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魔力を持ちすぎた化け物少女は、空っぽの無能公爵に嫁ぐ 〜触れても壊れないただ一人の旦那様に、なぜか底抜けに溺愛されています〜  作者: 白月つむぎ


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1 婚姻の申し出

「アリストン公爵家より、婚姻の申し出があります」


 ゼネ・レア王国から遠く離れた、薄暗い辺境の森。

 晩秋の冷たい風が枯れ葉をカサカサと鳴らして吹き抜けていく凍りつくような静寂を破ったのは、この寂れた場所にはおよそ似つかわしくない、凛とよく通る声だった。


「えっ……?」


 メルナは鮮やかな朱色の瞳を丸くして、手に持っていた古い木椀を思わず取り落としそうになった。

 少しでも気を抜けば自身の内に渦巻く異常な魔力が器を砕いてしまうため、慌てて指先の力を抜く。

 欠けた木椀の中でかすかに揺れたのは、塩気も乏しい緑色の雑草の粥だった。


 木々の向こう、森の陰と光が交差する境界線に、二人の男が立っていた。


 一人は年配の男。

 深い皺が刻まれた顔に、雪のような白髪を隙なく整えている。

 仕立ての良さが一目でわかる上等な衣服に身を包んでいるのに、その立ち姿にはどこか気配を消すような、ひっそりとした空気が漂っていた。


 もう一人は、若き騎士だ。

 よく磨かれた銀色の鎧が木漏れ日を反射しているが、剣の柄に置かれた手は血の気が引くほど強く握り込まれ、額にはうっすらと脂汗が滲んでいる。

 メルナと視線がぶつかった瞬間、騎士の肩がびくりと大きく跳ね、呼吸を不自然なほど浅くした。


(……やっぱり)


 メルナは長い睫毛を伏せ、澄んだ水のような淡い青色の長い髪をわずかに揺らした。

 恐れられることには、とうの昔に慣れきっている。

 メルナの身体に満ち溢れる規格外の魔力は、ただそこにいるだけで常人を圧迫し、本能的な恐怖を抱かせるのだから。


「えっと……それは、私のことをすべて知った上での、お話なのでしょうか?」


 期待を込めて聞いたわけではない。

 忌み嫌われる化け物の存在を確認し、恐れをなして帰っていくための、ただの確認作業だった。


 しかし、年配の男はわずかに目を細めると、逃げることなく静かに一歩を踏み出した。


「――重々、承知の上でございます。貴女様が、途方もなく強大な魔力をお持ちであること。そして、それゆえに街を離れ、この辺境の地にいらっしゃることも」


「……どうして、ですか? 私、ただの平民ですし、公爵家から婚姻の申し出なんて……やっぱりおかしいです」


 メルナの言葉の奥にあったのは単なる困惑ではなく、傷つく前に突き放そうとする硬い拒絶だった。


「私、街にも入れてもらえないんです。魔力が強すぎて……気を抜くと、周囲の道具を壊してしまうことがあるから」


 昔、何度か街に行こうとしたことがあった。

 しかしその度に、門の前で「化け物め、近付くな!」と槍を向けられ、追い返された。


 誰かに微笑みかけたくても、向けられるのは常に怯えと憎悪の視線だけ。

 それは今も心にこびりついて離れない、冷たくて痛い記憶だった。


「だから、ずっとこの森で暮らしています。父と二人で、できることだけをして……食べるものもろくになくて、人々から迫害されている私が、公爵家に嫁ぐなんて――」


 言い切る前に、年配の男が静かに言葉を紡いだ。


「だからこそ、でございます」


 穏やかな声だった。

 だけど、その響きには盤石の意志が宿っていた。


「アリストン公爵家は、代々、この大陸全土の命脈である大樹の調律を担ってきた家系。荒れ狂う大樹の魔力を循環させるため、極めて強大な魔力を扱える者でなければ、その務めは果たせません」


 男はそこで一度言葉を切り、痛みを堪えるように目を伏せた。


「そして――現在、当家にはその役目を果たせる者が、存在しないのです。ご当主は先日、過酷な調律の果てに逝去なされました。二人のご子息もまた……すでに、大樹に命を還しておられます」


