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 明日には出発するという段になって、ヒルデに会っていないのを思い出した。

 また会いに来るようにと言われていたのに、このまま首都へ行ってしまったら、二度と約束を果たせなくなる可能性が高い。今日のうちに行くべきだろう。とはいえ、エリにも一度会っておきたい。


 そう思って組合に足を運んだが、エリの姿はなかった。話を聞くと、今日は休むと連絡があったらしい。やはり昨日の雨で、体調を崩したのかもしれない。或いは、また僕が原因で、悲しい想いをしたのか。

 ひとまずエリには後で会いに行くとして、先にヒルデの屋敷を目指すことにした。


 組合を出ると、明るい空が見えた。すっかりいい天気だ。

 声をかけられたような気がして、顔を向けると、路の向こうから、カーラが歩いて来た。


「リン、依頼受けなかったの?」


「はい。一度ヒルデ様に、挨拶へ伺おうかと」


「え、ヒルデ様に? こんな早く?」


「はい。約束を忘れないうちに、伺っておこうかと……」


「へええ……。あ、私も一緒に行っていい?」


「首都にですか?」


「なんで首都が出てくるのよ。ヒルデ様のところに決まってるでしょ」


「ああ、そうでしたか。ええ、構いませんよ」


 街は朝に一番活気がある。行き交う人々。冒険者と商人で、路は混雑していた。

 ヒルデの屋敷周辺は空いているかと思ったが、そんなことはなく、むしろ門前には長い列ができていた。


「ああ、やっぱり朝は混むわよねえ」


「皆さん、そんなに用事があるんでしょうか」


「当たり前でしょ。領主の仕事なんて激務よ、激務。ヒルデ様は熱心だから、特にね」


 取り敢えず僕たちも並んだが、一体いつ会えるか分からない。時折、列を無視して案内される客もいて、あれは貴族の関係者だと、カーラが教えてくれた。


「あ、ちょっとだけ私抜けてもいい? 用事があってさ、すぐに終わるんだけど……」


「分かりました」


 カーラがいないうちに、列は意外にも早く進んだ。少し進むと、屋敷の従者らしき人がやってきて、それぞれの要件を聞いて行った。僕も「ヒルデ様にご挨拶をしにきました」と告げた。


「挨拶を? 失礼ですが、貴方のお名前は?」


「リンです」


「リン様……。し、失礼しました。すぐにご案内いたします」


「いえ、別に急ぎの用事ではないので……」


「リン様が来られたら優先して通すよう、指示されております。ほんの少々、お待ちください」


「はあ……」


 カーラはどうしたのかなと、路を見ると、ちょうど手を振って戻ってくるところだった。


 すぐに、今度は違う従者がやってきて、僕たちを屋敷の中に導いた。同じく並んでいる人から、恨みがましい視線を向けられる。申し訳ない気分になるが、まあ挨拶をするだけなのだし、すぐに終わるだろうと思い直す。


