18
槍を担いで、階段を降りる。家の外に出て、屋敷の方へ駆ける。
門の前は、血に濡れている。ダングに恐怖を覚えたのか、避難者は遠巻きに、彼を睨んでいる。隙あらば逃げ出すつもりだろう。
横顔のダングは、笑っていた。声をかける。
「ダングさん」
「んん? おう、リンさんじゃねえか。……そうか、カーラは失敗したか」
「成功はしました。僕が逃げ出しただけです」
「逃げたぁ? おいおい、ということは、ヒルデ様を見捨てたってことかよ! 真面目そうな面して、中々薄情な奴だなぁ、あんた」
「薄情? 分かりません」
どうして、ヒルデを見捨てるのが薄情なのか。別に僕には、彼女に果たす義理などないはずだが。
「……まあいいさ。俺もそういう奴ぁ嫌いじゃねえ。そんで? やんのかい?」
ダングが剣を向けてくる。その隙、逃げ出そうとした群衆を睨んで、動きを封じる。
僕も槍を構える。実際のところ、用があるのはシュリとエリなのだが、脱出する際に障害となりそうなダングは、予めこちらで排除しておくべきだ。
「そういえばあんた、前に面白いこと言ってたよな」
「面白いこと……、いえ。特に言った憶えはありません」
「そうか? なんだったかな……」
ダングは首を傾げると、不思議なことに眼を瞑った。
僕も心の中で首を傾げつつ、距離を詰め、咽喉をめがけ槍を突く。
「おおい、危ねぇなあ……」
躱される。穂先が届く瞬間、ダングは後退した。
再び構えを整える。眼を瞑ったのは、囮だったか。しかし敵の剣は、槍より短い。間合い的にはこちらが有利。
「……そうだ。僕を殺してくれますかっつってただろ、お前?」
「ええ、言いました」
「よしよし。それじゃあよ、俺が今、その言葉を叶えてやるからな」
「それは、ありがとうございます」
「はは、そんなことに礼を言われたのは初めてだぜ」
「僕も、その言葉を受け容れてくれたのは、ダングさんが初めてです」
「そうかい」
ダングは口角を釣り上げる。彼が持つのは諸刃の両手剣。重量があるはずだが、さきほど門番を刈った振りは、速かった。注意が必要か。
剣を大上段に構えたダングが、突っ込んでくる。
槍を突き出す。囮だが、当然ダングは足を止め、再び間合いをとる。
不思議だ。ダングは何を考えているのか。剣と槍では間合いが違い過ぎる。どう考えても、突っ込むのは悪手だろう。
何度かダングは接近を仕掛けてきたが、軽く牽制するだけで、彼は身を引いた。
彼の舌打ちが聞こえる。
「おいおい、これじゃあ闘いにならねえじゃねえの」
「ダングさんも槍を使うべきでは」
それは素直な疑問だった。屋内戦ならいざ知らず、何の障害物もない屋外戦で槍に対するに、剣を用いるのは圧倒的不利。同じ得物を用意するべきではないか。
「ふん、言ってくれるねえ……、だが」
ダングはそう言うと、左手を剣から離し、掌をこちらへ向けた。
これは、火球を打ってくる気か。こんな、いくらでも逃げ場のある戦場で?
「魔法勝負ならどうかなぁ!」
しかし火球は浮かばず、代わりに。
氷が地面を覆っていく。
地面の上にある障害物、その表面を覆っていく。
予想外の魔法に、一瞬、対応が遅れる。その時には、既に僕の足は氷漬けにされていた。
脚が動かない。一歩たりとも。ただ冷たい感覚だけがある。
「ほら、魔法のひとつも打って来いよ。その槍でもいいぜ?」
「それは難しいですね」
僕は魔法を使えないし、この状態では、接近は不可能。彼も厳しいことを要求する。
「ただの嫌味兼挑発だよ。真面目に受け取るな、あほらしい」
「すみません」
「ふん」
ダングは唾を吐くと、一歩一歩近づいてくる。僕も槍を構える。脚は動かず、すなわち重心の移動も、踏み込みも、何もできない。とはいえ、最後まで最善は尽くさねば。
慎重な足取りで、ダングは僕の背後へ回り込む。
懸命に首を回して背後を見る。槍を脇で抱え込むように持って防御を整える。とはいえ、突発的な踏み込みに対応できるとは、思えない。
何でも生めるというからには、確かにこのように、氷も生めるのだろう。しかし、全く予想外の行動だった。魔法、やはり強すぎではないか。僕の油断もあったとはいえ。
「……もういい。最後くらい剣で殺してやろうかと思ったが」
僕の周囲を、ぐるりと一周したダングが言った。回った理由は不明。
再び、彼が左手をこちらへ向ける。今度こそ火球が浮かび上がる。当たれば、一瞬で消し炭となること請け合い。
手の振りと同時に、火球が飛んでくる。狙いは僕の臍あたり。
横に躱すのは無理なので、背後に倒れて躱す。受け身はとったが、背中が思い切り、氷にぶつかる。息が止まる。背後で爆音。以前見たのと、同じ型の魔法。
槍をついて立ち上がろうとしたが、氷で滑って、中々立てない。
