二話 八歳、森の中で
時は少し戻り「幻獣の森」が破られる数週間前。
新緑の森の中を駆ける一人の少年がいた。
少年の姿は、このような森の中ではどこか異彩を放っている。
まだ、幼い顔立ちに収まった一房黒いメッシュが入った金髪、瞳は金と蒼のオッドアイのようだ。
服装はこの森には似合わぬ軽装で黒い皮の服を着ている、その服にしても左腕は肩口までばっさりと袖が切り落とされており、それに反して右袖は逆に長く右腕がすっぽりと覆われている。
下半身にしても黒い皮の動き安そうなズボンと頑丈そうなブーツを履いているだけであり、見た目明らかに防御力不足な服装であった。
そして、何より異彩を放っているのが、彼が背中に背負った鉄の塊だろう。
大きな刀身は斬る為というよりは叩きつぶすために、その柄は短槍ほどの長さがある。
全体的な大きさをいえば少年の三倍はあるだろうか、明らかに彼には不釣合いな代物だった。
そんな状態で彼は森の中を疾駆していた、幻獣の森とも呼ばれるこの森を。
「ハアハア...、くそ!赤い熊が2体に岩竜が一体か...」
俺の後ろを追いかけるように赤い熊が一体、そして、音だけではあるが俺の右方向を併走する形で木々のへし折れる音が響いている。
極め付きは、熊どものさらに後方から巨大な岩に擬態した岩竜がにじり寄ってくる...。
全体的な岩竜のスピードは速くは無いのだが、とにかく身体がでかいため歩きが遅かろうと関係無い。
かなりヤバイ状態だ...。
まあ、こんな所で死ぬ気は無いし。
本気で行くか!!
【魔道神経】―擬似筋力強化
俺がこの数年間で研磨し研究した結果、確認できた【魔道神経】の使用方法の一つ。
まあ、擬似筋力といっても単純に力が上がるというものでもない...。
神経接続―一本目
身体に力が湧きあがって来る、しかし、感覚的には身体にその分重くなったような感覚だ。
神経接続―二~五本目
単純に底上げされただけの力を、制御するために四肢の先まで感覚を伸ばすような感じだ。
重くへばりつくような倦怠感を書き消すように、体中に微細な感覚が戻ってくる。
神経接続―六本目
最後に脳に【魔道神経】を接続する、急に視界が開け思考が加速する感覚。
そして世界が動き始めた...。
この間大体一秒ほど、この状況下では致命的になってもおかしくないほどの長時間だ。
現に、目の前には赤い毛皮を纏った大きな肉球が迫ってきているのが見える。
シッ!!
大きな袖に隠された右腕が鋭く伸びて、そのまま肉球を迎撃する。
いやよく見るとそれは手ではなく、鉛色に鈍く輝く細身の鞭。
かつて、この森に生息するオオアリクイ舌であったのもだ。
その鞭から他人には不可視の神経糸が二本伸びているのを確認してから、右腕をすばやく振るう。
熊にむけて射出された鞭がしなり大蛇のように熊の身体に巻きつき、細剣のように硬質化した先端部がその勢いのまま熊の心臓に突き刺さった。
「まず一匹...」
硬直したように絶命する熊を一瞥してから。
もう一頭、見えない所を併走していたはずの熊の方向に視線をむける。
「ん、王牙か...、余計な真似を」
木々の間からかすかに見えた光景は、褐色の鬼が赤い熊の顔面を握りつぶしているところだった。
熊が二頭とも死んだ今、残っているのは岩竜一頭。
全身が岩のような鱗鎧で包まれた巨竜だ、熊との戦闘中も一歩一歩確実にこちらに近づいてきていたのだろう。
その前足は既に、目視で十メートルほどの所まで来ている。
熊を貫いていた鉛鞭を解除してから、岩竜にむけて射出する。
岩鎧を突き抜けダメージを与えることは無かったが、硬質化した先端が杭のように岩竜の肩口に打ち込まれた。
伸びきった鞭の反動を利用して、そのまま飛び上がり肩口に着地する。
が、まるで揺れ動く大地、一歩一歩地震が起こっているような感覚に見舞われる。
肩口に嫡子いて見たものの、さてどうしようかと思案に暮れた。
岩竜には目が無い、それは岩竜の弱点でありそして弱点を失っていることも意味する。
つまり、視界によって補足されることは無いのだが、鍛えることのできない部位である目玉を最初から失っているのだ。
つまり、岩竜が岩鎧の間から外気に晒す部位は口と鼻のみ。
王牙のように、岩鎧を単独で破壊できうるほどの破壊能力があれば別だが、擬似筋力強化をもってしても其処までの破壊力は、まだ見込めない。
簡単な話しだ、擬似筋力強化はいって見れば筋力の限界上限を一時的にあげるものだと考えれば、いまだに身体的に未成熟な俺は、いくら無理をしても其処までの底上げは期待できないのだ。
なら今狙うのは一つ、口だ!
引き抜いた鉛鞭を岩竜の頭部の先端。
鼻を狙って射出する、目を失った生物が必然的にたどる道、ほかの五感の強化。
岩竜もその例に漏れることなく、人間の数倍の嗅覚を有するらしい。
そして、岩竜が今たどっている匂いは俺、俺は肩口にいるため、必然的に岩竜の顔はこちらを向いており。
直線的な軌道を描いた鉛鞭の先端が岩竜の鼻に吸い込まれ、鼻の粘膜を傷つけた...。
それこそ、人間がくしゃみをするように岩竜の大きな口の開口を伴って。
攻撃可能時間は短い、文字通り岩竜がくしゃみでもすれば、俺はその風圧で吹き飛んでしまうだろう。
だから、勝負は一瞬...。
柔らかい鼻の肉に杭のように突き刺さった鉛鞭を再度しならせる。
その勢いを進行方向、つまり岩竜の口内へとむけて自分自身を弾丸のように打ち出す。
空中で体勢を整えながら、背中に背負った斬馬槍『バロング』を引き抜く。
くしゃみの前兆のような岩竜の一瞬の吸引も手助けして、見事岩竜の舌の上に着地。
そのまま、頭上にむけて全身全霊でバロングを突きこんだ。
柔らかい口内の肉を貫き、頭部に位置するどんな生き物だろうと一番大切な器官「脳」に直接バロングを撃ち込んだ。
時が止まったような一瞬の静寂の後、顎から崩れ落ちるように岩竜は倒れた。
そう、大きく開いていた口の開閉部分である顎から。
「あちゃ~、詰めが甘かったな...」
無常にも、そんな俺の呟きを残して岩竜の口は閉じられる。
中に、まだ幼い少年を残して...。
「マジで!ちょっと!!王牙助けて~~~~~~!!」
その後、褐色の鬼が少年がいないことに気がつくまで、森の中に勝者の悲痛な悲鳴が響き渡ったそうな...。