宵の間も はかなく見ゆる
宵の間も はかなく見ゆる 夏虫に
まどひまされる 恋もするかな
虫に自分を重ねてしまうあたり、色々病んている雰囲気がします。
実際彼は、古今和歌集の完成を見ずに亡くなりました。貫之の従兄弟、紀友則の作品です。歌の直訳は『日没のあと、頼りなく見える夏の虫より、迷いの多い恋をしたなぁ』というところ。
宵とは日没後から夜半をさすので、日の光が無くなって、とすると情景も豊かです。そうなると、夏虫は蛍が妥当かもしれません。
例えば『日も落ちてあてなく迷う蛍より、夜の闇を彷徨う苦しい恋をしているんだ』とすると、一気に素敵になりました。これが歌の綺麗な顔です。どんな高嶺の花に思いを寄せてしまったのだろう、なんて邪推してしまいますね。
しかし、心情を虫と並べる皮肉から、蛍を蛾へと変えましょう。
そうすると『日の光ではないというのに、明かり火に集まり命を落とす、虚しい蛾。それより愚かな恋をしているんだ』と自虐的な歌になりました。夏虫とは、蛍でも鈴虫でも、蝉でもいいのです。また夏は暑いというところに掛けて、火に集まる虫、とも訳せます。火取り虫のさだめは、炎に羽を焦がされ死ぬことです。
自分の命を儚んだのでしょうか。
彼の死因は分かりませんが、出世の遅かった人でもあります。恋を甘く読む、そんなリア充を嘲笑ったのかもしれませんね。
帝のご威光も遠い閑職だというのに、まがい物の権力に縋って朽ちるなど、虚しい事だ。それよりは悩み苦しみ、出世を「乞」いている私なんだよ。
悲しい出世事情になりました。
友則の没年は延喜7年。中国で唐が滅んだ年とされています。
―――――――――――――――深読み篇
古今和歌集 巻第十二 恋の歌二
紀 友則
宵の間も はかなく見ゆる 夏虫に
まどひまされる 恋もするかな
とはいえ、恋の歌に分類されるのだから「恋」なのでしょう。四首連続、煮え切らない短歌が並んでいるので、ここでは一首を抜粋して深読みします。もちろん、男女関係の方面で。
では、どこから切り崩しましょうか。
注目点は「見ゆる」と「夏虫」です。
見ると書けば、目で見えていると思いがち。見ゆるとは、まみえる事で、一人では完結できません。そこから誰かと会うと深読みし、夜に男が会うなんて女だろう、となるワケです。つまり「見ゆる」には男女の逢瀬が隠れています。
夏の虫にも色々いますが「はかなくみえる」と限定される虫は、やっぱり蛍でしょう。
虫というキー自体、ミノムシから身の虫、となって男の端という解釈もあるようです。いいのか虫で、というツッコミは平安時代へどうぞ。花と言われるのも釈然としませんが、虫はなんだかリアリティを追及しすぎだと思います。
そんな虫は蛍を暗示しているので、ホタル端。光るハズがないので、穂たる端とすると、稲穂の垂れる様子が浮かび…………ほ垂れる…………と。やっぱり自虐味が強いです。
ざっくり訳して『宵の時間なのに、頼りなくなっていくホタルな端に、戸惑い増しても求めるんだなぁ』と、女がケダモノな感じになりました。
宵を「良い」として、最中にするのも多分アリです。
この男フラれる為に四首も呼んだのか、と疑ってしまいます。はかなく見ゆる夏虫に、がどう頑張っても「むなしい逢瀬ではする気にならない」としかならないのです。
やはり、死を悟って身辺整理を始めたのでしょうか。
歌の上手さで出世しました。その歌で身を滅ぼさないとも限りません。死因が呪殺だったら、女のフリ方を失敗したのでしょう。
久方の ひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
これがこの方の代表作らしいですね。桜を題としています。このコラムの読者さまには「ナニが散るって?」みたいな裏の意味も分かるかと思います…………
枕詞で初句の格調が高いですねー(棒読み)




