第五十話
「でも……マルティナ様との婚約が決まったのではなかったの?」
別室への移動中、前を歩く父とレイナイト侯爵に聞こえないようこっそりとルディに耳打ちする。
「俺はフィー以外と婚約する気なんて、さらさらないからな」
ルディは前方の様子を伺いながらもいつもの口調で返答した。
「そうなの?」
「そうだ。それより、何だよ? 修道院に行くって。そんな簡単に俺のこと、諦らめんなよ」
「うん……ごめんね?」
素直に謝ったはずなのに、なぜかジトリとした視線を向けられた。
「あの手紙にさ、好きだって書いてあったけど」
「うん」
「幼なじみとして、っていう意味じゃないよな?」
「違うわ」
ルディはどこかホッとしたように肩を下げた。
「じゃあ、何で待ってなかったんだよ」
その一言に、私の心臓がドクリと鳴った。
あの日のことを心から後悔していたから。
もし、あの日に戻れるのなら、今度はこうしようと思っていたことを今ならすることができる。
「あの日。私は嫉妬したの」
「え……?」
ルディは歩みを止め、呆けた顔で私を見た。
「カメリア様がまるで当たり前のようにルディの隣にいることに、私は嫉妬したの」
「は……?」
今聞いたことが信じられないというように、ルディは首を傾げた。
「それに――カメリア様に腕を取られてもそれを振り払わずにヘラヘラ笑っているルディに腹が立った」
「なっ……!」
ルディは瞳をこぼれんばかりに見開いた。
「だからね、あの日。私はあなたに恋をしているのだと気がついたの」
先を歩いていた父とレイナイト侯爵の姿はもうすでに見えない。
今は長い廊下に二人きり。
「私は一人の男の人として、ルディのことを愛しています」
私はルディの手を引き、彼が前屈みになったところで、唇が触れるか触れないかくらいのキスをした。
「…………」
私の行動は想定外だったようでルディは呆然としたまま、固まった。
そんなルディの様子にクスリと笑う。
私の笑い声にハッと意識を取り戻したルディは赤くなった顔を隠すように片手で口元を覆った。
「そっ、それなら、何で先に帰った? 領地に戻ろうとしたのは何でだよ?」
「好きな人がそばにいるのに、その隣にいるのが自分ではないなんて……私には耐えられないと思ったの。それで、どうしたらいいのかわからなくなって……。ルディと顔を合わせることができなかった」
理由を聞いて、平静を取り戻したルディは納得したように頷いた。
「なるほどな。俺と顔を合わせたくなかったから領地に帰ろうとしたわけだ。タウンハウスにいれば嫌でも俺と顔を合わせるからな」
「ええっと……ごめんなさい……」
あの時は初めて自覚した感情に戸惑いの方が大きくて、いろいろなことを考えてから行動することができなかった。
だから、こんなことになってしまったのだ。
それは――本当に心から反省している。
「でもさ」
肩を落としていた私をルディがそっと抱き寄せた。
「フィーからキスしてくれるくらい俺のこと、愛してくれてんだろ?」
耳元でそう囁かれて、自分のしたことが急に恥ずかしくなってきた私は真っ赤に染まった顔を見られたくなくて、ルディの胸に額を押し付け、小さく頷いた。
「俺もフィーを愛してる」
その言葉に私は思わず顔を上げてしまった。
「俺の愛は重いぞ。フィーみたいにすぐ諦めないからな。縁談ぶっ壊してでも、永遠にフィーを離さない。覚悟しとけよ?」
そういって、ルディはニカッと微笑み、私に優しいキスを落とした。
◇
「ねえ、いったいどういうこと?」
パルヴィン侯爵領に帰ってきたマルティナはレイナイト侯爵に連れられてきた自分の婚約相手に驚き、父であるパルヴィン侯爵とレイナイト侯爵が書類の手続きで席を立った後、対面に座る婚約者に向かって問いかけた。
「何であなたがここにいるのよ、ダニエル。私はルドルフと婚約するって聞いていたのだけど?」
少々荒い言い方にダニエルはムッとした。
「何だ? 私では不満か?」
「別に、そういうわけではないけど」
元々どちらかと婚約できればよいのだと父に言われていたマルティナではあったが、成長したルドルフの眉目秀麗な姿と品行方正さに淡い恋心を抱いていた。
だから、婚約相手がルドルフだと聞いて、すぐさま学園からパルヴィン侯爵領へ戻ってきたというのに。
レイナイト侯爵はダニエルと共にパルヴィン侯爵家を訪問し、パルヴィン侯爵家へ送ろうとしていた返答はルドルフではなく、ダニエルの間違いであった、と謝罪された。
どうやら、先代レイナイト侯爵が勘違いをし、勝手に返事を送ってしまったらしい。
そして、次期レイナイト侯爵にはルドルフを指名しており、すでにグランディ公爵家のセラフィーナ嬢と婚約しているとのことだった。
(その婚約が白紙に戻ったと聞いていたから、期待していたのに……)
マルティナの恋は淡い夢となって消えたのだった。
◇
ルディとの婚約が無事にまとまり、穏やかな生活が戻ってきた。
学園にも復学して、誰にでも優しく品行方正で優秀な侯爵令息も戻ってきた。
生徒会は辞めたと聞いていたため、カメリア様との距離が近づくことはなく、時々、再勧誘に来ても私を間に挟み、一切触れることがないよう上手くかわしていた。
私のあの一言をかなり気にしていたみたいだ。
それでも――相変わらず皆に分け隔てなくよそ行き王子様スマイルを振りまいているルディに私の独占欲が芽生える。
「ねえ、ルディ。あなたの婚約者は、私よ?」
もう我慢しない。
何も言わずに後悔するのは嫌だから。
私がルディの腕を引くと、ルディは嬉しそうに目を細めた。
「ハハッ。案外、セラフィーナにも執着心があるのだね。嬉しいよ。まあでも、私には勝てないと思うけれど、ね?」
他の生徒がいる手前、口調を崩さないルディを少し困らせてやりたくなる。
「あら? 私が負けず嫌いってこと、忘れてしまったの? これからはルディへの独占欲も執着心も、私のほうが勝つわ」
私のその言葉に、今まで堰き止めていたものが溢れ出てしまったかのようにルディは私を抱き寄せ、耳元で囁いた。
『望むところだ。俺の独占欲と執着、舐めんなよ? もう止められそうにないから、観念するんだな。愛しの婚約者殿』
箍が外れてしまった婚約者様は私の唇に甘い口づけを降らせた。
その日以降、学園では品行方正で優秀な侯爵令息は婚約者を溺愛している、という噂が広まり、私たちが片時も離れることなく常にくっついていることを皆が“当たり前”だと認識するようになりました。