 伏せられた言葉の先は、語らずとも理解できた。

 大樹の調律とは、それほどまでに命を削る過酷な儀式なのだ。


「残されたのは、現当主であるハーヴィ・アリストンただお一人。しかし――あのお方は、アリストン家の血を引きながら、一切の魔力をお持ちではないのです」


「……え?」


 思わず顔を上げる。


 魔力を持たない。

 ウル・シウス大陸の中心たるゼネ・レア王国において、しかも代々強魔力を誇る公爵家に、そんなことがあり得るのかと。


「このままでは、大樹の調律は完全に途絶えます。そうなれば、高出力な魔力は暴走し、大陸全土の魔力循環は壊滅――いずれ、無数の命が失われることになるでしょう。ゆえに、貴女様が必要なのです」


 淡々と告げられた現実は、あまりにも巨大で重かった。

 男のまっすぐな視線が、メルナを捉えて離さない。


「その規格外の力を、どうか当家にお貸しいただきたい」


 そのとき、ざっ、と枯れ草を強く踏みしめる音がした。


「……その話、待っていただこう」


 低く、掠れた声。

 振り向くと、小屋の陰から足を引きずりながら歩み出てくる一人の男がいた。

 年老いて、すっかり痩せ細ったメルナの父だ。


「お父さん……!」


 彼はゆっくりと娘の前に立ち塞がると、鋭い眼光で使者たちを睨みつけた。


「……アリストン家の大樹の調律。街を追われた私でも噂には聞いている。あれは強大な魔力を持つ者すら飲み込む、底なしの魔力の奔流だと……違うか?」


 父のその言葉に、空気が凍りつく。


「……否定は、いたしません」


 使者の男は、誤魔化すことなく深く頭を下げた。


「大樹の放つ魔力は、まさに無限。ゆえに、並の人間ではその力に耐えきれず、命をすり減らしてしまうのです」


 無限。

 底なしの魔力。


 その言葉を聞いた瞬間、父の焦げ茶色の瞳の奥で微かに何かが揺れた。

 そして、張り詰めていた肩の力がふっと抜ける。


 父は振り返り、メルナを見た。

 その眼差しは酷く悲痛で、それでいてどこか深い安堵を覚えたような、ひどく複雑な色を帯びていた。


「……行くんだ、メルナ」


「え……お父さん!」


 予想外の言葉に、メルナは素っ頓狂な声を上げた。


「お前のその力は……あまりにも大きすぎるんだ。この小さな森では、いつかお前自身を壊してしまう」


 父の言葉に、メルナは息を呑んだ。

 それは、ただ娘を厄介払いしようとしているのではない。

 誰よりも娘の本当の恐ろしさを知り、愛しているからこその切実な願いだった。


「大樹の持つ無限の力だけが……お前を、お前のすべてを余すことなく受け止めてくれるのかもしれない。お前は、こんな何もない森で終わっていい命じゃないんだ」


「でも、それじゃお父さんが一人で……!」


「私は、もういいんだ」


 メルナの言葉をきっぱりと遮る。


「お前がその力を恐れず、誰かに必要とされて生きられるのなら……それが一番いい」


 胸が、ぎゅっと締め付けられた。

 自分のせいで、ずっと苦労をかけてきた。

 母親を死に追いやり、父親の人生を森の奥底に縛り付けてきた。


 もし、大樹の力が自分を受け入れてくれるのなら。

 自分の力が、誰かの役に立つのなら。

 そして何より――たった一人の家族の未来を救えるのなら。


 メルナは、ゆっくりと顔を上げた。


「……一つ、条件があります」


 朱色の瞳が、まっすぐに使者を射抜く。

 先ほどまでの自信のなさは消え失せ、そこには強大な魔力を持つ者にふさわしい、毅然とした威厳すら漂っていた。


「父の、今後の生活を保障してください。住む場所と、あたたかい食事と、必要な医療を……父が一生、安心して暮らせるように手配してください。それが叶うなら……私は、このお話を受けます」


