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「その黄色いゴミ箱を持って消えろ」と100均卵料理グッズを見下して追放した王国が、一年後に俺を呼び戻すまでの話  作者: 藍帽


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封じられた断面と、黄金の花びら

 王都まで、あと一日という街に入ったのは、昼を過ぎた頃だった。


 三人で歩くのは、これが初めてだった。エルナは変わらず聖女服のまま街道を踏み、シュウはいつも通り鞄を肩に下げていた。ベアトリーチェだけが、絹のドレスで石畳の上を歩きながら、道端の屋台をちらりと見て、小さく息を吐いた。


「……これが昼食の候補ですの?」


「文句があれば馬車でお戻りになればよろしいでは?」エルナが前を向いたまま言った。


「馬車は置いてきましたわ。選んだのはわたくしですもの」ベアトリーチェが言った。「文句ではなく、確認ですわ」


「どちらでも同じことです」


 シュウは二人のやりとりを聞いていなかった。街の入り口の広場に、白いのれんのかかった小さな店があった。その店先で、一人の娘がこちらをじっと見ていた。


---


 その娘が駆け寄ってきたのは、シュウたちが広場を半分ほど行き過ぎた時だった。


「あんたが卵道具の旅人でしょ。ちょうど良かった!」


 二十歳に届かないくらいの娘だった。色白の肌、横に流した栗色の髪。白いエプロンに、パンと卵とバターの匂い。細い目に商売人の光があった。


「……どこかで会いましたか」


「会ってないよ。噂どおりの風貌ね。ほら、来て来て」


 ルミエールと名乗った娘は、シュウの腕をつかんで引っ張り始めた。


 ベアトリーチェが、すっと前に出た。


「ずいぶん積極的ですわね」


 笑顔だった。柔らかい、穏やかな笑顔。だが一歩も引かない笑顔だった。


「あ……お連れ?」


「そうですわ。それで、ご用件は?」


 ルミエールがベアトリーチェを見て、エルナを見て、またシュウを見た。


「来月、王都の食材問屋に売り込みに行くんです。何か卵を使ったもので、目玉になる一品が作れないかなって」


---


 ルミエールの店は小さかった。カウンターが四席、壁に籠が下がって丸いパンが並んでいる。


「うちは三代続いたパン屋なんだよ。父は粉、母は成形、わたしは中身」ルミエールが腕を組んだ。「ハムサンドとBLTは作れる。でも卵を使ったもので、もっと見た目が華やかなものが欲しいんだ。今の時代、見た目は重要。美味しいのは当たり前の上で」


「……正直なんですね」とシュウが言った。


「商売なんでね」ルミエールがにっこりした。「楽して結果が出るなら、それが一番いいでしょ」


 エルナが小さく噴き出した。ベアトリーチェは扇子を開いて口元を隠した。


---


 シュウは鞄から細長い金属のフレームを取り出した。中央に卵一個が収まる楕円形のくぼみがある。【ゆでたまごスライサー】。


「ゆで卵を均一に切ります」


 卵をくぼみに置いて、フレームを閉じる。


 ぱちん。


 フレームを開くと、卵が七枚の均一な輪切りに分かれていた。厚みが、一枚残らず揃っている。


「……っ」ルミエールが前のめりになった。「全部、同じ厚さで」


 シュウはパンを一枚取った。ゆで卵の輪切りを惜しみなく並べ、マヨネーズもなじませる。もう一枚のパンで挟んで、二つ目の道具を取り出した。


 穴の開いた樹脂の板が蝶番で繋がれた道具。穴の縁に沿ってギザギザの刃が並んでいる。【密封サンドイッチプレス】。


 パンを挟み、ぐっと押した。


 シーラーを外すと、パンの縁が完全に密封されていた。ギザギザの刃でくり抜かれ、真四角の、縁の閉じたサンドイッチが現れた。


「切ってみてください」


 ルミエールが包丁を入れた。縁が密封されているから、包丁で押しても中身が逃げない。


 断面が現れた。


 真っ白なパンの壁。プリッとした白身の光沢。そして、中心から溢れ出す濃厚な黄身のオレンジ。三層のコントラストが描く断面は、もはや料理というよりは、精緻にカットされた宝石の原石を思わせた。


 ルミエールが動かなかった。


「……食べてみてください」


 ルミエールが震える手でサンドイッチを持ち上げた。縁が密封されているから崩れない。輪切りの卵が、最後まで整列したまま口に入ってきた。


「…………」


 ルミエールはそのまま二口目を食べた。三口目を食べた。


「……ッ、はぁ……っ!」


 咀嚼するたびに、鼻腔を抜ける卵の濃厚な香りに、彼女の肩が微かに震える。

 まず、白身の「ぷりっ」とした瑞々しい弾力が歯を押し返し、直後、オレンジ色の黄身が舌の上でとろけ出した。マヨネーズの柔らかな酸味と油分が、黄身のコクを何倍にも増幅させ、暴力的なまでの旨みが口腔内を支配する。

 

