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僕の話を聞いたシュリは、眉を顰めた。
「ゴブリンの大群じゃと――?」
「ええ」
「しかしそんな数のゴブリンを、どうやって用意したというんじゃ……? その――カーラ、といったか。その娘は何か言うとらんかったのかね」
「いえ、何も。しかし、エリさんはまだ街にいるのでしょうか?」
「恐らくの。まああの子にも、最低限の手ほどきはしてある。ゴブリンの一体や二体に後れをとるとは思えん。すぐにはどうこうせんじゃろうて。じゃが、大群となると……」
「そうですか……。まさか入れ違いになっていたとは」
「……助けに行かねばならん。それが儂の義務じゃ」
「僕も行きます。エリさんにはお世話になりました」
「それは助かる。なにしろこの老体に、走り回る体力はないからの」
シュリが重々しい口調で言う。彼にエリを助ける義務があるとは思えないが、シュリが打って出るのなら安心だろう。しかしそうなると不安なのは、
「シロハさんはどうされるのですか?」
「うむ……」
自分の名前が出たのを聞いて、シロハが僕たちの顔を、交互に見た。何を話しているかは分からずとも、深刻な雰囲気は感じたらしい。
「だいじょうぶだよ! わたし、おるすばんしてるから!」
「しかしの、シロハ……」
「敵の狙いから考えても、この家を襲う意味はないように思います。早く行くべきです」
「じゃが……」
不思議なことに、シュリは迷っている。カーラの言葉が真実なら、街を襲うだけで事足りるのは明白。わざわざ遠い小屋まで来て、少女一人を襲う利益などないはずだ。
「いや、連れて行く。シロハは儂が護る。それでいいかね、リン君?」
「シュリさんがそう仰るのなら、反対はしませんが……」
なんとなく話の流れは理解できたのか、シロハは以前僕と闘った時に使った、長い棒を拾ってきた。
「わたしね、もうおじいちゃんに槍を教わってるんだよ! だから平気」
「おう。じゃがの、シロハ。それはいざという時だけ使うようにの」
「うん!」
「では行こうか、リン君」
林道を歩きながらも、実際のところ、僕は動揺していた。エリが街にいることに、ではない。シュリが動揺していることに、だ。シロハを連れて行くのは、どう考えても合理的な判断ではない。確かにカーラの言葉が真実である保証はなく、シロハの安全が完璧に保証されるわけでもない。とはいえ、連れて行く方が危険ではないか。
いや、それとも――。
それが、血の繋がりなのだろうか。父が僕に槍を教えたのと、また違う類の。
「しかし不可解じゃ。大量のゴブリンに加えて、それが人間の命令を聞くとは……」
「街の近くで、捕まえておいたゴブリンを解放しただけでは?」
「そうかもしれんが……。しかしゴブリンの頭は良くない。集めておくだけでも、ばれると思うんじゃがの……」
「……そうだ。何か魔法を使ったのでは? もしかして、魔法ならゴブリンを生むこともできるのではないでしょうか」
「原理的には不可能ではないじゃろう。しかし、如何な大魔法使いといえど、無から生物を生んだ例など聞いたことがない。人語を解さぬ魔物に、複雑な命令を受容させるというのも……」
僕たちは早歩きで、決して走らないように進む。体力は出来る限り温存するべき。
シュリは手に槍と、腰に剣を佩いていた。以前の棒より槍は短かったが、とはいえ僕のと較べると、相当に長い。
「良いか、リン君、シロハ。儂らの目的は、エリを助けることだけじゃ。決して街を救うことではない。それだけは間違えぬように」
「分かっています」
「はーい」
林を抜け、建物の密集する街が見えてきた。エリは何処にいるだろう。朝の時点で僕に会いに来るのなら、宿か組合だ。そこでゴブリンが侵攻を開始したとすれば。
「エリさんは恐らく、避難誘導に従ったでしょう。であれば、南地区の避難所――倉庫か集会所にいる可能性が高いかと」
「そうか……。リン君、場所は分かっているかね?」
「はい」
暇なときに、街を散歩する癖があって助かった。この街の地図は、概ね頭に入っている。勿論、倉庫と集会所の場所も。
「では手分けしよう。儂とシロハは、そう走れんからの。リン君はひとっ走り、反対側から捜索しとくれ。落ち合うのは……」
正午に落ち合うと決めて、僕は走り出す。空を仰ぐ。陽は昇っていく最中。中天に至るまで、あと二時間強はある。
その時までに、エリが発見できなかったら……。その時は、領主の屋敷へ行かねばなるまい。そしてエリの遺体が見つかったら、その時は。
その時は、骸を回収して、小屋に戻る。それだけ。
先程はゴブリンのいそうな場所を迂回したが、今度はそうはいかない。エリが襲われている可能性がある。とはいえ、出来る限り戦闘を避けたいのは変わらない。
大通りに出る。ゴブリンの大群と、冒険者や騎士が闘っている。何故か、苦戦しているようだ。死人も何人か出ているらしい。路の反対側には、今まさに住民に襲いかからんとするゴブリン。
