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RULKA~リテイク・シンドローム 白紙の手帳と第二の密室~  作者: 光闇居士


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第2章:偶像破壊のプロトコル、あるいは美しき共犯の泥濘

『17:51』

 何度目かの赤いLEDの瞬き。

 創真そうまはミキサー卓からゆっくりと身を起こし、喉の奥からせり上がる胃液の味を飲み込んだ。

 視線の先には、パイプ椅子に縮こまり、不安そうにこちらを見つめる星野琉佳るかがいる。彼女はまた「初期状態」にリセットされていた。


「……創真くん? 本当にどうしたの? 気分が悪いのなら……」


「保健室へ行こう、だろ?」


 創真の冷ややかな声に、琉佳がビクッと肩を揺らす。

 先ほどまでのループで、創真は彼女を守るためにドアを塞ぎ、窓を縛った。だが、システムはそんな物理的防壁を「同調圧力という重力」で容易く貫通し、彼女を窓から飛び降りさせた。

 あの『手引書』の言う通りだ。


 彼女を殺しているのは、外からやってくるバケモノではない。彼女自身が肌身離さず着込んでいる「完璧な生徒会長」という、呪いのような制服(役割)なのだ。


「会長。あんた、なんでここに隠れてるんだ?」


「えっ……それは、ちょっと頭痛がして、静かなところで休ませてもらおうかと……」


「嘘をつくな」


 創真はミキサー卓を回り込み、琉佳に歩み寄った。その瞳には、かつての「無気力な放送部員」の面影はない。十九回の死を経てシステムをハッキングした先人(健斗)の狂気が、黒い手帳を通じて創真の脳髄に感染し始めていた。


「頭痛なんて嘘だ。あんたは逃げてきたんだろ? 明日の開会式、クラスの出し物のトラブル処理、教師からの無言の圧力。……『完璧な星野琉佳ならなんとかしてくれる』っていう、全校生徒の気持ち悪い期待から」


「な、何を言ってるの……? 私は生徒会長として、みんなのために……」


 琉佳は必死に微笑もうとした。

 それは、彼女がこの学校で生き抜くために身につけた、最も強固な防衛本能スクリプトだった。誰にでも優しく、自己犠牲を厭わない悲劇の聖女。

 だが、今の創真にとって、その美しい微笑みは「死へのカウントダウン」に他ならなかった。


『17:54』

 創真は舌打ちをし、琉佳の肩を乱暴に掴んで壁へと押し付けた。

 ドンッ、という鈍い音が防音室に響く。


「きゃっ……! 創真くん、痛い……!」


「笑うな!! その気持ち悪い作り笑いをやめろ!!」


 創真の怒号が、至近距離で彼女の顔面を打つ。


「あんたがその『みんなのための聖女』を演じ続けている限り、あんたは10分後に死ぬんだよ! 頼むから、俺の前でだけは、そのクソみたいな仮面を剥いでくれ!!」


 それは、恐ろしいほどに残酷で、同時に、泣きたくなるほど不器用な「愛情」の発露だった。

 ずっと放送室のガラス越しに、グラウンドで愛想笑いを振りまく彼女を見てきた。誰からも頼られ、誰にも弱音を吐けない彼女の孤独を、音響機材のノイズ越しに感じ取っていた。

 だからこそ、創真は彼女を救いたかった。

 彼女の尊厳を泥で汚し、醜い本音を引きずり出すことでしか、この理不尽なシステム(死)から彼女を助け出す方法はなかった。


「……離してっ。私、戻らなきゃ。みんなが私を待ってるの……!」


 琉佳の瞳が、ふっと虚ろに濁り始めた。

 時間が迫っている。システムが、彼女の脳内に『役割』を強制インストールし始めているのだ。


『17:57』

 防音扉の向こうから、ヒソヒソという不気味なノイズが漏れ聞こえ始めた。


『会長、出番です』『完璧な会長』『自己犠牲のヒロイン』。


 見えない全校生徒の同調圧力が、冷たい水のように足元から這い上がってくる。


「……みんなが待ってる……行かなきゃ……」


 琉佳が、創真の腕を振り払おうともがく。その力は、先ほどのループ同様、華奢な少女のものとは思えないほど異常に強かった。システムが彼女の肉体を操り始めている。


「行かせるかよッ!」


 創真は、壁に押し付けていた琉佳の体を抱え込み、そのまま古いカーペットの床へと一緒に倒れ込んだ。

 馬乗りになり、暴れる彼女の細い両手首を、渾身の力で床に押さえつける。

 それは、傍から見れば暴行に等しい構図だった。生徒会長と、日陰者のオタク。決して交わるはずのなかった二人が、薄暗い密室の床の上で、汗と息を荒らげながらもつれ合っている。