 何より驚くべきは、その一体感だ。

 通常ならバラバラに崩れるはずの具材たちが、密封されたパンの中で「一つの黄金の塊」へと昇華されている。噛みしめるたび、しっとりとした白パンが卵の水分を吸い込み、噛むほどに甘みが溢れ出す。飲み込むのが惜しいほどに濃厚で、それでいて後味はどこまでも優しい。


 ルミエールは、指先に付着した一滴の黄身すら逃すまいと、夢中で食らいついた。

 みっともないという抵抗も、この圧倒的な「満足感」の前では無意味だった。


「……これだ」


 呟きは小さかった。でも確信があった。


「もう一つ見せます」


---


 シュウは【エッグスライサー】を取り直した。今度は輪切りにした卵を九十度向きを変えて、もう一度フレームを閉じた。


 ぱちん。


 フレームを開くと、卵が細かいダイス状になって広がった。縦横均一に刻まれた黄白混在の粒が、まな板の上で静かに光を反射していた。


 シュウがレタスと茹でたじゃがいもを器に盛った。そこへ、卵のダイスをひとつかみ、高い位置からそっと落とした。


 黄金の粒が、ふわりと降り積もった。


 春の花が散るように。黄色い細かな粒が、緑のレタスと白いじゃがいもの上に薄く均一に広がり、淡い黄金色の絨毯を作った。


 店の中が静かになった。


 ルミエールが声を失った。エルナが口元に手を当てた。ベアトリーチェは言葉を出さなかった。


「ドレッシングをかけて食べてみてください」


 オリーブオイルと酢と塩、わずかに蜂蜜。それだけのものが、卵の粒の上で光の筋になって滴り落ちた。


「……なんで」ルミエールがフォークを持ったまま、震える声で呟いた。「ただのサラダが、どうしてこんなに、……おいしいんだ」


 一口ごとに、未知の快楽が舌を叩く。

 レタスが瑞々しく弾けるのと同時に、雪のように降り積もった卵のダイスが「ほろり」と一斉にほどけた。

 

 それは、これまでの「刻み卵」の概念を覆す食感だった。

 不揃いな塊が一切ない。濃厚な黄身のコクが粉雪のように溶け広がり、プリッとした白身の粒が小気味よいアクセントとなってリズムを刻む。


 じゃがいものホクホクとした甘みに、卵の淡雪のような口溶けが重なり、ドレッシングの酸味がそれらを鮮烈に際立たせる。

 どこを掬っても、どの角度から噛んでも、黄金比の味わいが寸分の狂いもなく押し寄せてくるのだ。


「……計算されている。どの一口も、最初から最後まで、完璧に同じ『至福』が続くなんて……」


 ルミエールは、皿の上の「黄金の絨毯」を壊すのをためらうように、それでいて止まらない食欲に突き動かされ、次の一匙を口へ運んだ。


「形が揃うと、味も揃います。……そしてその『正確さ』こそが、最高の調味料になるんです」


 シュウの声が、静まり返った店内に、冷徹なまでの合理性を持って響いた。


「……さっきのサンドイッチも、これも、全部その道具一本で」


「そうです」


 ルミエールがシュウを見た。


「あんた、天才だね」


「道具が優秀なんです」


「それを持ってるから天才ってことじゃん」ルミエールが身を乗り出した。「ねえ、王都まで一緒に来ない? 絶対損はさせないよ。うちの店、繁盛したらあんたの取り分も——」


「結構です」


「即答!?」


「行くところがあるので」


 ルミエールがシュウの顔をじっと見た。


「……連れの方と?」


 シュウが少し考えた。「一緒に旅をしています」


「どっちと?」


 間があった。シュウがエルナを見た。それだけだった。何も言わなかった。ただ、見た。


 エルナの頬が、わずかに色づいた。


「……道具の話です」とエルナが言った。声が少し上ずっていた。「次の街の話をしていました」


「してませんでしたよ」とシュウが言った。


「していました!」


 ルミエールが二人を見て、それからシュウを見た。


「はっはーん……なるほど」


 ベアトリーチェが扇子を口元に当てた。その目が、細くなった。


(……おや)


 扇子の陰で、口元が少し緩んでいた。


---


 店を出る時、ルミエールが入り口で言った。


「また来た時は、うちに寄ってよ。その時は改めて口説くから」


「道具の話なら」とシュウが言った。


「とぼけるね。でもそうじゃない方の話だよ」


 エルナがシュウの背中を後ろから両手で押して、ルミエールの前から引きはがそうと歩き出した。


「行きましょう。シュウ様」


(この国はまだ知らない。100円の本当の価値を)


---


 同じ頃、王宮の一室で、ガストフは机を拳で叩いた。


 羊皮紙が三枚、灰になっていた。四枚目が広げてある。


 自分が追い出した男に、頭を下げる。それがどういうことか、分からないはずがない。


 だが書くしかなかった。屈辱だった。この三十年で、これほど屈辱的なことはなかった。


 ガストフは歯を食いしばったまま、一行だけ書いた。今度は火に投じなかった。

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