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 こちらのやり取りをじっと見つめていたカーラが、ようやく口を開いた。


「――それで。覚悟はいいの、リン?」


「何の覚悟でしょうか」


「一つ、良いことを教えてあげるわ。貴方が私と初めて会ったときに殺したゴブリンね。あれも元々は人間だったのよ。四人組の冒険者パーティでね。最後の一人を捕まえて、丁度ゴブリンに変えたところで、貴方が現れたの。驚いたなあ、あの時は」


「はあ。……四人組? 僕が殺したのは、三体と記憶していますが」


「逃がした一人が、一体殺しちゃったのよ。可愛かったわあ。涙目になっちゃってさ」


「そうでしたか。納得しました」


「……貴方って存外人でなしなのね。今まで殺してきたゴブリンが人間だと知って、何か感想はないの?」


「感想ですか? いえ、確かに多岐にわたる魔法の使い道には、驚くばかりですが……」


「ふうん……。そこの爺が死んだことについては?」


「特に、何も。また新たに捜すのは、少々面倒ですけれど」


 カーラが構えているのは片手剣。間合いという点では、明らかに槍が優位にたつ。闘えば、まず間違いなく、僕が勝てるはず。

 しかし不安なのは、この足だ。上手く力が入らない。踏み込みも後退も難しい。これで対応しきれるだろうか。


 槍を構える。互いの距離は長い。ここは彼女の接近を待つ。


「……本当に?」


 仕掛けて来るか、と思ったが、そうではない。彼女は庭に倒れる人々の中から、いまだ呻き声をあげる一人に近付き、左手で触れた。


 脚が痛む。いつもならこの隙に、間合いを詰められるのだが。


 カーラは再びゴブリンを造ったようだった。眩い光と、緑の小人。


「殺せ」


 剣を持ったそれが接近する。槍の射程に入り次第、斬り殺す。


 カーラはゴブリンがやられたというのに、何故か楽し気にしている。


「そ。やっぱり人でなしね」


「何がですか? 確かにゴブリンは、人ではありませんが」


「え? ふふふ、嘘? はは……。ゴブリンのことじゃないわよ。リンに決まってるでしょう?」


 乾いた笑い声が響く。全く面白そうではないのに、どうして彼女は笑うのか。


「僕、ですか。僕は人間ですが」


「人間? 冗談言わないで……、貴方なんかに人間を名乗る権利はないわよ。極悪人の私だって、殺人には罪悪感を覚えるのに……。可哀想に。頭がおかしいのね、貴方」


「分かりません。僕はただ……」


 僕はただ、何だろう。


 僕はただ、殺されたいだけなのに。とか。

 殺されそうになったら逃げるのはおかしい。とか。

 矛盾、考える、無駄、人でなし、シュリ、槍、蟲魚。とか。


 理解できない。ひとつも。


「ええ、分からないでしょうとも。人もどきさん。不快だから、いますぐ死んでもらうわ」


「そうですか」


 カーラが剣を握る手に、力を込めた。ただ隙はある。


 槍の狙いは、彼女の首へ。魔法も警戒。この足では、火球を打たれても危ない。


 一息に距離を詰めてくる。


 下から上へ斬撃し牽制。彼女は一歩後退――ではない。

 身をかがめ、槍の下を走っている。斬撃が甘かった。踏ん張りが足りなかったのだ。

 敵の間合い。手元で槍を滑らせる。


 連続突きが、くる。

 後退しつつ、躱せるものは躱す。不可能なら柄で弾く。


 彼女の方が早い。

 諦めて急所狙いのみ躱す。幸い、一撃は重くない。


 間合いを離さねばならない。だが、この足では……。


 各所に熱い痛み。無視する。


 強めに柄をぶつける。彼女の体勢が、僅かに揺らぐ。

 追撃の余裕はない。後退し、槍を構え直す。


「へえ、躱すじゃない? どう、魔法を打ってもいいのよ?」


 無言で対峙する。懐に潜り込まれては、僕に回避する余力はない。こちらから攻めるしかない。


 槍を中段に。呼吸を整える。


 踏み込む。速度は出ない。彼女が躱す方が早い。

 間合いに入る。槍が圧倒的有利の間合い。

