いていた。自信に満ち溢れた表情をしていたガーネも、今や露骨に顔をしかめている。
ありがとう、お母さんお父さん。私を才能なしで産んでくれて。今だけは純粋に感謝できます。
「『召喚され師』だ」
ボソリとクローディアスは呟いた。抑揚のない棒読みだ。神官たちは一瞬硬直し、戸惑うような仕草を見せる。
「まあいい。何の用で呼んだのか手短に話せ」
「あ、はい、では私から」
上級神官の一人が立ち上がる。手にしているのは魔光紙。記録魔法によって膨大な量の文章や絵を記録できる代物で、大体の魔法使いは日常的に使っている。当然のことながら、記録魔法が使えない私にとってはただの紙と変わらない。
「およそ百五十日前のことです。西の国家キキバイヤにて……」
神官の声が止まった。それもそのはず、クローディアスが人差し指で神官の口を塞いでいたのである。サーッ、と建物内部の空気が凍りつく音がした……ような気がした。
「今俺に何をさせたいのか。それだけ話せ」
クローディアスが指を離す。いきなり虐殺でも始まりそうな殺伐とした雰囲気だったが、単に長い話を嫌っただけのようである。体がでかい割に細かいことを気にする男だ。
神官は狼狽えたようなうめき声をあげ、一歩後ずさりした。が、すぐに持ち直し、咳払い一つして真顔に戻る。流石は上級神官、立ち直りが早い。私ならショックでぶっ倒れてるだろう。
「キキバイヤに現れた魔物たちを全て討伐してください」
「了解した」
神官の言葉に間髪入れず答えるクローディアス。そして、そのまま出口に向かって歩き出した。一人で行くつもりのようだ。
え、っていうかキキバイヤ? 花の都で有名な? 召喚なんて秘術が必要なくらい大変なことになっていたのか。全然知らなかった。
「お待ちください、クローディアス様!」
高位神官が大慌てで声を張り上げる。
「どうか我々にも協力させて頂きたい! 今日ここに集まった魔法使いは皆優秀な者ばかりで……」
「必要ない」
クローディアスは足を止めない。まあ、その方がいいだろう。召喚された存在はものすごく強いという話だし、第一報酬目当てでこんな不気味な男に着いていくのは気が滅入る。このまま立ち去ってくれれば、それはそれで結構なこと……。
だが、それに待ったをかける者が現れた。
「待ちなさい、クローディアスとやら」
ガーネである。私の隣で不快そうな表情をしているが、口元だけは真一文字に強く結ばれている。クローディアスは立ち止まり、彼女へ視線を向けた。
「私たちを無視しようとはいい度胸ですわね。ここに集まる魔法使いたちのほとんどは血筋に優れ、学校を優秀な成績で卒業し、高位の職に就いている者ばかり。支援するように頼まれ集まったというのに、黙って通り過ぎられてはプライドを踏みにじられたも同然ですわ」
ガーネは腕組みしながら私の前を通り抜け、クローディアスの前に堂々と立ちふさがる。
「皇国兵器開発局局長である、このガーネ=トット・クー・マイニュカッセを連れて行きなさい」
相手は頭三つ分以上背が高い。そんな相手を眼前にしても、彼女の発する言葉は絶対に通さないという強い語気を孕んでいる。
あんな死神みたいな男の前によく正気で立っていられるものだ。私は更に小さく縮こまった。
一呼吸ほどの間を置き、クローディアスは一言。
「必要ない」
す、という衣摺れのような音がした。いつの間にかクローディアスはガーネの後ろに立っている。にわかに神官と魔法使いたちがざわめく。私も面食らい、呻くように意味のない言葉を漏らす。瞬きした訳でもないのにすり抜けたことにまるで気がつけなかった。
だが、ガーネだけは驚きよりも怒りが勝ったようだった。
「《揺らめく灯、消えゆく光──》」
あれは……多分、火球呪文だ。炎の球をまっすぐ飛ばす魔法。うろ覚えなので下級だか上級だかは忘れたけど、それをクローディアスの背中に撃ち込むつもりなのだろうか。流石にそれはまずい。魔法で生み出された炎は簡単には消えないのに。慌てふためく神官が視界の端に映る。
振り返る彼女の顔は、今まで見たこともないくらい、憤怒に歪んでいた。私に見せていた余裕なんて微塵もない。ゆらりと持ち上がる右手には煌々と輝く炎が集まっていく。私はガーネが居ない分だけ空いた長椅子の奥へと詰めた。とばっちりだけはごめんだ。
「《燃える、集まる、虚空の怒り。飛び行き焼き尽くせ、火球》!」
呪文が唱え終わった瞬間、ガーネの手のひらから勢いよく火の玉が飛び出した。熱さに思わず顔を背ける。クローディアスはというと、何もせず背中を向けたままである。正気か?
