章始め:異常繁殖
その日、ガジン級召喚され師の《真理歪曲》ヒュムリーは、遠くの光景をただ呆然と眺めていた。
彼の視線の先には本来、魔王住まう城があるはずだった。彼の左目を覆う魔道具、地形指示器がそのことを示している。
しかし、山脈地帯に構えているはずの魔王城はどこにも無い。代わりにあるのは反射光すら無いほど黒い、どこまでも巨大な塔。天を衝くその頂は渦巻く黒雲の中へと消えている。
ヒュムリーは一旦背後の森林へと戻った。青々と茂る初夏の木々が彼の体を覆い隠す。
「おいおい、こんな状況聞いてないぞ……まさかカオスヘクスじゃないだろうな? だったら僕一人じゃ対応できないよ……」
ネクタイを緩め、ワイシャツを煽って空気を送り込み、焦る気持ちを抑える。彼の額を一筋の汗が垂れ落ち、それをブレザーの袖で拭い取った。
一つ深呼吸。そして、ようやく左手のギルドリングを握り、救援を求める。
「助けてくれ。カオスヘクスかもしれない」
程なくして彼の周囲に二つの青い魔法陣が現れた。人間のシルエットが足元から現れていく。
一人は赤いゴーグルをかけた長身の男。癖のついた白髪が肩まで伸び、体には深緑色のロングコートを羽織っている。細長いタレ目がゴーグル内に見えた。
もう一人は猫のような耳を頭の上から生やした少女。手には丸い手甲がはめられ、先から鋭い金属製の爪が生えている。大きな瞳の細い瞳孔がヒュムリーを見据えている。
「オズリンド、ナナン、来てくれてありがとう」
ヒュムリーは右手を差し出した。
「ふっ」
赤ゴーグルの男は鼻で笑い、ヒュムリーの手を払った。彼の名は《泥土師団》オズリンド。ヒュムリーよりベテランの、イゴン級召喚され師だ。
「他人行儀はよしな。友達じゃないか、ヒュムリー」
「そうそう」
猫耳の少女、《獣性響声》ナナンがヒュムリーの肩に手を置いて頷く。こちらはヒュムリーと同じく、ガジン級の召喚され師だ。魔道具である猫の手形手甲を揺らめかせ、ニマニマ笑っている。
「ヒュムリーにとってアタシらはそんな関係なわけぇ?」
「い、いや、そんな事ないよ、ナナン」
ヒュムリーが照れ臭そうに否定していると、遠くの塔を観察していたオズリンドが呟いた。
「なるほど、確かにカオスヘクスだ」
この三人の中でカオスヘクス戦の経験があるのはオズリンドだけ。それ故、彼の判断は最も信頼のおけるものとなる。
「やっぱりそうなんだね」
「このゴーグルの脅威度測定器が全く反応しない。あれが外から来た存在であることを明確に示している、というわけだ」
そのように説明しつつ、オズリンドは左手を掲げる。すると、大地から続々と人型存在が溢れ出した。手に手に刀剣や弓、銃に砲といった武器を持っている。
彼のスキル《泥土師団》は、地面から自在に分身を生み出す能力。個々の強さはウツロ世界に準拠したものだが、大地ある限り戦力は尽きない。
「カオスヘクスは俺一人で勝てる相手じゃあない。ヒュムリー、ナナン。しっかり協力してもらうからな」
「任された!」
ナナンが手甲を打ち鳴らす。経験は浅くとも、彼女はこの三人の中で唯一、前線の戦いに適した戦闘スタイルの召喚され師である。
「雑魚が来たら私が打ち払っちゃうから!」
「任せた」
「だ、大丈夫かなあ。カオスヘクスだよ?」
不安そうなヒュムリーに対し、ナナンは笑顔で親指を立てる。
「平気平気! いつかカオスヘクスとは戦ってみたかったしね!」
