20
こちらのやり取りをじっと見つめていたカーラが、ようやく口を開いた。
「――それで。覚悟はいいの、リン?」
「何の覚悟でしょうか」
「一つ、良いことを教えてあげるわ。貴方が私と初めて会ったときに殺したゴブリンね。あれも元々は人間だったのよ。四人組の冒険者パーティでね。最後の一人を捕まえて、丁度ゴブリンに変えたところで、貴方が現れたの。驚いたなあ、あの時は」
「はあ。……四人組? 僕が殺したのは、三体と記憶していますが」
「逃がした一人が、一体殺しちゃったのよ。可愛かったわあ。涙目になっちゃってさ」
「そうでしたか。納得しました」
「……貴方って存外人でなしなのね。今まで殺してきたゴブリンが人間だと知って、何か感想はないの?」
「感想ですか? いえ、確かに多岐にわたる魔法の使い道には、驚くばかりですが……」
「ふうん……。そこの爺が死んだことについては?」
「特に、何も。また新たに捜すのは、少々面倒ですけれど」
カーラが構えているのは片手剣。間合いという点では、明らかに槍が優位にたつ。闘えば、まず間違いなく、僕が勝てるはず。
しかし不安なのは、この足だ。上手く力が入らない。踏み込みも後退も難しい。これで対応しきれるだろうか。
槍を構える。互いの距離は長い。ここは彼女の接近を待つ。
「……本当に?」
仕掛けて来るか、と思ったが、そうではない。彼女は庭に倒れる人々の中から、いまだ呻き声をあげる一人に近付き、左手で触れた。
脚が痛む。いつもならこの隙に、間合いを詰められるのだが。
カーラは再びゴブリンを造ったようだった。眩い光と、緑の小人。
「殺せ」
剣を持ったそれが接近する。槍の射程に入り次第、斬り殺す。
カーラはゴブリンがやられたというのに、何故か楽し気にしている。
「そ。やっぱり人でなしね」
「何がですか? 確かにゴブリンは、人ではありませんが」
「え? ふふふ、嘘? はは……。ゴブリンのことじゃないわよ。リンに決まってるでしょう?」
乾いた笑い声が響く。全く面白そうではないのに、どうして彼女は笑うのか。
「僕、ですか。僕は人間ですが」
「人間? 冗談言わないで……、貴方なんかに人間を名乗る権利はないわよ。極悪人の私だって、殺人には罪悪感を覚えるのに……。可哀想に。頭がおかしいのね、貴方」
「分かりません。僕はただ……」
僕はただ、何だろう。
僕はただ、殺されたいだけなのに。とか。
殺されそうになったら逃げるのはおかしい。とか。
矛盾、考える、無駄、人でなし、シュリ、槍、蟲魚。とか。
理解できない。ひとつも。
「ええ、分からないでしょうとも。人もどきさん。不快だから、いますぐ死んでもらうわ」
「そうですか」
カーラが剣を握る手に、力を込めた。ただ隙はある。
槍の狙いは、彼女の首へ。魔法も警戒。この足では、火球を打たれても危ない。
一息に距離を詰めてくる。
下から上へ斬撃し牽制。彼女は一歩後退――ではない。
身をかがめ、槍の下を走っている。斬撃が甘かった。踏ん張りが足りなかったのだ。
敵の間合い。手元で槍を滑らせる。
連続突きが、くる。
後退しつつ、躱せるものは躱す。不可能なら柄で弾く。
彼女の方が早い。
諦めて急所狙いのみ躱す。幸い、一撃は重くない。
間合いを離さねばならない。だが、この足では……。
各所に熱い痛み。無視する。
強めに柄をぶつける。彼女の体勢が、僅かに揺らぐ。
追撃の余裕はない。後退し、槍を構え直す。
「へえ、躱すじゃない? どう、魔法を打ってもいいのよ?」
無言で対峙する。懐に潜り込まれては、僕に回避する余力はない。こちらから攻めるしかない。
槍を中段に。呼吸を整える。
踏み込む。速度は出ない。彼女が躱す方が早い。