直後、軽い熱風が辺りを襲った。数人の短い悲鳴が建物内に木霊する。そして、長い沈黙。いや、ほんの一瞬だったかもしれない。
「火球魔法か」
クローディアスの声。顔を上げると、先ほどまで彼の立っていた辺りは煙に包まれている。よく見えないが無事のようだ。
なんで? 魔法の火も消えてるし。理解不能だ。
「なっ……!?」
ガーネは面食らったような表情を見せている。そりゃそうだ、遠巻きに眺めていた私だって信じられない状況だし。
煙が晴れると、クローディアスはいつのまにか右手で剣を抜いていた。それほど大きくはない。むしろ、彼の体格からすると小さすぎるくらいの細身の剣。それを右肩から背中に向けて構え、火球を防御したようだった。普通はそんなことで防げる代物ではないのだが。
「似たようなことなら俺でもできる」
クローディアスはそんな妄言を吐き、ガーネに向き直った。剣を左肩上に構える。そして、振る。
ひゅう、という風切り音。しかし、一瞬で消えるはずのその音が重なっていく。どんどん重なっていく。何が起こっているのか全然わからないが、風切り音はどんどん『中心』に集まっていく。うるさい。堪えられない。耳を塞ぐ。
急に目が眩んだ。熱い。薄眼を開けながら見ると、クローディアスの前には眩いばかりの火球が出現していた。
「ど、どういうこと……何が起こって……」
明らかにガーネは怯んでいた。そりゃそうだ、呪文もなしに剣を振るだけで魔法が現れるなんて、常識の埒外の出来事である。
クローディアスは御構い無しに、再び剣を振るった。火球が加速する。まっすぐ、ガーネに向かって。直後の惨劇を予感し、一斉に悲鳴が上がった。
しかし、火球は予想に反してガーネの遥か頭上を通り抜ける。そのまま徐々に減速し、部屋の天井近くに達した瞬間、派手に弾けた。火花がバチバチと音立てながら内壁を舐める。
倒れて目をパチクリさせるガーネも、中空とクローディアスを交互に眺める魔法使いたちも、天井を見つめてあんぐり口を開けたままの神官たちも、長椅子の陰に隠れて冷や汗を流している私も、誰一人一言一句として発せられなかった。
「もう一度言う。助けは必要ない」
今まさに出て行こうとするクローディアス。その足元へ、立ち直った高位神官がすがりつくように迫った。
「それは困りますっ! 誰か一人でもよいのです! どうか、連れて行ってやってはくれませんか!」
この必死さは首か何かでもかかっているのかもしれない……それもそうか。召喚の儀自体初の試みだったはずだし、皇帝陛下直属の神官様ともなれば責任も大きい。下手をしたら糾弾されて辞職、財産取り上げ、放浪の末に野垂れ死に。私にはまるで関係ないことだが、とても哀れなことだ。
「必要ない」
また同じことを呟いてる。魔動像並に語彙のない男だ。私はクローディアスの超常的な強さに怯えると同時に、驚くほど適当な会話内容に呆れつつあった。
幾らかの押し問答の末、クローディアスはようやく出ていく素振りをやめて向き直る。愛想はないが、強く頼まれると無視できない性格のようである。
「一応言っておく。魔物を殺すという事に関して俺以上の者はこの場にいない。連れて行くとしたら、それ以外の魔法が使える者。その括りでも俺が使えると判断した者だけだ」
部屋は静まり返る。ガーネも彼を睨みつけるだけ。
そりゃそうだ、呪文なしで魔法じみた技を見せられては黙るしかない。高位神官殿は今にも泣き出しそうなくらい慌てている。かわいそ。
たっぷり時間を置いて、クローディアスは再び喋り始めた。
「分かった、もっと簡単でいい」
再び剣を抜き右手で構える。今度は何をするのかと思いきや、マントの下から左手を突き出して見せた。袖はなく、柱のように太くがっしりとした腕がはっきりと見える。その黒鉄のような腕の中ほど辺りに剣を置いて──。
ぱ。ごとん。
赤いモノが飛び散った。太い腕が床に落ちる。今日三度目の悲鳴が上がった。
「これを治療できた者を連れて行く」
誰も近づかない。もう皆が皆恐慌状態に近い。皇国兵を呼ぼうと叫ぶ者。腰を抜かして這って逃げる者。ひたすら暴言を吐く者。十人十色の悲鳴を上げながら距離をとるのに必死だ。
ただ一人、私を除いて。
「い、いいんですか……」
答えは聞かない。いや、聞こえない。何も。強烈な耳鳴りが聴覚を完全に麻痺させている。
視界一杯に映るのは勢いよく吹き出す赤、赤、赤。その強烈な艶に魅せられて、私はフラフラと出来損ないの生屍人のように歩み寄る。我慢できない。できるわけがない。
「《眩い木漏れ日、恒久の癒し──》」
一日たりとも忘れずに使い続けてきた呪文。それは淀みなく口から溢れてゆく。突き出した自分の両手に淡い緑光が集まる。落ちている腕を無造作に拾い上げ、切断面へ押し当てた。
「《止まる、留まる、天の慈悲。注ぎ注ぎ癒されよ、治癒》」
薄緑の強い光が傷口を包み込む。魔力が組織を繋いでいく。傷口が美しく塞がっていく。その過程から目が離せない。視線が動かせない。心臓の鼓動五つ分きっかり数え、手を離す。
やった。やってやった。完璧な出来だと胸を張って断言できる。見よ、指先まで完璧に違和なく動いているではないか。今にも高笑いが出そうな高揚感が背筋を突き抜け、私は悶えた。
「いいだろう。お前を連れて行く」
天上からの言葉でハッと我に返る。視界がはっきりしていく。耳鳴りが去っていく。騒めきがはっきりと聞こえるようになった。
私は……恐る恐る見上げると、カッと見開いた眼球と目があった。
「えっ? あ、いや、あの」
「お前を連れて行く」
顔から血の気が引く。代わりにゾッとするような後悔の念が胃を這い上ってきた。何らかの言葉を発しようとして口をパクパクさせるが言葉にならない。
「名前はなんだ」
口の中がカラカラで、喉は何かがつまったような違和感で満たされている。何を言おうとしても言葉にならない。結局私の名を告げたのは、必死で魔光紙を探っていた上級神官だった。
「リエル=トルフ・クー・アザストリ! その者の名はリエル=トルフ・クー・アザストリです! どうぞよろしくお願いします、クローディアス様!」
「了解した。来い」
クローディアスに右腕を掴まれ、引っ張られる。ものすごい力だ。とても抵抗できる力ではないし、そういう雰囲気でもない。最早、自ら飛び込んだこの流れに身を任せるしかなかった。