 連続で突く。やはり遅い。急所狙いはすべて逸らされる。敵の肩と脇腹を僅かに掠める。


 さらに攻める。敵は後退。


 上から斬撃を落とす。それを弾こうと敵が剣を振り上げた隙を、突く。


 やや体勢を崩して相手は後退。

 さらに踏み込み――、


「いやあ、助かったわ。ダングにお礼言わなきゃ」


 カーラが僕の足を見て、にやりと笑う。


 踏み込みきれない。足の痛みは無視できる。だが、機能は確実に削がれている。


 最後の一歩が、出ない。


 その隙に、カーラは剣を構え直す。


 身体は冷たいのに、額を汗が伝う。

 呼吸が乱れている。

 槍を握り直す。気を抜けば、滑り落としてしまいそう。


 再び踏み込む。


「もういいわ」


 カーラが呟くのが聞こえた。


 今度はもう、こちらの攻撃は全て弾かれる。掠めさえしない。


 渾身の突きを躱される。踏み込まれる。


 重心移動が間に合わない。


 強引に地面に倒れる。そのまま転がる。

 頭上を、剣が通り抜ける音。

 勢いをころさず、立ち上がる。


 剣を振りぬいた姿勢のまま、彼女はこちらを見ている。


「まあ、リンが万全の状態なら、分からなかったかもね」


 緩んだ体勢のカーラ。その隙を突く余裕は、ない。


「でも今は――、全く弱いわ。動きは単純、鈍重、打ち合うたびに、精彩を欠いてく。退屈すぎ」


 すたすたと、歩いて近づいてくる。


 槍を下段に構える。


 彼女は若干警戒するように槍を見るが、歩みを止めることはない。


 体力はまだある。出血も多くない。足の傷も辛くない。そう、自分に言い聞かせる。


 槍の射程外で、彼女は止まった。挑発か。

 半歩前進。槍を突く。


「もう――、読めてんの、よ!」


 軽く剣でいなされる。

 そのまま彼女は接近。


 槍を引く。

 手元で反す。

 石突を振り下ろす。しなる槍。

 槍は過たず彼女の脳天を――。


 外した。


 石突が激突する寸前、彼女は自ら転ぶことで、それを回避した。


「ちょっと、今のは驚いたわ……。なに、奥義ってやつ? でも、外れちゃあねえ。これでリンの奥の手は打ち止め?」


 別に奥の手ではない、と言おうとして。


「え?」



 違和感に気付く


 どうして僕は、こんな技を使ったのだろうか。刺客と闘うときも、日々の修練でも、今の戦闘でもこれを使った。

 槍を引いて、手元で反し、石突を振り下ろす?


 無駄。


 余りにも、無駄な動作。


 手間をかけて、相手は気絶するだけ。

 何の価値もない。全く自然な動きではない。


 記憶を辿る。使っているのならば、理由を憶えているはず。


 ああ、父だ。


 父が一度、槍をこう使った。僕にとどめをさすために。


 それを僕は無意識に真似していたのか。こんな無駄な技を、ずっと……。

 そう……。僕にとって槍の修行とは、父の動きを完璧に模倣すること。

 それ以外に知らない。だから、こんな技まで使っていた。


 考えれば気づくことだ。槍の法理を考えれば。

 シュリが言おうとしたのは、それか。

 いや。カーラだって指摘したこと。


 無駄な動き。単純な動き。

 全て模倣なら、それも当然。


 今初めて、僕は考えている。

 自分の槍術について。父の教えたものについて。

 

 父は何も教えなかった。ただ、僕と闘っていただけ。

 

 なら、僕の槍術とは、なんだ。

 それは。


 ――蟲魚。


「無駄が、蟲魚の神髄」


 シュリの言葉が、瞼の裏で反響する。


 無駄のない動きこそ、武術の到達点なのか?

 無駄がない方が、勝てるのか?


 もしくは、それも……。


 ひとつの選択肢に過ぎない?

 僕の思い込みに過ぎない?


 思考は急速に飛躍する。論理的な筋道が、焼け落ちたかのよう。直感と呼ばれるもの。根拠はなく、ただそれが正しいと知る。


 無駄な動作。


 意想外の動き。


 つまり、それこそが……。

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