間合いに入る。槍が圧倒的有利の間合い。
連続で突く。やはり遅い。急所狙いはすべて逸らされる。敵の肩と脇腹を僅かに掠める。
さらに攻める。敵は後退。
上から斬撃を落とす。それを弾こうと敵が剣を振り上げた隙を、突く。
やや体勢を崩して相手は後退。
さらに踏み込み――、
「いやあ、助かったわ。ダングにお礼言わなきゃ」
カーラが僕の足を見て、にやりと笑う。
踏み込みきれない。足の痛みは無視できる。だが、機能は確実に削がれている。
最後の一歩が、出ない。
その隙に、カーラは剣を構え直す。
身体は冷たいのに、額を汗が伝う。
呼吸が乱れている。
槍を握り直す。気を抜けば、滑り落としてしまいそう。
再び踏み込む。
「もういいわ」
カーラが呟くのが聞こえた。
今度はもう、こちらの攻撃は全て弾かれる。掠めさえしない。
渾身の突きを躱される。踏み込まれる。
重心移動が間に合わない。
強引に地面に倒れる。そのまま転がる。
頭上を、剣が通り抜ける音。
勢いをころさず、立ち上がる。
剣を振りぬいた姿勢のまま、彼女はこちらを見ている。
「まあ、リンが万全の状態なら、分からなかったかもね」
緩んだ体勢のカーラ。その隙を突く余裕は、ない。
「でも今は――、全く弱いわ。動きは単純、鈍重、打ち合うたびに、精彩を欠いてく。退屈すぎ」
すたすたと、歩いて近づいてくる。
槍を下段に構える。
彼女は若干警戒するように槍を見るが、歩みを止めることはない。
体力はまだある。出血も多くない。足の傷も辛くない。そう、自分に言い聞かせる。
槍の射程外で、彼女は止まった。挑発か。
半歩前進。槍を突く。
「もう――、読めてんの、よ!」
軽く剣でいなされる。
そのまま彼女は接近。
槍を引く。
手元で反す。
石突を振り下ろす。しなる槍。
槍は過たず彼女の脳天を――。
外した。
石突が激突する寸前、彼女は自ら転ぶことで、それを回避した。
「ちょっと、今のは驚いたわ……。なに、奥義ってやつ? でも、外れちゃあねえ。これでリンの奥の手は打ち止め?」
別に奥の手ではない、と言おうとして。
「え?」
違和感に気付く
どうして僕は、こんな技を使ったのだろうか。刺客と闘うときも、日々の修練でも、今の戦闘でもこれを使った。
槍を引いて、手元で反し、石突を振り下ろす?
無駄。
余りにも、無駄な動作。
手間をかけて、相手は気絶するだけ。
何の価値もない。全く自然な動きではない。
記憶を辿る。使っているのならば、理由を憶えているはず。
ああ、父だ。
父が一度、槍をこう使った。僕にとどめをさすために。
それを僕は無意識に真似していたのか。こんな無駄な技を、ずっと……。
そう……。僕にとって槍の修行とは、父の動きを完璧に模倣すること。
それ以外に知らない。だから、こんな技まで使っていた。
考えれば気づくことだ。槍の法理を考えれば。
シュリが言おうとしたのは、それか。
いや。カーラだって指摘したこと。
無駄な動き。単純な動き。
全て模倣なら、それも当然。
今初めて、僕は考えている。
自分の槍術について。父の教えたものについて。
父は何も教えなかった。ただ、僕と闘っていただけ。
なら、僕の槍術とは、なんだ。
それは。
――蟲魚。
「無駄が、蟲魚の神髄」
シュリの言葉が、瞼の裏で反響する。
無駄のない動きこそ、武術の到達点なのか?
無駄がない方が、勝てるのか?
もしくは、それも……。
ひとつの選択肢に過ぎない?
僕の思い込みに過ぎない?
思考は急速に飛躍する。論理的な筋道が、焼け落ちたかのよう。直感と呼ばれるもの。根拠はなく、ただそれが正しいと知る。
無駄な動作。
意想外の動き。
つまり、それこそが……。




