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RULKA~リテイク・シンドローム 白紙の手帳と第二の密室~  作者: 光闇居士


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第0章(プロローグ):午後5時50分のバグ・レポート

挿絵(By みてみん)

オレンジ色に染まった防音壁。機材の排熱と、古いカーペットの匂い。

 文化祭前夜の、誰も来ないはずの旧校舎・放送室。

 機材ラックの隣に置かれたデジタル時計の赤いLEDが、『17:50』という数字を無機質に表示している。


【しおの】


ノイズキャンセリング・ヘッドホンが、世界を遮断するあの完璧な静寂。

 それに似ていた。

 視界が強烈なフラッシュを浴びたように真っ白に飛び、直後、カセットテープを猛スピードで巻き戻したような甲高い電子音が脳髄を突き抜けた。


「――っ!」


 肺に無理やり空気をねじ込まれたような感覚と共に、創真そうまはミキサー卓に突っ伏していた体を跳ね起こした。

 パイプ椅子が派手な音を立てて倒れる。息が荒い。心臓が、オーバードライブしたベースアンプのように肋骨の内側をガンガンと殴りつけている。全身を覆う脂汗が、制服のシャツにべったりと張り付いていた。

 酸素が足りない。金魚のように口をパクパクとさせながら、創真は周囲を見回した。

 オレンジ色に染まった防音壁。機材の排熱と、古いカーペットの匂い。

 文化祭前夜の、誰も来ないはずの旧校舎・放送室。

 機材ラックの隣に置かれたデジタル時計の赤いLEDが、『17:50』という数字を無機質に表示している。


「……嘘、だろ」


 創真は震える両手を見た。血はついていない。

 先ほどまで耳にこびりついていた、あの「肉がアスファルトに叩きつけられる破裂音」も、鼓膜の奥から綺麗に消え去っている。


「どうしたの、創真くん。急に大きな音を立てて」


 背後から、鈴を転がすような、けれどひどく輪郭のぼやけた声がした。

 振り返る。そこには、放送室のパイプ椅子にちょこんと座り、膝を抱えている少女がいた。

 生徒会長、星野琉佳るか

 全校生徒の憧れの的であり、教師陣の傀儡であり、この息苦しい学校の「完璧なシンボル」。文化祭前夜の狂騒から逃げるように、彼女がこの薄暗い放送室に転がり込んできたのは、つい先ほどのことだ。

 つい先ほど?

 違う。違う、違う、違う。

 創真の脳内で、先ほど経験したばかりの「未来の映像」が、バグを起こした動画ファイルのようにフラッシュバックする。


 ――午後6時ちょうど。

 分厚い防音扉が、外側から凄まじい力で叩かれた。ドンドン、ドンドン、という音は、やがて何十人、何百人という生徒たちの「合唱」に変わった。

『会長、出番です』『会長、笑って』『完璧な会長』『私たちの会長』。

 顔のない生徒たちの声がドアの隙間から粘液のように流れ込み、それまで震えていた琉佳の目が、ふっと虚ろに濁った。彼女は魅入られたように立ち上がり、止める創真の手を振り払って、放送室の窓を開けた。

 そして、夕闇が迫る中庭へ向かって、躊躇いなく身を投げたのだ。

 午後6時1分。彼女の頭蓋が砕ける音と共に、世界はホワイトアウトした。

 そして今、時計は『17:50』を指している。

 時間が、巻き戻っている。


「……夢、じゃない」


 創真は吐き気を堪えながら、ミキサー卓の縁を強く握りしめた。

 明晰夢や幻覚と呼ぶには、脳裏に焼き付いた情報量ビットレートが異常すぎた。彼女の手を掴み損ねた時の、制服のすれる感触。窓から吹き込んだ冷たい風。あれは、間違いなく「現実リアル」だった。


「ねえ、本当にどうしたの? 顔色が真っ青……」


「……会長。あんた、今すぐここから出ろ」


「え?」


「いいから! あと10分で、外から……!」


 言いかけて、創真はハッとして口を噤んだ。

 ミキサー卓の隅。琉佳が先ほど旧校舎の図書室で見つけてきたと言って、大事そうに抱えていた「真っ黒な表紙の古い手帳」が、視界の端に入ったからだ。

 ――オカルト掲示板の、都市伝説。

 情報収集が趣味の創真にとって、それは単なるネット上の「よくできた怪談」の一つに過ぎなかった。


『リテイクの手引書』。


 数年前、とある医大生と女優が、新宿の地下スタジオで無限のタイムループに陥った。男は自らの肉体を何度も解剖学的に破壊し、論理と狂気の果てに、ようやくそのシステムを「ハッキング」して脱出した。

 その際、男がループの法則と皮肉を書き殴った「手帳」だけが、この現実にバグとして取り残された。

 その手帳は、絶望の淵にいる者の前に現れる。

 手にした者は、強制的に『第二の密室』に閉じ込められ、終わらない時間を繰り返すことになる。


「……まさか、そんな三流のラノベみたいな設定……」


 創真は震える手を伸ばし、その黒い手帳を開いた。

 先ほど琉佳が見せてくれた時は、ページには何も書かれていなかった。ただの古びた、白紙の束だったはずだ。

 だが今、パラパラと捲ったその紙面の中央に、インクジェットプリンターがゆっくりと文字を描き出すように、どす黒い赤色で「テキスト」がレンダリングされ始めていた。


『――ようこそ、絶望の砂場サンドボックスへ。』


 創真の喉が、ヒュッと鳴った。

 文字は、生き物のように蠢きながら、次々と文章を構築していく。


『まずは窓から飛び降りてみるかい? あるいは、ドアの外のノイズに首を絞められてみるか? お勧めはしないがね。

 君がどんなに優秀なデバッガー気取りでも、この「10分間」は物理法則ハードでは解除できない。これは、君たちが背負っている「役割」を破壊するまで終わらない、悪趣味なデモンストレーションだ。

 健闘を祈るよ、顔も知らない後輩くん。せいぜい、あの馬鹿げた夕焼けのチャイムが鳴る前に、最高の悲鳴を聞かせてくれ。』


 末尾には、流れるような筆記体でこう記されていた。

『――元・用具係より』


「……なんだよ、これ」


 ディスプレイの向こう側の都市伝説が、突如として牙を剥き、創真の首筋に冷たい刃を突きつけた瞬間だった。


「創真くん? 何を見てるの?」


 無邪気に覗き込もうとする琉佳。彼女はまだ、自分が10分後に窓から飛び降りる「悲劇のヒロイン」というスクリプトに組み込まれていることに気づいていない。

 デジタル時計の赤いLEDが、無慈悲に切り替わる。


『17:51』。

 タイムリミットまで、あと9分。

 理不尽な死と、逃げ場のない密室。先人が残した、悪意とヒントに満ちたアーティファクト。

 放送部の機材オタクに過ぎない創真の、終わらない文化祭前夜ループが、ここに起動した。

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