序 とある彼と彼女と彼らのはなし
当方、初投稿です。至らぬ点も多く、矛盾なども多々ございますがご容赦くだされば幸いです。どうぞ生暖かな目でご覧ください。
また誤字の他、文法などにおかしな点がありましたらそれは目の錯覚です。
(こっそり教えていただけると嬉しいです)
胸部から体内に入り込んだ異物感に、せりあがった鉄錆をごぽりと吐き出した。
視線を落とすとそこには、アスファルトの床に広がった赤色と、軍手をはめた男の手と、それが持つ銀色のナイフが見えた。抜き身の刀身はあちこちに濁った赤をつけて、俺の胸の真ん中に深く、深く突き刺さっている。
カッターシャツの白に、鮮やかな赤が滲んでいた。それは突き刺さったナイフを中心として、歪な円形状に広がっている。
ビルの群れに甲高い悲鳴がいくつも響き渡る。悲鳴はざわめきを産んで、誰も彼も、逃げることに必死になって足を動かしていた。
遠巻きに眺めているやつもいる。動画でも録っているのだろうか、それとも写真だろうか。携帯をこちらに向けているやつもいる。物好きなやつらだ。次は自分かもしれないのに。
それらをどこか他人事のように思いながら、ただただ、荒い呼吸だけを繰り返していた。
だらり、と、広げた両手が落ちる。膝から力が抜けていくのが分かった。そんな俺に追い討ちをかけるように、胸に突き立てられたナイフが引き抜かれる。
その反動で、体がぐらりと大きくぶれた。背中に庇った彼女に凭れ、俺の体はアスファルトに沈む。太陽を目一杯浴びたコンクリートは灼熱のように熱いはずなのに、俺が感じたのは、それとは真逆の肌寒さだった。
小さな夕焼けの空から、雨と雲とが零れて落ちた。
俺を見下ろす夕陽は、いくつもの雨を降らせている。
生温い雨が返り血と混じって、俺の頬を濡らしていった。
ああ。彼女が、泣いている。相変わらずの泣き虫が、顔をくしゃくしゃにして泣いている。
激しい痛みが絶えずやってくる。呼吸が段々と苦しくなって、息継ぎの間が徐々に広くなっていくのが分かった。俺の胸からどんどん溢れだしていく赤色は、煮立っているのかと思うくらいに熱かった。
ーーーーーああ、俺、死んじゃうんだ。
今さらになってようやく、そう思った。ようやくその事実を、覆ることのない現実を、嫌と言うほど理解した。
そう思うと、刺された痛みとは別のものが、俺の胸を締め上げる。
ーーーーー死にたくねえ。
口をついて出たそれは、悲鳴と雑踏と、近付くサイレンの音と混ざり合って、誰も拾ってはくれなかった。焦点の定まらない瞳に、涙の幕が落ちる。
「…ァ、い……ぉ……」
かすれた声は言葉にすらならない。彼女の名前を呼ぶことすら、ままならない。
それでも俺は声を紡いだ。雑音混じりの喉で声を紡いで、言葉を積み上げた。
泣いている彼女に、大切なあの子に届くようにと、言葉を編んだ。
「……にげろ……」
振り絞った声は震えていた。それでもなんとか言葉になれた声は、彼女に届いただろうか。
尽きない雨が、俺の頬を滑り落ちていく。視界の片隅で、彼女は嫌だ、と叫んで首を振っていた。
「に…げ……あ…ぉ…………」
いやだ。
しゃくりあげながら彼女は叫ぶ。小さな手は、真っ赤に濡れたシャツを掴んでいた。
目の前には、再びナイフを振りかざす男が見えた。鮮血を滴らせる切っ先は、確かに彼女を捉えていた。頭上から短い悲鳴が聞こえた。小刻みに震える手は、それでも俺を離さない。
にげろ、と再度唇を震わせた。しかしそれでも、彼女は動かなかった。俺を男から守るように、ぎゅう、と掻き抱いて、覆い被さった。
血走った男の目と、虚ろになった目が、一瞬だけぶつかり合う。すぐに彼女の髪色に塗り潰された視界には、ふと、別の光景が浮かび上がった。
それは、全く見覚えのない空だった。身に覚えのない場所だった。
今みたいに、彼女みたいに、泣いているだれかがいた。
俺を何かから守るように、抱えるように抱いている。
それがだれかはわからない、どこかはしらない。
けれど、ひどく、なつかしいと思った。
知らないだれかが、知らない景色が。
目に映り込んだなにもかもが、不思議と、懐かしいと思ったのだ。
不思議な懐かしさに包まれて、瞼が落ちる。
雑踏も。悲鳴も。喧騒も。
喧しいくらいの蝉の声も。鳴り響くクラクションも。反響するサイレンも、何もかも。俺の耳には入らなかった。ただ、ただ、彼女のこぼしたごめん、という声だけが、いつもでも頭の中に居座っていた。
その日は、いつもとなにも変わらない日だった。
その日は、気が狂いそうなほどに暑い日だった。
その日、俺は、彼女は。
お互い、短い生に幕を降ろした。
ーーーーーーぱち、ぱち、ぱち。
どこかで鳴った、乾いた拍手の音を、確かに聞いた。
どうぞよろしくおねがいします。