 以前とは違う応接間に案内された。入る前に武器を渡せとのことで、槍を預ける。カーラも腰の剣を預けていた。


 扉を開けると、中には既にヒルデが座っていた。僕たちを見て、彼女が立ち上がる。


「まあ、リンさん、それにカーラさん。ようこそいらっしゃいました」


「いえ、約束しましたので……」


「約束を守る方は好きですよ、私」


 ヒルデが対面の椅子を指し示すので、腰掛ける。腰が抜けるほど柔らかい。


「あの。約束を守るのは、当然ではないでしょうか」


「まあ。勿論そうですよ。ですが――」


 目の前の机に、飲み物が配膳される。紅茶というのだと、教えてくれた。飲んでみると甘い。さすが領主というのは、変わった生活をしている。


「ところでリンさん、どうして今日来られたのですか?」


「ああ、はい。お別れの挨拶をしようかと」


「お別れ――ですか?」


「明日から、首都へ旅立つ予定なんです。シハルを出る前に、約束を果たしておこうと思いまして」


「え、嘘。明日?」


 カーラがきょとんとした顔で言った。


「はい。準備もほぼ終わっていますし……。何か?」


「え? いえ、別に何ってわけじゃないんだけど……。もっと早くに言ってほしかったかな。水臭いじゃない」


「はあ、すいません」


 僕の話を聞いたヒルデも、意外だという顔をしていた。


「そうですね……。何故か、リンさんはずっとシハルに居られる気がしていました。でも冒険者の方ですものね。あの……、また、シハルに戻られますよね?」


「さあ、それは……、どうでしょうか」


 シハルに戻ってくるということは、つまり首都で目的を果たせず、再びシュリに挑むということで、できるならしたくない。二度手間だ。


「そうですか……、淋しくなります。ところで、カーラさんは? リンさんと一緒に首都へ行かれるご挨拶ですか?」


「あ、いえ。そういうわけじゃ、ないんですけど……。リンと一緒に来れば、美味しい紅茶が飲めるかな、と」


 カーラがヒルデから眼を逸らして、窓の外を向いた。


「まあ、それは……。折角ですから、もう一杯いかがですか?」


「えへへ……。ではお言葉に甘えて」


 ヒルデが軽く手を上げると、部屋の隅に控えていた従者がやってきて、紅茶を注ぎたした。淹れたては流石に熱いので、冷めるまで待つ。


「でも良いのですか、僕たちにこんな時間を使って」


「それはどういう意味で?」


「いえ、屋敷の外に行列ができていましたから。あの人たちも用事があるのでは」


「そうですか? 報告を見る限り、私が直々に対面する必要のある要件は、今日はあまりないようですが。それに、領主が軽々しく会うのも、逆に問題なのですよ」


「はあ……。あれ、でも、僕たちはすぐに通されましたが」


「私の命の恩人はリンさんだけ、ですから」


 そろそろ冷めただろうと、紅茶に手を伸ばす。その刹那、外から爆音が響いた。


 俄かに、屋敷内が騒がしくなる。人が走る音や、話し声が反響している。

 立ち上がって、窓から外を見下ろす。街から、灰色の煙が何本か立ち昇っているのが見える。炊事の煙ではない。


 ――これは。


 火事の煙だ。あの時の煙。城から立ち昇り、主が死んだ、あの時の煙と同じ。再びの爆音。今度は断続的に響く。場所は不明。


 ひときわ大きな音をたてて、部屋の扉が開いた。振り向くと、息を切らした従者が、ぜいぜいと呼吸を整えている。


「何事ですか」


 いち早く反応したヒルデが、その従者に問う。


「しゅ、襲撃です……、ヒルデ様。街に、敵が……」


「敵? どこの兵士ですか、数は?」


「それが……、兵士ではなく、その……」


 そこで従者は激しく咳き込んだ。ヒルデが歩き寄って、肩に手を乗せる。


「落ち着いて。ゆっくりで良いですから」


「はい……、すみません。兵士ではなく、ゴブリンの大軍勢が、侵入しているとの報告が……」


「ゴブリン? ゴブリンの軍勢と言いましたか?」


「はい……。既に北門が破られ、続々と侵入していると……」


「北門が? 門番はどうしたのですか」


「壊滅、したと……」

 従者はそこでひっくり返ってしまった。体力を使い果たしたのだろう。


「なんですって?」


 ヒルデは腕を組んで目を閉じた。だがそれも一瞬で、すぐに腕を解くと、廊下に並んだ従者に向かって口を開いた。


「まず住民の避難を優先します。南食糧庫と各集会所、この屋敷も開放しなさい。南門の人員も誘導にあてるよう。行って!」


 声と共に、数人の従者が矢のように駆け出していく。


「冒険者組合に協力を要請。報酬は全額街から払います。騎士団の三分の一をゴブリン討伐、三分の一を住民の避難誘導、保護にあてなさい」


 再び、駆け出す従者たち。


 ヒルデはそこで僕たちに向き直ると、


「すみません、リンさん、カーラさん。お客様の安全は守りますが、自衛のためにも……」


 この部屋に入る前に預けた槍が返された。カーラも、剣を受け取っている。

 事情は不鮮明だが、ゴブリンが街に侵入したのは確からしい。

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