無視して進もうとすると、そのゴブリンは狙いを替え、僕に飛びかかってきた。槍を突きだすだけで、あっさりと死ぬ。数は増えているが、力も知能も向上していない。やはりこれで、この街を陥とすなど、無理があるのではないか。
「あ、あの!」
「はい」
見ると、襲われかけていた住民が、僕に頭を下げていた。
「ありがとうございました!」
「はい? ……そうですか。では」
何を感謝しているのか分からない。だが、今はエリを捜すことが先決。細かいことは無視するべき。
再び駆け出す。後ろから「頑張って下さい」と声をかけられた。彼は僕が何をしているのか知らないのに、なんの応援しているのだろう。
しかし奇妙なのは、ゴブリンの挙動だ。相手を殺しても、何を奪うでも、食べるでもなく、無視して次の人間を襲っている。生きた女性は犯すが、相手が死ぬと途端に興味を失う。シュリの言った、人間の命令に従っているという仮説も、否定できない。「人を殺せ」という単純な命令に。
いくら戦闘を避けるといっても、標的にされるのは避けられない。こんな場所で体力を使うわけにもいかず、一撃で急所を突いていく。穂先に血を塗り重ねる。拭う暇はない。
集会所、倉庫と覗いて、「エリさんはいらっしゃいますか」と呼びかける。避難所内は酷い喧噪で、僕の声は全く響かない。返り血に衣を汚した僕の姿を見て、身体を強張らせる人もいる。
ぐるりと見廻して、しかし若葉色の髪は見当たらない。已むを得ず、次の避難所へ向かう。
空を見上げる。煙が立ち昇っても、雲一つできない青い空。約束の正午になるまで、あと半分といったところ。シュリはエリを見つけただろうか。
四つ目の避難所が空振りに終わる。残るは二つ。まだ呼吸は乱れていない。
路を駆けだすと、見知った顔に出くわした。
「ほら、先に行け!」
「で、ですが……」
「コフィーちゃんにいられると、俺も逃げられねえんだよ! だから早く」
「はい……、すみません」
深い茶色の髪を持つ少女。宿のコフィーだ。冒険者らしき男一人がゴブリンの群れを食い止め、コフィーを逃がしている。無視しようかと思ったが、彼女ならエリの居場所を知っているかもしれない。そう思って、こちらへ走ってくる彼女に声をかける。
「コフィーさん」
「あ、リンさん! は、早く逃げないと……」
「この先に避難所があります。ですが、その前に。エリさんの居場所をご存知ではないですか?」
「エリさん……? あの、冒険者組合にいる、緑の髪の?」
「はい。もしかすると、僕が出た後、宿に来たのではないかと……」
コフィーの遠く背後で、男は魔法を使ったらしい。手から炎が噴き出ている。ゴブリンが焼かれ、黒い炭になる。無駄が多い。火球にして飛ばせば、効率的に倒せるだろうに。予測通り、男は魔力切れになったのか、炎を出すのを止める。剣を抜いて、ゴブリンを相手にしているが、危ない。一体を倒すのが遅く、明らかに囲まれようとしている。
コフィーは何度か瞬きをした。
「ええっと……、ああ! 確かにいらっしゃいましたよ。確か一度帰ると仰られていたような……」
想像する。宿を出て、小屋へ戻ろうとするエリ。途中でゴブリンの侵攻が開始。すると、シュリ達が捜しているあたりに、隠れるはず。
「ありがとうございます。お気をつけて、コフィーさん」
「あ、あの、リンさん!」
「何でしょう」
「えっと、リンさんは――」
その時、背後の男が死んだ。背後に回り込んだ一体に気づかず、後ろから剣で刺されたのだ。ゴブリンたちはぐるぐると周囲を見て、次の標的を僕たちに決めたようだ。
五体のゴブリン。どの個体も、不釣り合いに長い剣を手にしている。
「すみません、コフィーさんは急いで避難所へ。あそこは守備が固められています。ゴブリン程度には破れないでしょう」
「でも――。え?」
コフィーは背後へ眼を向け、男が死んだこと、ゴブリンが来ていることに、やっと気づいたらしい。
「どうぞ、お早く」
「あ、ああああ!」
悲鳴を上げて、コフィーは走って行った。その姿を見届けてから、槍を構える。
初めに突っ込んできた一体の咽喉を切り裂く。
一歩前進。背後の一体も同様に切る。
右から回り込もうとした個体を、蹴る。軽い。やはり子供並。敵は吹き飛ぶ。
蹴った勢いを殺さず、振り向く。槍を振り下ろす。穂先ではなく、それより手前の柄を当てる。頭蓋を割る手応え。
背後から飛び掛かってくる一体へ、石突を突き出す。怯んだところで、素早く反転。心臓を突く。
蹴り飛ばした残りの一体。仰向けから起き上がろうとしている。接近し、咽喉を突く。
先程の男も、魔法など使わず、普通に闘えば勝てたのでは、と思う。選択肢が増えるのは良いが、それは同時に、間違った選択肢も増えるということ。最適解は増えないのだ。
他のゴブリンに目を付けられぬよう、細い路地に入って次の避難所を目指す。




