そして、事件は起こる
千博を振り切り1階へ降りようとした矢先、先ほどまでいた社長室から、ガッシャ―ンと何かが割れるような音がした。
急いで来た道を戻ると、社長室は割れた骨董品が散乱し、なんとも悲惨な現場となっていた。
「いらない。いらない。ぜんぶいらない」
そう言いながら、文枝が目に入った骨董を次々に床に叩きつけていく。
「やめろ!」
という健一の声は、届くはずもない。
「会社の経営が傾いていることなんて、もう何年も前からわかってた。それなのに、見知らぬ骨董ばかりが増えていく。薫を留学させるための経費、私のパート代も入ってるのよ、知ってた?」
手にホウキと塵取りを持った千博、そして1階から駆け上がって来た春も合流する。
春の視界に映ったのは、今まで見たこともないほど血相を変えた両親の姿だった。
「知らなかったでしょうね。あなたは夜になるといつもどこかへ遊びに行ってここにはいなかったから」
千博がホウキで欠片を集める。結人も懐からハンカチを出し、拾っては千博が持つ塵取りに入れていく。
「会社の経営難は俺のせいじゃない。同じ業界の奴らも長年苦しんできた。だから、国内だけでなく、アジア、アメリカ、マーケティングの視野を広げようとした。その努力を、お前も知っているはずだろ」
思えば、春は両親の喧嘩を目の当たりにするのは初めてで、ただ茫然とそこに立ち尽くしてしまう。
その様子を、結人と千博が心配そうにチラチラと見る。
「返して。私の努力と、薫を」
欠片をまとめるための袋を取りに行こうと結人は立ち上がり、部屋の入口に立つ春に「下へ行きましょう」と声を掛けた、が、その矢先。
「何か勘違いしてないか。薫は、あいつは、逃げたんだ。長男としての責任も、お前がしたという努力もすべて踏みにじって、あいつは逃げた」
その言葉が、グザッと春の心にも刺さった。
「……逃げた?」
ボソッと春がつぶやく。ピンっと張った空気が、さらに冷たく凍った。
「お兄ちゃんは、逃げるような人じゃない」
「春は黙っていなさい」
健一が牽制するのも跳ね除けて、春が続ける。
「大好きなピアノを手放してまで、留学に行く道を選んだ。置かれた場所で咲くために。逃げ道ではなく、向き合う方法を探すために!」
「黙れ!」
しびれを切らした健一の怒鳴り声が、部屋に響く。
その瞬間、健一がそばにあった机に身体をぶつけ、紫色の薔薇が入った花瓶が床に落ちて割れた。
何を思ったかその破片を、瞳を真っ黒に染めた春が拾う。
結人の体は瞬時に「これはまずい」と判断したのか、春の方へ動き出す。
破片を強く握りしめたゆえか、赤い血を流す春の手を取ると、彼女を引っ張って廊下に走り出した。
* * * * *
千代田警察署・生活安全課。
いつもはバタバタと人の行き来が騒がしい署内だが、今日は妙に静かだ。
(久々だな、こんな昼間は)
ベテラン警部補の志田竜胆は、そんなことを思いながら、バディの出勤を待っていた。
「お疲れ様です。志田さん見ましたか!」
藤野芽吹巡査部長、出勤。見たか、というのは、志田の手元の新聞のニュースと同じだろうか。
「トキワ食品のニュース。私、【夢のたまご】関連の商品大好きなんで、驚きました」
そう言って、自席に座ってパンを食べ始める。相変わらず、常に慌ただしい。
志田は読んでいた新聞の該当箇所を指さす。
「量か質か。トキワ食品は長年に渡って海外とのM&Aに力を入れて規模を拡大してきた。しかし近年、国際情勢や流行病の影響もあって飼料価格が高騰。それによる経済的負担を想像しないまま養鶏場の建設・更新などを続けた結果、自社資金が足りないのにM&Aを無理矢理実施することとなり、破綻寸前。噂によると、社長の常盤健一は骨董品収集を趣味としていて家庭内も破綻寸前だとか」
パンを食べながら目を丸くした藤野の顔が、横目に見える。
「へぇ……。というか詳しいですね」
それもそのはず。
「捜索願が受理された」
「捜索願?」
「しかも特異行方不明者として」
【特異行方不明者】
それは一般的な行方不明者とは異なり、不審な要素や不明確な状況が関与している場合に使用されるもの。つまり……。
「事件性があるってことですか?」
藤野も自席にあった新聞を開く。
とはいえこれは特例中の特例であり、本来は一般行方不明者として扱っても良さそうな案件だ。
連れ出した人間も、連れ出された人間も、その前後に何があったのかも、すでに判明しているのだから。
「トキワ食品の社長・健一とその妻・文枝は、常盤家の執事・柊結人が、長女・春を強引に連れ去った、誘拐だと話している」
詳しいことは常盤健一・文枝夫婦の間でも意見が若干食い違っているためわからないが、健一は頑なに「誘拐だ」と言って譲らなかった。ゆえに現状は【特異行方不明者】として捜索がされることで、話が進んでいる。
「執事ってリアルにいる職業なんですね」
藤野が目を輝かせる。
「『メイちゃんの執事』世代なので」
……漫画か? ジェネレーションギャップというものは、歳の差のあるバディにはつきものだ。
執筆にあたって各業界の専門用語のようなものは軽く調べているのですが、いかんせん周りに聞けるような人がいるわけではないので、刑事ドラマが好きな一般人の浅い知識と下調べで進んでいくことになります。
なので、「ファンタジー」というカテゴリーを入れさせていただきました。
寛容な目と心で、「ファンタジー」としてお読みいただけると幸いです。