 ぎゅっと握りしめた指先が、恐怖と覚悟でわずかに震えていた。

 わずかな沈黙が降りる。

 やがて、年配の男は改めて居住まいを正すと、安堵したように目尻を下げ、深く、深く一礼した。


「申し遅れました。私、アリストン公爵家に仕えております執事、オリバーと申します」


 流れるような、無駄のない所作だった。

 その一礼だけで、この男がただの使いではないことがよく分かる。


 続いて、隣で硬直していた若き騎士が、びくりと肩を大きく揺らした。


「あ、えっと……っ! じ、自分はランスロット! 同じく公爵家に仕える騎士であります!」


 ガチャリと重たい鎧を鳴らして勢いよく頭を下げた声は、ひっくり返りそうなほど上ずっていた。

 先ほどまで怯えていた名残なのか、それともまた別の緊張なのか。

 その必死な様子に、メルナはほんのわずかに目を瞬かせた。


(……ちゃんと、名乗ってくれるんだ)


 化け物ではなく、ひとりの人間として接してくれている。

 彼らは逃げ出さなかった。

 それだけで、心の奥深くに張り詰めていた氷が少しだけ溶けた気がした。


「……メルナ、です」


 名を名乗る必要など、きっとないはずだ。

 それでも、無意識のうちにそう返していた。


「では、メルナ様。早速ではございますが、ご同行願えますでしょうか」


「もう、ですか?」


 思わず聞き返す。

 着替えの服も、持ち物も、何一つ持っていなかった。


「必要なものはすべて、お屋敷にて当方でご用意いたします。お父様の生活環境につきましても、手続きが済み次第王都の療養施設にて手厚く保護させていただきますので、ご安心ください」


 その迷いのない一言で、メルナの中にあった最後の迷いが消え去った。


 父を見る。

 彼は静かに、深く頷き、優しく力強く背中を押した。


「行きなさい、メルナ」


「……はい」


 メルナは、森の外へと続く道を一歩踏み出した。


 振り返ると、いつもの見慣れた小屋があった。

 粗末で、隙間風が寒くて、貧しくて――それでも、かけがえのないあたたかな場所。


「……行ってきます」


 その言葉への父の返事は、短い「ああ」だけだったが、それだけで十分だった。


 森の外れ。

 木々が途切れた先に、今まで見たこともないほど豪奢な馬車が待っていた。

 深い艶のある木材に、繊細な金の装飾が施されている。

 息を呑むほどの美しさと、そこから漂う圧倒的な権威の気配に思わず足がすくみ、立ち止まってしまった。


「……大丈夫です」


 隣から、控えめな声が降ってきた。

 ランスロットだ。


「自分も、初めて公爵家のお屋敷を見たときは、足が震えて泣きそうになったので……」


 どこか照れくさそうに頭を掻きながら言う不器用な慰めに、張り詰めていた緊張がほどける。

「ありがとうございます」とメルナが微笑んで返すと、彼は気恥ずかしくなってしまったのか、慌てて背筋を伸ばした。


 オリバーが恭しく馬車の扉を開く。


「どうぞ、メルナ様」


 静かに促され、メルナは一瞬だけ空を見上げた。

 森の鬱蒼とした木々に遮られない、高く、広い空。

 こんなふうに視界いっぱいの空を見るのは、生まれて初めてかもしれない。


 胸の奥が、わずかにざわめく。

 命を削る未来への底知れぬ不安と、それから――ほんの少しの、新しい世界への期待。


 メルナは馬車へと足を踏み入れた。


 その瞬間、空気がかすかに震えたような気がした。

 それは、誰にも知覚できないほど微細な揺らぎ。


 けれど――ウル・シウス大陸の遥か地下。

 張り巡らされた大樹の根の奥底で、長く滞り続けていた膨大な魔力がわずかにざわめいたのだ。


 まるで、失われていた何かの気配をようやく見つけたかのように。

 あるいは、帰るべき場所を思い出したかのように。

 かすかな波紋が、深く、静かに広がっていく。


 それが世界の均衡を揺るがし、そして孤独だった二つの運命を引き寄せていく始まりであることを――まだ、誰も知らなかった。

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