「放して! いやあああっ!」


「言えッ! 本当は全部放り出して逃げたいって! みんなの期待なんて吐き気がするって!」


「ちがう、私は……っ!」


 創真は、彼女の耳元で、最も呪わしい言葉を囁いた。


「図書室裏の階段で、あんたが一人で泣いてたのを知ってる。過呼吸になって、胃液を吐きながら、『もう嫌だ』って呟いてたのを、俺はマイクのテスト中に拾ったんだ」


 ビクンッ、と。

 琉佳の体が、雷に打たれたように跳ねた。

 彼女が誰にも見せなかった、完璧な偶像の裏側に隠された、ただの「弱くて惨めな女子高生」の姿。それを、最も見下していたはずのモブ生徒に暴かれた羞恥と恐怖。


「あんたは聖女じゃない。ただの臆病者だ。……いいよな? もう、その重い冠は捨てろ。俺と一緒に、このクソみたいな学校を呪えッ!」


『17:59』

 ドアの外のノイズが、爆音のコーラスに変わる。


『笑って!』『私たちのために死んで!』『美しい悲劇を!』


 琉佳の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。

 それは、システムが強要する「悲劇の涙」ではない。他者に内臓をひっくり返されたような、純粋な屈辱と怒りの涙だった。


「……っ、うるさい……」


「え……?」


「うるさいっ、うるさい、うるさいうるさいうるさぁぁぁぁぁいッ!!!」


 琉佳の喉から、獣のような絶叫が迸った。


「なんで私ばっかり! 期待すんな! 押し付けんな! お前ら全員、死ねばいいのよッ!!」


 その瞬間。

 防音室の空気が、パキッ、とガラスが割れるような音を立てて歪んだ。

 彼女が「悲劇のヒロイン」としての役割スクリプトを放棄し、身勝手で醜い本音バグを吐き出したことで、システムに致命的な演算エラーが発生したのだ。


『18:00』

 夕焼け小焼けのチャイムが鳴り響く。

 しかし、その音階は狂っていた。ドミソの和音はグロテスクな不協和音にすり替わり、ドアの外で叫んでいた「生徒たちのノイズ」が、バグったレコードのように同じ音節をループし始める。


「……やった。バグった……!」


 創真は、琉佳を押さえつけていた手を少しだけ緩めた。

 システムは混乱している。彼女は窓へ向かわない。俺たちは、この『10分間』の強制終了プログラムを打破したのだ。

 そう、歓喜しかけた、次の瞬間だった。

 ――ガツンッ!!!

 見えない巨大なハンマーで殴られたように、琉佳の体が床から跳ね上がった。


「……ぇ?」


 琉佳の口から、どす黒い鮮血がゴボッと吐き出され、創真の頬を赤く汚す。

 システムは、エラーを起こした。

 彼女が「自ら美しく窓から飛び降りる」という処理を拒絶したため、世界を管理するプログラムは、代替手段として『直接的な物理削除デリート』を実行したのだ。

 バキ、ボキボキッ!

 琉佳の四肢が、ありえない方向へとねじ曲がっていく。まるで見えない巨大な手に雑巾のように絞り上げられているかのような、凄惨な光景。


「あ、あ、あああああっ! 琉佳ッ!!」


 創真が手を伸ばすより早く。

 彼女の首が、真後ろに180度回転し、焦点の合わない瞳が創真を見下ろした。

 そして、世界は再び、圧倒的な白光に包まれた。

     

* * *


「――っげほっ、はぁっ、はぁっ……!!」


 気管に詰まった血の幻覚を咳き込みながら、創真は目覚めた。


『17:50』。

 ミキサー卓の隅には、やはりあの黒い手帳が開かれている。

 そこには、新たな文字が、血塗られたナイフのように刻み込まれていた。


>>

【タイムループ対処手引き(改訂版):第2条】


「精神的解剖学の初歩、およびシステムの「荒療治」について」

おめでとう、後輩くん。君は無事に彼女の「ヒロインの仮面」を剥ぎ取り、泥水を飲ませることに成功した。あんなに醜く、美しい本音の絶叫を聞いたのは久しぶりだよ。拍手を送ろう。

 しかし、システムを甘く見てはいけない。プログラムは「予定された結末(死)」に辿り着けないと判断した瞬間、強引に辻褄を合わせようとする。美しく飛び降りてくれないなら、力技で雑巾絞りにしてでもログを消去する。それがこの箱庭の冷酷な仕様だ。

 だが、悲観することはない。君が彼女の精神を汚し、共犯関係に引きずり込んだことで、確かに世界システムは一度悲鳴を上げた。

 さあ、次はどうする? 彼女をもっと深く、もっとグロテスクな場所まで堕とす覚悟はあるか? 倫理観なんてものは、この密室ではただの足枷でしかないのだから。

>>


 創真は、頬にこびりついた「存在しない彼女の血」を手の甲で拭い、ゆっくりと顔を上げた。

 パイプ椅子で震える琉佳を見る。


「……覚悟なら、とっくに出来てる」


 創真の瞳には、もはや善良なモブ生徒の光はなかった。

 あるのは、彼女を救うためなら、世界を根底からバグらせてでも彼女を汚し尽くすという、変異的な愛情の炎だけだった。


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