その間にも続々と泥の兵隊は森を埋め尽くしていく。その数、既に千以上。標準的な魔王の軍団を十は葬れる戦力だ。それでもカオスヘクス相手ではかなり分が悪いのだが。
「よし。斥候を送るぞ。ヒュムリー、彼らを塔の近くへ送ってくれ」
オズリンドの指示で、ヒュムリーの近くに二体の兵が駆け寄る。どちらも大きな火砲を肩に抱えており、あまり斥候らしい格好ではなかった。が、これがオズリンドのやり方であることをヒュムリーは既に理解していた。
「了解。《真理歪曲》」
ヒュムリーがスキル名を唱えるや否や、兵士の姿は忽然と掻き消えた。次に彼らが現れたのは、巨塔から数百メートルの位置である。
これがヒュムリーのスキル、《真理歪曲》。任意の空間を歪め、時には対象を破壊し、時には対象を移動させる。経験の浅い彼にはまだ使いこなしきれていないが、それでも十分に強力なスキルである。
さて、斥候の兵士たちは手にした火砲で攻撃を加え始める。燃料の詰まった弾丸が次々と撃ち出され、滑らかな巨塔表面を高熱で焼いた。全くダメージの兆候はないが、それでも攻撃を加え続ける。
その時、微かな地鳴りを三人の召喚され師は聞いた。
「カオスヘクスの反応を確認した。二人とも、見えるか」
ヒュムリーとナナンは目を凝らして巨塔を見る。すると、雲間から何かがゆっくりと降りてくるのが見えた。
「うーん、ムカデかな?」
ナナンが呟く。真っ赤なそれは確かに巨大百足のように見えた。幅約十メートル、長さは見えている部分だけでも百メートル以上。背の硬質部分から生えた二対の角が特徴といえば特徴だ。頭部の中心にはカオスヘクスのコアたる黒い頭が埋まっている。
塔を降りる百足型カオスヘクスは、背の角から一発の紫色の光弾を放つ。それが地面に突き刺さった瞬間、一瞬の閃光と共に、斥候たちの居た場所が溶け落ちた。当然、兵も一瞬のうちに元の泥へと戻る。
「あの攻撃に注意するんだぞ。部隊展開を開始する」
オズリンドの指示が瞬時に行き渡り、泥の兵士たちが即座に前進を開始する。遠距離攻撃可能な兵は森の前で隊列を作り、その隙間を縫って近接戦闘役が行く。
彼らの先頭はナナンだ。猫耳をぴょこぴょこ動かし、両手を勇ましく振るう。
「よっしゃー! 掛かってこーい!」
その言葉がヒュムリーの耳に届いた瞬間、遠距離攻撃部隊の砲撃が轟いた。無数の弾丸が空を飛び、矢が空を裂き、魔法の閃光が迸り、百足型の体に突き刺さる。
それらはただの弾ではない。攻撃力上昇や爆発力上昇といった単純なものから、必中、即死といった特殊なものまで。数々の強力なエンチャントが施された特殊な弾丸だ。オズリンドの生み出す兵は、自在にウツロ世界のエンチャントを施せるのである。
百足型の巨体が爆炎に飲まれる。アトランダムな状態異常を齎す呪煙がもうもうと立ち上り、毒々しい色で百足の姿を覆い隠す。
「来るぞ」
爆音の中、オズリンドの警告がいやにはっきりと響いた。ヒュムリーが緊張を高めた瞬間、紫色の光弾が呪煙を裂いた。一発ではない。無数の乱射である。
「くっ!」
ヒュムリーは即座にスキルを使い、森に押し寄せる光弾の大半を反転させる。それらは正確に塔へと帰って行き、強烈な紫の閃光を発した。
しかし、全ての光弾を返せた訳ではない。ほんの一部は地上に落ち、近接武器を携えた兵士たちを何十と溶解させた。魂を砕く攻撃の前に、彼らに施された防御力上昇、抵抗力上昇、無敵といったエンチャントはまるで意味を成さなかった。
「いい働きをしているぞ、ヒュムリー」
