第一話 ギャル死神アケミ
「ちゃーす」
それは大通りから住宅地に入ったところでのことだった。妙にゆるくて軽い声がした。
学がそちらに目を向けると黒いパーカーの女性がひらひらとこちらに手を振っているのが見えた。
うっすらと焼いた肌、それから肩までの髪はあまり綺麗でない染めた金色。
ホットパンツから伸びるむき出しの脚もそうだけれどなんだか派手な雰囲気の人で、女の人というよりはギャルとかそういった言葉の方が近いかもしれない。
見覚えはなく、だから多分会ったこともない。
けれどもそのギャルはなぜだか気安い様子でこちらに近づいてくるのだった。
「や。はろっス」
「え、っと……?」
「ん、わたし? アケミって名前だよ」
聞いたことのない名だ。余計困惑する学の様子に気づいてか、アケミとやらは言葉を付け足した。
「あと死神。どうぞヨロしくぅ!」
何も分からないのはそのままだが、とりあえず関わってはいけない人種のようだった。
「なんでさ。なんで逃げるのさー」
そそくさと早足に歩き出した背中に声が追いすがる。
「怖がんないでよー。ちょっと訊きたいことがあるだけだから止まってってばー」
無茶言うなと思いながら速度を上げた。
そう言われて一体何人が止まるというのか。
と。
「ねえ。学クンってば」
教えていないはずの名前を呼ばれた。
ぞっと背後を振り向くと目が合う。
フードの下の不気味な笑み。
学はとうとう堪えきれなくなって、一目散に駆けだした。
相手は追ってこなかったが、それがなおのこと恐ろしく思えた。
◆
「ただいま」
リビングの戸を開けながらつぶやく。といっても母は仕事だ。
無人の家からは返事が帰ってくることはない。
だからあるはずのない返事が聞こえた時、学は硬直するしかなかった。
「おかえりー」
アケミはまるで当然のような顔でソファーにもたれてテレビを見ていた。
こちらを振り向いて言う。
「や。遅かったじゃん」
「な……え……?」
なんで。鍵は? どうして家を知っているんだ?
いろいろな問いが頭を駆け巡るけれどどれも言葉にはならない。悲鳴すら上げられない。
後ずさろうとして踵を引っかけた。
尻餅で閉じてしまった目を再び開くと、ちょうどアケミがソファーから立ち上がったところだった。
こちらにゆっくりと近づいてくる。
学は喉の奥がきゅっと締まるのを感じた。
恐怖で悲鳴を上げたいのに、その恐怖のせいで声が出ない。
逃げ出すことを思いついた時にはすでに敵は目の前だった。
こちらを見下ろすどこか冷たい視線。
彼女はゆっくりとこちらに手を伸ばしてきた。
学はきつく目を閉じた。
「これさ。電池切れてるよね」
「……は?」
不可解な言葉に思わず顔を上げた。
アケミはこちらにリモコンを突き付けると、言葉を繰り返した。
「電池切れだと思うんだ、これ」
意味が分からずアケミの目を見返すと、彼女は苛立ったように言葉を強くした。
「だーかーら、リモコンが反応しないんだって。チャンネル変えるのにいちいちテレビんとこまで行くのタルいんだって。めちゃウゼエよこれ」
「ええと……」
「替えの電池どこよ」
ふらふらと離れた棚の引き出しを指さすと、アケミは立ち上がった。
「まったく、いきなり逃げ出すわ質問にはすぐ答えないわ最近の子ってもう」
何やらぶつぶつこぼしているようだが、学にはかなり訳が分からなかった。
(一体、何……?)
「いつまでそこに座ってんの?」
電池を替え終えてソファーに着いたアケミが言う。
学は混乱したままながらもなんとか立ち上がった。
とりあえず危険な人ではないらしい。
変な人であることは間違いないが。
おそるおそるそばまで行くと、彼女は隣を示した。
「どうぞ」
「……どうも」
居心地悪く相撲を見終わった後。
「あー面白かった」
立ち上がって伸びをしたアケミは、そのまま玄関の方へ行こうとした。
「じゃーね」
「いや、あの!」
面倒事を嫌う気持ちよりも知りたいと思う欲求の方が勝った。
「ん?」
「いやその。何しに来たんですかあなた」
「んー?」
何か妙なことを言われたかのようにアケミは顔をしかめた。
が、数秒して理解したらしい。眉間のしわが消える。
「聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと?」
「そう。とっても大事なこと」
「……でも忘れてた?」
「うん、忘れてた」
悪びれる様子もなく言う。今度は学が眉間にしわを寄せる番だった。
「なんなんですかあなた」
「まあいいじゃん。それよりさ、和泉香奈ちゃんって知ってる?」
「はあ、まあ。同級生ですし」
「その子の家、教えて」
「嫌です」
「えーっ。なんでよ」
あなたが怪しすぎるからです。とは言えない。
「いや……そんなことよりなんでここの鍵を開けられたんです? あと僕の家がわかったのはどうして?」
話をそらしたのはごまかすためもあったが、一応純粋に気になってはいた。
アケミはそれらの問いにたった一言で答えてみせた。
「死神だから」
「……そうですか」
もういいやと思った。
とりあえず一刻も早く帰ってもらおうとも。
その気配が伝わったのかもしれない。アケミはちぇっ、と舌打ちして背中を向けた。
「まあいいや。今度こそじゃーねー」
リビングのドアが閉まり、しかし玄関のドアの開閉音はしなかった。
訝しく思っているとようやく音がしたが、仕事を終えた母が返ってきただけだった。
「ただいま」
「おかえり……ってあの、誰かいなかった?」
「誰かって、どこに?」
「玄関のとことか、すぐそことか」
「いないわよ。……なんかあったの?」
母は訝しげな顔をしたが、すぐにキッチンに入っていってしまった。
途方に暮れた学が視線を巡らすと、鳥籠の中のインコと目があった。
小さなそのインコはきゅっと首を傾げて見せた。




