第一章第弐記「事変」 中
物語の時間軸がブレブレですがご容赦下さい。
ここからは統一していくように努力します。
今回は「事変」 上 の最初の場面の前後です。
ローウェル家の三男、ウォーレン=ローウェルは士官学校からの一時帰省により故郷へと帰ってきていた。この国の士官学校はほぼ全ての人員が貴族であり其処まで厳正な規則や修勉が行われているわけではない。その為定期的に一時帰省という名の休養を取ることになっている。別段、帰省など必要ないという者は士官学校内に残り鍛錬に励む事になるのだが大半の生徒達はここぞとばかりに帰っていく。ウォーレンもその大半の生徒達に属していた。
士官学校を出発したのが早朝、自身の家へ到着したのは日が落ち、闇が空を支配した後になってからだった。
だが屋敷へと到着すると直ぐに異変を感じ取ることができた。
「……静かだな」
あまりにも静かすぎるのだ。常時なら屋敷に住まう従者達が宿舎でドンチャン騒ぎをしていてもおかしくない時間帯であり、少なくとも宿舎にも屋敷にも明りが一つも点灯されていないなんて事はありえないのだ。この屋敷では従者と主人の関係がとても大らかで寛容である。その分、従者達は業務を徹底して完璧にこなすということをやってのけているのだが……
悪戯好きの家族の事だから暗闇に乗じて何かしてくるのかと思いきや何もない。
屋敷の中を照らすのは開けた扉から差し込む月の光と、ウォーレンが提げている燭台の蝋燭の火だけであった。
「母上ー!! ユリアー!!」
大声を出しても何も反応がない。寝ているのかとも考えはしたがこんな早くに床につくとことはないだろうと考え直した。
「爺やー!! 兄上ー!!」
長年この家に勤めているいる執事である男を呼んでみたりもした。居る筈の無い兄達を呼んだりもした。だが、やはり何の応答もない。何かがおかしいと今度こそ明確に感じ取った時だった。
暗闇の片隅から聞き慣れている嗄れた声が聞こえてきた。
「ウ、ウォーレン様。御帰りなさい、ませ。申し、訳ありません。この、この私とした事が賊の侵入を許してしまいました! 許しを請おうとは思いません。ですが早く、お早く、侵入者を追いかけるのです。貴方様の母上が、奥方様が攫われてしまったのです!! 私も至急追跡しようとしたのですがこの体では……。嗚呼、これでは、今は亡き先代当主様達や貴方様のお父様に向ける顔がありませぬ。格なる上は切腹でも致し方がない!!」
声の聞こえてきた方向に燭台を向けると、其処には血に塗れた齢八十を超える様相を持った老人が横たわっていた。息も絶え絶えで今にも死んでしまいそうになりながらも懸命に事を伝えようと言葉を紡ぐ。
「止せ、其れ以上無理に喋ろうとするな。いいか此方も何が起こっているのか把握できていない。だから今から私が聞く事だけに答えてくれ」
横たえていた体を懸命に起こそうとしているのを止め、無理をさせない様に促す。今この状況を把握するには情報が足りない。状況を把握するためにも爺やからできうる限りの、有益な情報を聞き出す必要があった。
「先ずは、此処に賊が侵入したのだな」
「はい」
「何時ほどだ?」
「貴方様が帰ってくる少し前でございます。突然、でございました。数人の黒尽くめの男たちが、窓を破り、侵入してきたのでございます。衛兵達も、どうやらやられたらしく、何分、その時この屋敷にいた、従者は私しかおらず、一対多ではどうしようも、ございませんでした」
「母に一体何があった?」
「侵入した、男達の目的は、どうやら、奥方様とユリア様だった、らしく、私を、薙ぎ倒すと、階段を、駆け上がり、寝室に向かった、ようでした。私も、意識が途切れ途切れ、でしたので確かではないのですが、奥方様の、シンシア様の悲鳴が聞こえたのでございます」
「そうか。……男達は黒尽くめという事以外に何か特徴は有ったか?」
「いえ、分かりませぬ。何分、唐突な、出来事でしたので。情けないです。申し訳ありません」
「謝らなくていいよ。じゃあ、妹は、ユリアは何処に……?」
「ユリア様はご――――――」
又しても唐突な出来事だった。背後からの射出音の後に爺やの口から血液が噴出したのだ。ウォーレンは瞬時に背後を振り返った。其処には黒尽くめの男が弩を構えた状態で静止していたのである。恐らく先ほどの射出音の正体は弩の矢を撃った際に鳴った音だろう。此方に気付いたらしく男は急いで照準を合わせ撃ってきた。
「くっ!」
緊急回避を行い横っ跳びで矢を避ける。背後を通り過ぎたらしい矢は再度、爺やに的中した。
「がっ! うぁぁぁあああ!!」
苦痛に呻く声が聞こえる。罪悪感が少なからず募ったが今はそんな事を言ってられはしない。
「待て!!」
体勢を立て直し男へと突撃する。
「ひぃ!」
突然の行動に驚き慄く男は此方に弩を投げ捨て逃亡を図った。
「爺や、少しの間耐えろよ!」
男の影を見逃さないように続けて走り出す。