「おい、いい加減にしろよ手前ぇ」
吐き出すように、ダングが言った。身体をまだ起こせないので、顔だけ彼に向ける。
「何を加減すれば良いですか?」
「何をじゃねえよ。何がしてえんだよあんたは。殺されたいんじゃなかったのか?」
「はい、殺されたいです」
それが命令だ。絶対に従わねばならない。これだけ隙があるのだ、早く僕を殺してくれ、と内心で声をあげる。悠長に会話なんてしないでくれ。
「わけ分かんねえんだよ。じゃあなんで逃げる? なんで闘う? なんで絶体絶命の状況に追い込まれといて、今の魔法を躱すんだよ。ああ? なんで大人しく殺されねえ?」
「何故と言われましても……。全力で立ち合わねば、意味がありませんから――」
「そうじゃねえだろうがよ! ふざけてんのか? 矛盾してんだよあんたは。自覚ねえのかよ、おい。殺されるために闘うってのは分かる。だが闘っといて、いざ殺されそうになったら、それはもう見苦しいくらいに逃げるってのはよ、おかしいだろうが」
「ですが、逃走も戦法のひとつで――」
「じゃあどうやって殺されんだよ? あんた本当は、何も考えてねえだろ」
「そんなことは……」
「嘘吐くんじゃねえ!」
ダングが吼えた。喧しい声。
矛盾とかなんとか言われても、僕にはよく分からない。いいから早く殺してくれないものか。会話をしている間に、槍を使って、どうにか立ち上がれてしまったではないか。どうして絶好の機会を、彼は見送ったのか。
しかし引っ掛かることもある。
考える――か。確かシュリも、似たようなことを言っていた。意味は分からない。
「ったく、苛々させやがって……」
ダングは頭を掻き毟ると、再び左手を上げた。火球が浮かぶ。今度は五個。
「まあいい。これで終わりだ。じゃあな」
全て同時に飛んでくる。狙いはどれも違うようだ。
上手い。どれかを躱しても、必ず一つは当たるように計算されている。彼に対しては失礼かもしれないが、やれば出来るではないか、最初からやって欲しかった、というのが正直な感想。
とはいえ限界まで躱すべき。死ぬことは間違いないが――。
「だめ、おにいちゃん!」
「え?」
声がした。それと同時に、脚を縛る氷が緩む感触。
脚が抜ける。迫る火球。当然、躱せる。
右へ一歩動いて躱した。声のした方へ、顔を向ける。
シロハだ。シロハが手から炎を出して、僕の足許を覆う氷を溶かしていた。
「シロハさん、どうして……」
「いいから、そっちの人!」
ダングは茫然と口を開けている。やがて彼の顔は、苦々しく歪んだ。
「……そんな隠し玉を用意してたとはな。全く、あんたの生への執着には、呆れるよ」
「別に僕が用意したわけでは……」
言い掛けたところで、ダングが突っ込んでくる。剣は下段。
一瞬、槍を構えるのが遅れる。その隙に、懐に入られる。
剣は地を這うような軌道から、僕の首へ。ぎりぎり、柄の防御が間に合う。
左右からの連撃。後退しつつ、全て弾く。
「ああもう、ふざ、けるな、くそが!」
右からの斬撃。やけに大振り。試しに強めに弾くと、彼の体勢は大きく崩れた。
隙が生まれる。
踏み込む。
首の血管を斬る。
噴き出る赤い血。返り血を浴びないよう、少し下がる。
ダングは何か言おうとして、僕が近づいて心臓を突く前に、口から血を吐いて死んだ。
赤黒の水溜まりが、地面に残る氷に広がって、白い湯気をあげた。
足に激痛が走る。見ると、僕の両足は赤く爛れていた。皮膚が剥がれて、肉が見えている。氷漬けの凍傷か、炎で溶かした際の火傷か、とにかく熱く痛い。一歩歩くごとに、痺れるような感覚を覚える。
どうにか痛みを堪え、シロハに近付く。
「シロハさん、なぜ家から出て……」
「だって、おにいちゃんが凍らされちゃって……。助けなきゃって……、ごめんなさい」
責めたつもりはなかったが、シロハは顔を歪めた。エリが前に見せた表情と同じ。人が泣く前の顔だ。
「いえ、謝る必要はありません。ありがとうございました、助かりました」
「……うん」
「しかしシロハさんは、魔法を使えたのですね」
「……うん」
シロハは洟をすすった。結局、彼女は泣かなかった。
やけに周囲が煩い。顔を上げると、ダングのいなくなった門から、次々と住民が逃げ出している。逃げ際、彼の死体をわざと蹴りつけていく者もいる。既に死んでいる人間を攻撃する意味はないと思う。
時折、こちらに近付いてきて、お礼を言ってくる人もいた。彼らを助けるために闘ったのではないので、複雑な気分になる。
「僕はシュリさんに加勢して来ます。シロハさんは、少し離れて、待っていてください。ここはまだ危険ですから」
「え、でも……」
「説得力はないですが、僕を信じて戴けませんか」
「……わかった。まってるね」
「はい」