オズリンドはヒュムリーを一瞥もせずに褒める。彼はスキルによる兵士生成に集中していた。今も続々と泥の兵士たちが立ち上がり、森を抜け、戦列を通り、塔へと歩を進めている。辺りの地面は既に五十センチほど抉れていた。
途切れぬ砲撃。連続する爆発。降り注ぐ紫の閃光。さながら戦場だ。
だが、相手はカオスヘクス。この程度で終わるはずもない。
「加速しているな」
そうオズリンドが呟いた瞬間、煙を抜けて百足型の頭部が現れた。続いて胴が、足が。ガチガチと鼓膜がむず痒くなる音を立てながら、塔に爪を立て、その周りを激しく走り回る。
真紅の外殻はところどころ欠け、足や角も幾つか折れていた。大きなダメージは無いが、このまま攻撃を続ければ勝てる。そうヒュムリーは確信した。
「いけそうだね、オズリンド」
「待て、何かおかしいぞ」
喜びを見せたヒュムリーを制止し、目を凝らすオズリンド。視線は巨塔の麓辺りに集中している。
「ナナン! お前の働きが必要そうだ!」
ギルドリングに向かって叫ぶオズリンド。直後、巨塔の麓で山脈が破裂した。猛烈な土煙が立ち上ったと思うと、一気に魔物の群れが飛び出してくる。
「良かったー、私にも活躍の場あって!」
地を覆い、空を埋め尽くす小さな虫型魔物の大群。その中に紛れる昆虫と人間の大型キメラ、巨蟲類。数十メートルの巨大な芋虫を象る魔物、街郭蟲。
それらを前にしても尚、ナナンは狼狽えない。腰を落とし、深く息を吐き出し、戦闘態勢を取る。
押し寄せる魔物があと数十メートルの地点まで来たその時、ナナンは突如叫んだ。
「カーッ!」
辺りに響き渡る強烈な声。その大音声を聞いた瞬間、小さな虫型魔物たちが一斉に事切れた。勢いを失って地に転がる虫、空中からすとんと落ちる虫。大型の魔物を除き、雲霞の如く押し寄せた魔物たちは完全に死に絶えた。
これぞナナンのスキル、《獣性響声》。声によって他者の生命力を奪い取り、自分のものとする。広範囲へ響かせれば、それだけ威力は大きく下がるが、小型の魔物程度なら瞬きする内に息絶える。そして、奪った生命力は魔道具である猫の手型手甲へと注ぎ込まれるのだ。
鋭い鎌を振り下ろそうとする巨蟲類にナナンは拳を叩き込む。強化された手甲から光刃が伸び、頑強な甲殻を鎌ごと瞬時に引き裂く。
泥の近接戦闘兵たちが数人で相手しなければならない強力な魔物も、莫大な生命力を吸収した今のナナンにとっては羽虫と変わらない。
「おりゃおりゃおりゃーっ!」
街郭蟲をまとめて三体ぶった切り、返す爪で周囲の巨蟲類をバラバラに引き裂く。見る見る内に魔物たちは数を減らしていった。
「コアは確認できないが、恐らくあの塔もカオスヘクスだろう。この世界には二体のカオスヘクスが居るようだな」
「に、二体も……!」
恐れおののくヒュムリー。だが、オズリンドはニヤリと笑ってみせる。
「心配するな。俺もナナンもいるじゃないか。敵の攻撃にきっちり対応していけばなんとかなるさ」
塔の上方で紫の光が不気味に輝き、渦巻く曇天を紫色に染める。百足型が上空から攻撃を行うつもりのようだ。
「任せてくれ!」
素早くスキルを展開するヒュムリー。中空に薄く広く反転空間が現れ、押し寄せる光弾を正確に跳ね返す。分厚い雲は引き裂かれ、塔上部で閃光が輝いた。
「よし、あれだけ跳ね返せばかなり──」
「んっ!?」
オズリンドが違和を覚えたかのような声を発する。その様子に気を取られたヒュムリーが彼の表情を伺おうとした瞬間、オズリンドが叫んだ。
「離れろ!」
突き飛ばされるヒュムリー。
「オズリ──」