街路には篝火が灯され、明りは十分にあった。
逃げていく男の背中を見失う事はなく次第にその差を縮めていった。
「糞、糞ぅ。何でこんなに速いんだ畜生!」
走りながらも罵倒する事ができるなら余裕はあるのではないかとも思いはした。
「止まれ、さもなくばお前を斬る!!」
停止するよう勧告したが一向に止まろうとする気配が無い。其れもその筈。止まれと言って止まる馬鹿は元来いないと決まっているのだから。
どれだけの間街中を駆けただろうか。大通りを抜け、中心部に位置する噴水を横切り、街の隅にある言われる万屋を通り過ぎた。大道をそれ脇道へと差し掛かった時、ようやくその足を止めることとなった。
「母上を、母を、妹を何処へやった!!」
黒尽くめの男が足を止めるのを見計らい、一気に詰め寄り胸倉を掴んだ。
「ふぅへぇへへ。俺は何も知らねぇよ。下っ端なもんでな、屋敷の後片付けを任されただけだぁ。それにしても俺は運が無いよぉ。運悪くお前さんと鉢合わせしちまうんだもんなぁ。俺の人生何時でもこんなもんだ。お前さんの家族も今頃はどっかに輸送されて売られる運命にあるだろうよ……ざまぁみろぉ、この糞貴族が!!」
罵詈雑言を吐き続ける男。その眼には生気がなく死んだ魚の様な目をしていた。何処か虚ろで焦点が定まっていない。かと思いきやいきなり威勢を良くしまた逃げ出そうとする。その繰り返しだった。
「一体お前らは何なんだ? 何処の誰から命令された? 黄か? 緋か? 碧か? それともどこぞの貴族なのか? 答えろ!!」
「黄? 緋? 碧? 何馬鹿な事言ってんだよおめぇは!! 教える訳が無いだろうお前のような奴に!!」
怒りが、憤怒が込み上げてくる。それでも耐えた。何度も斬りかかりそうになったが何とか耐え凌いだ。
「いいか、三、数える迄に吐かなければお前を殺す」
脅しを与え、何とか吐かせようとするが一向に喋らないでいた。
「一、二」
数を数えながら剣を懐から取り出し男の喉元へと切っ先を近づけていく。剣先が近づくにつれて男の震えが次第に大きくなっていくことが手から伝わり心を更に狂喜へと化した。だが――
「三」
「お前の親父も今頃は烏にでも肉を突かれているだろうよ。野晒しにされてなぁ!! いい気味だぜぇ!!」
限界だった。
剣を男の喉元へと突き立てる。
口からは血が噴き出し、その体を痙攣させ、そして力尽きた。
喉元から剣を抜き血糊を拭き取る。
ウォーレンは今宵始めて人を殺した。
彼はその感触を生涯忘れる事はないだろう。剣先から伝わる肉を穿つ感触。骨を粉砕する触感。次第に弱くなっていく敵の抵抗。顔、表情、背景、全てを忘れる事はないだろう。
「何故、何故こんな事に……。父に、守ると誓ったのに」
涙を溜め見上げた空はぼんやりとしていて何も見えなかった。
‡
屋敷へと帰ると、爺やの息が微かに聞こえてきた。
「爺や! 爺や! 生きているか!」
「は……い。ウォーレン……様」
横たわるその場所には血の池が出来ていた。これ程の出血で良く持ったものだと、その頑強さに感嘆を吐いた。
「よく頑張った。流石爺やだ。……何か言い残す事はないか?」
「……よく、お聞きに……なってください。貴方様の、妹様、ユリア様は……御友人宅に、滞在しておられ、無事でありまする。運良く、難を逃れていたのです……」
「そうか! ユリアは無事か! 嗚呼、良かった」
「それと……貴方様にお渡ししたい物が、有ります。」
そう言うと震える手で自身の懐を弄り、一つの封筒を取り出した。
「此れは、亡き当主様、貴方の……お父様から預かった物です」
血を吐きながらもその動きを止める事はなく涙が瞳から零れ落ちる。
「いい、ですか。此れは、貴方が、十八歳の誕生日を……迎えるまでは絶対に開かない、ように魔法が、施されています。……十八歳になったら、ご自身の魔力を、この封筒に流し込んでください。さすれば……中身を知る事ができるでしょう。それまでに、絶対に中身を見ようと、無理矢理こじ開けたり、紛失する事の……ないようにして下さい。貴方は昔から何時も忘れっぽいのだから……ああそれと、重要な事を一つ、黒尽くめの、男の中に、赤い風貌をした男が居たのを、思い出しましたよ……こんな時に言うのも難でしたかな? ……ウォーレン様。どうかお気をつけて、病気の無いように――――」
笑顔と共に崩れ落ちたその手は二度と動く事はないものへと変わり果てた。
鳴き声はあげなかった。唯、寄り添うだけ。その間ずっと寂寥の思いが止む事はなかった。
翌日、早急に葬儀が行われることになった。
葬儀の場には普段顔を見せる事の無い兄二人と妹であるユリアの他に百を超える貴族達が連なった。
数百の人に囲まれ地中へと埋められるその身は血も汚れも一切付いてはおらず、それは美しく凛とした風采だった。
土で覆いかぶさられ体が見えなくなった後には居た堪れない空気がドッと押し寄せてくる。
ユリアの鳴き声がまるで歌のように聞こえ、響いた。




