13
魔力量――それがマリョク領でないことを、僕は既に知っている。
同時に、エリがどうして泣いたのか、何となく分かってしまった。
「つまり、魔法を得意とする種族であると?」
「そういうことです。勿論、魔力量は修練によってある程度増やせますが、エルフと人間とでは、先天的なそれがまるで違います」
「では――その。エリさんが、魔法を使えないのは……」
エリは目を伏せた。直截に言い過ぎたかと、不安になる。彼女がそれを気にしているのは、今までの振舞で明らかだ。
「いえ、魔力はあるんですよ。並のエルフ程度にはあるそうです。でも、私には魔法が使えなくて……」
「それはどういった原因で?」
「……分かりません。ただ、人間でもエルフでも、一定の割合で存在するそうです。何の問題も見つからないのに、魔法が使えない者は。ただ、そういった人に対する態度は、人間もエルフも同じでして……。エルフの郷を追われて、私はシハルにやって来たんです。ここで私のことを知っているのは、お爺ちゃんたちくらいなので……」
「……なる程」
とは言ったものの、今ひとつ納得のできない話だ。人間でもエルフでも、料理ができなかったり、戦闘ができなかったりする人はいるだろうに。どうして魔法だけを、それほど重視するのか。話を聞く限り、確かに便利なものではあるが、居場所を失くすほどに、大切なものとは思われない。できなくても、生きていくうえで支障はないだろうに。
僕にしても魔法を使えないが、今のところ問題は起きていない。
「あれ、でもその石は……」
机の上にある雨避け石を指差す。確かそれも魔法を使うのではなかったか。
「ああ、これは違います。既に魔力と魔方陣が入っていて、自動で魔法を使ってくれる道具なんですよ。魔道具っていうんですけどね」
「しかしそんな道具が無くとも、大抵の人は魔法を使えば良いのでは」
「まあできる人は、そうするのでしょうが。でも結構難しい魔法らしいですよ。水だけを防ぐ空気を生んで、長時間それを維持する、というのは」
「はあ……」
やっぱり割と不便なもののような気がしてきた。しかし強者は大抵魔法を使うというし、僕が死ぬとしたら、魔法によってになるのだろうか。
「そういえば、シュリさんは魔法を使うのですか?」
「お爺ちゃん? さあ、見たことないですけど……。魔法を使わずとも、充分に強いですし……」
燈に目を落とす。この火はどうやって点けたのだろう。火打石か、魔法か。或いは、他の何かか。どれにせよ、火は火だ。結果は同じ。手段で人を区別する意味が、果たしてあるのか。
「それで、どうですか。リンさん」
「どうとは?」
「魔法とエルフを知って、何か変わりましたか?」
エリは僕の眼を覗き込むようにした。髪と同じ、若葉の瞳。燈に照らされて、今は少しくすんで見えた。
「いえ、特には、何も」
「ほら、やっぱり……」
「しかしですね――」
「なんです?」
確かに僕は魔法とエルフを知った。しかしそれは、今得た知識に過ぎない。
小さい頃から父に、魔法の使えない人間やエルフは駄目だと言われていたら、今のエリを軽蔑していただろう。育った環境を無視して、他人と僕を比べ、僕は変わらないというのは、少しおかしいのではないか。うまく言えないが、エリの判断には、とても違和感がある。
その感覚を他人に説明するのは、とても難しかったけれど、どうにか僕はそれを伝えた。
「そんなこと、私には関係ありません」
しかし思いのほか、エリの態度は変わらなかった。
「関係ないとは?」
「私にとって重要なのは、リンさんが変わらないという、その一点だけです。育った環境みたいな内面は、どうでもいいんです。だって私に見えるのは、外面だけなんですから……、言っている意味、分かりますか?」
「いえ、あまり……」
「そうでしょうね。でもそれで良いんです。そんなことより、リンさんのことを教えて下さいよ」
「僕のこと?」
「はい」
エリが大きく頷く。しかしそんなことを言われても、僕について語ることなど、何もない。父に槍を教えられた、それだけだ。僕には槍しかないし、それは詳しく話せることでもない。
僕が黙っているのを見かねてか、エリが口を開いた。
「じゃあ、あの。リンさんが捜しているのは、どんな方なんですか? そのために、わざわざ首都まで行くなんて……」
「ああ、それは簡単です。僕より強くて、僕を殺してくれる人です」
「……え? それはその、武者修行のような?」
「いえ、強くなることが目的ではなく、死ぬことが目的です」
あまりエリに伝わっていないようなので、事情を掻い摘んで説明した。といっても、掻い摘むほどの内容もない。父に死ぬよう言われたことと、その為には僕より強い人が要ることだけ。
「シュリさんが僕を殺してくれれば、話は早いのですが。どうも、彼の条件に僕は合格していないようで……」
「――なんですか、それは」
「なんですかとは……」
多分、僕の説明が悪かったのだろう。さて、どう言い換えれば、エリにも分かってもらえるか。
「つまりですね、僕より強くて、かつ僕を殺してくれる人を――」
「そうじゃなく!」
席から立ち上がったエリが、吼えた。
どうしたのだろうか急に。彼女は怒っているらしい。とにかくここは――。
はい、と頷く。
「はいじゃないです……。リンさんは、親に死ねと言われて、死ぬんですか?」
はい、と頷く。
「そんな、そんなのって――、そんなことで幸せなんですか」
はい、と頷く。
頷いてから、幸せとは何だろうかと、考える。第一、命令に従うのに幸せも何もないのでは。
「……もういいです。ありがとうございました。お金は私が払っておきますから。せめてものお礼です」
僕が返事をする前に、エリは机にお金を置いて、店を出て行った。
何もかもに吃驚して、僕は何もできぬまま、ただ椅子に座っていた。
暫く経って、外で振り続ける雨と、机に残された雨避け石に気づく。慌てて外に出たが、エリの姿は、もうどこにもなかった。
仕方なく、石を懐にしまう。
雨は僕の身体をしとどに濡らした。衣が水分を含んで、すっかり重くなった。
歩いて宿に戻った時には、すっかり体温が下がっていた。軒先に立った僕の許に、コフィーが慌てて駆けてきて、身体を拭く布と、お湯をくれた。魔法で出したのかと尋ねると、彼女は歯を見せて笑った。
エリは大丈夫だろうか。彼女は何処へ行ったのだろう。受付の仕事はないから、シュリの許か。しかし小屋は遠い。僕でさえこんなに濡れたのだから、彼女はもっと酷いはず。風邪など引かなければ良いのだが……。
雲の動きは速い。きっと明日には雨も止むだろう。