刹那、何十という細い赤光が辺りを貫いた。木々がちぎれ、葉が高熱で蒸発し、深緑のコートがバラバラに引き裂かれる。
「オズリンドッ!」
ヒュムリーが叫んだ。
オズリンドの体は右肩から左腰にかけて、半分に切断されていた。赤いゴーグルが外れ落ち、その下から生気のない灰色の瞳が覗く。
「ひゅふっ」
それがオズリンドの発した最期の言葉。ゴーグルは地に落ち、砕けて破片を撒き散らした。辺りの泥人形たちは主人との繋がりを失い、次々と崩れ落ちていく。
「ヒュムリー!? オズリンド!? 何があったの!」
頽れる泥の兵を目にし、ナナンの狼狽した声が遠くで響く。しかし、未だヒュムリーは事態を飲み込めていない。たかだか六十回程度の召喚数の少年に、今の状況を素早く理解するというのは酷な話だ。
ナナンは猛スピードで引き返し、森の入り口まで一気に駆ける。
彼女がヒュムリーの姿を視界に捉えたその瞬間、辺りの異様な暗さに気がついた。見上げると、そこには赤いクラゲのような怪物が。無数に生えた鎖状の足先に人間の手が付いている。ゆらめく傘の中には確かにカオスヘクスコアがあった。
「我々はカオスヘクス」
三体目のカオスヘクスである。
「ひっ、嘘っ……!」
ナナンは手甲から光刃を伸ばし、襲い来る鎖をがむしゃらに切りつける。だが、無数の魔物の生命力で強化されたそれですら、細い鎖を切断するには至らない。切りつけても切りつけても、表面にうっすら傷がつく程度だ。
「あるいは混沌の使者」
攻撃が突如激しさを増す。ついにナナンは避けきれなくなり、顔を、猫耳を、肩を、腕を、腿を、足先を、人間の手が掴む。彼女の目に恐怖の色が浮かんだ。
「あるいは崩壊の象徴」
鎖が一気に引き絞られる。
ぼりゅん。
そんな音がして、ナナンは三十センチ四方の箱状に収まった。
無造作に投げ捨てられた仲間を呆然と眺めるヒュムリー。上面から覗く彼女の片目が虚空を見つめていた。
「な、なんで、なんで」
ヒュムリーは未だ状況を理解できないまま、視線を上げる。
赤いクラゲ型。深紅の百足型。漆黒の巨塔型。既知のそれらだけではない。
塔の中腹部には銃を構えた人型、塔に張り付く蜘蛛型。
空を飛ぶは毒々しい色合いの蝶型。
塔の麓には今まさに立ち上がろうとしている巨大甲殻類型、それに巨人型。
「なんでこんなにカオスヘクスがいるんだ」
絶望の言葉がヒュムリーの口からこぼれ落ちる。
「我々はカオスヘクス」
ゆっくりと降下を始めるクラゲ型。ナナンを仕留めた触手が寄り集まり、人間の手がヒュムリーの体を掴む。顔を掴んだ手の圧力で、彼の片眼鏡が砕け散った。
「あるいは混沌の使者」
「……るな」
目を見開き、クラゲ型のコアを見据えたまま、ヒュムリーは言葉を絞り出す。
仲間を失った悲しみが彼の心を引き裂いた。理不尽に対する怒りが彼の心を焼いた。彼はもう、何も考えられない。
「ふざけるなあああっ! 《真理歪曲》!」
喉が裂けそうな程の叫び。歪曲空間が発生し、クラゲ型の全身を包む。風に揺れていた傘がぐにゃりと歪み、触手が歪に曲げ伸ばされ、金属が激しく軋むような強烈な音を発する。
その空間の効果範囲は目の前のカオスヘクスに留まらない。歪まされた空間に木々が、泥土が根こそぎ引き摺り込まれ、一瞬のうちに目に見えないほどの砂塵へと擂り潰される。
最大出力で生み出された歪曲空間で生存できる者などいない。それが例え、外なる存在たるカオスヘ──。
ぼりゅん。
「あるいは崩壊の象徴」
それがヒュムリーの耳にした最後の声だった。




