21
僕は槍を構えた。
体力は残っていない。出血は多い。足の傷は辛い。視界が霞む。
それは、間違いないこと。
気づいた時には、カーラの斬撃が襲う。
大きく左後ろへ下がる。敵は間合いを保つため、前進。
相手の踏み出した足を睨む。
彼女は踏み込みを止める。
「……いきなりどうしたの、リン」
「いえ、特には」
彼女の踏み込みに合わせ、足を狙い牽制。
カーラはこの戦闘に時間をかけたくないはず。
時間をかければ、必ず焦る。その時が勝機。それまで僕が保つかの、勝負でもある。
そんなことに、今やっと気がついた。
じっくりと、八合を交わす。
彼女の顔から、笑みが消える。
「そう、もういいわ。余り好きではないのだけれど……。私も見せてあげる、奥の手を」
カーラは何故か、剣を放棄。
絶好の機会。踏み込もうとして。
彼女は左手を、自らの額に当てた。
それは――まさか。
発光。眼を開けたまま、景影になったカーラの姿が、変わっていく様子を見る。
光の中で、彼女の影は肥大する。縦横共に、二倍以上に膨れる。
光が消えた。
異形の化物が残った。
人型であるのに変わりはない。ただし、恐るべき巨体。手と足だけが全身の比率から外れて、異様に大きい。荒い息が聞こえる。黒目だけの、小さな眼。大きく裂けた口。全身の肌は赤黒く、各部から濛々と白い湯気を立てている。
化物は――カーラは、背を曲げ、僕を見つめた。
閉まらない口から、涎がぼたりと垂れる。
地面に溜まる血と、粘性の液体が奇妙に雑ざる。
怪物が、なにやら咆える。何かを喋ろうとしている。
「絶対に殺す」――か。ゴブリンと違い、姿を変じても理性は残るらしい。
既に化物は剣など持っていない。その腕を振るうだけで、充分な凶器となろう。
僕は槍を構える。
化物は、大きく身を逸らし。
右腕をしならせ、振り下ろす。
前進して躱す。同時に、敵の太腿を斬る。
厚い肉と皮。血管に達していない。僅かな流血のみ。
背後へ回り込む。
瞬間、轟音。
今まで立っていた地面が陥没する。
圧倒的な破壊力。風圧が伝わってくる。
相手の踵の上。踵骨腱を切断――できない。
硬すぎる。無理して斬れば、刃毀れは必至。
再度移動。敵は僕の位置を見失っている。
こうなれば、急所へ一撃を与えるほかない。
首より上は不可能。位置が高すぎる。
必然、心臓を狙うことになるが……。
カーラだってそれは警戒しているはず。
軽く斬撃を与えつつ、常に移動を続ける。
敵の攻撃は遅いが、当たればひとたまりもない。加えて、まだ僕も有効打を見つけられない。
足は痛い。だが、今止まるわけにはいかない。
化物が動く度、粉塵が舞い上がる。
振るわれる腕。その肉を抉るように斬る。
化物の咆哮に、地が震える。
眼が光ったようにも見える。
少し後退し場所を調整。敵は咆えて走るが、接近は遅い。
魔法を――あの火球を使えれば。そんな思考を打ち消す。
呼吸を無理やり整える。
脳が急速に冷める感覚。
白い空間が僕を包む。
この、一瞬だけは。
ほんの一刹那は。
脚が動くよう。
接近する化物。
瓦礫と死体の地面。
足場は悪い。
僅かに体勢を崩す。
今。
踏み込む。
敵の腕を躱しなお前進。
槍の切っ先のみを見よ。
心臓へ、渾身の力を籠め。
突く。
肉を突き進む感覚もない。
空を突く如き感覚、速度で。
互いの身体が停まる。
僕は槍を手放す。
化物は突進の姿勢のまま、固まったように動かない。
深々と刺さった槍を抜くことはもう、できない。
舞い上がった風塵が、やがて墜ちてゆく。
そして、
「――殺してあげる」
人間の声が聴こえる。僕の耳元。
カーラの声を出す怪物は、行動を再開する。
突進の前屈みの姿勢から、身体を起こすと、その口角を釣り上げる。
「リン、やっぱり貴方強いわ。……でもね、残念」
頭上、その巨体に、太陽が隠れる。
振り上げられたのは両手。
絶叫と共に、振り下ろされる。
――軽く弾く。
怪物の両手は、しかし。
僕の頭上で、停止した。
「え?」
僕は懐から手を出す。
衣の中に、青く発光する石を感じる。
雨避け石。あの日の、エリの忘れ物。
――軽く弾くと、水分だけに反応する防護魔法が起動します。
化物とはいえ、血が流れている。血が水分である以上、上空から迫るそれは、必ず防がれる。便利な魔法だ。
「使ったなぁ、魔法を!」
しかし何故か、カーラは嬉しそうに叫んだ。
「はい?」
「魔法対策もせず、この巨体になるとでも思ったわけ?」
言われてみれば、その通り。これほど火球の攻撃が有効な敵も、そうはいまい。カーラが馬鹿でなければ、当然何かしら手を打っておいて然るべき。
失策だったか。
無駄な動き、意想外の動きを目指して、これか。
しかし最善は尽くさねば。一応、場所は調整しておいたのだし。
「魔方陣を描き替えてあげる。体内魔力の逆流で内側から破裂するの、それはもう苦しいそうよ?」
怪物の腕が迫る。
足許の槍を拾う。
僕の身長の二倍はある槍。シュリの槍を。
敵の脇の下へ。
突き刺す。
同時、化物の掌が僕の身体を覆い、何も見えなくなる。
暗闇の世界。限界まで、槍を突き込む。
肉の中を進む手応え。
肋骨の間を抜ける感覚。
敵の掌の中に、奇妙な紋様が浮かび上がる。恐らくこれが、魔方陣。
いったい、槍はどこまで進むのか。
正中線へ至っているのでは。
長い槍。分厚い化物の身体が、それを可能にしている。
だが浮かんだ魔方陣は、白い光を放ち始め――、
つまり、僕の敗け。
やっと殺される。
眼は開けたまま。
――僕の懐。小さな石の、割れる音がする。
その後、何の音もしなくなった。
頭痛がした。耳鳴りがした。暗闇の中に、白い靄が立ち込める視界。
手が勝手に槍を離した。脚が立つことを辞めた。
いつの間にか、地面に倒れた身体。
痛みすら感じなかった。
意識が閉じていくのを感じた。
暗転の間際、取り留めもない思考の泡が浮かんだ。
例えば、エリの話。雨避け石には、事前に魔力と魔方陣が入っているとか。
だから魔方陣を描き替えられたところで……。でも、どうして、カーラは……。
そういえば、と思った。
僕は魔法を使えないと、カーラには、言っていなかったような。
そんな気も、するような……。
しないでも、ないような……。




