第三十七話
「ん……んんっ……! いったぁ……」
目を覚まし、見慣れない天井に驚き、起き上がろうとしたところで頭に激しい痛みが走り、悶絶した。
元いた場所に頭を戻し、視線だけを動かして、今、自分が置かれている状況を整理する。
(えっと、確か……そうだ! あの場所で、岩が落ちてきて――)
私の心臓がドクリと音を立て、背筋にゾクリと悪寒が走った。
あの時、馬車の中で私の身体は宙を舞い、どこかに叩きつけられたのだろう。
それ以降の記憶がまるでない。
今、自分がこうして生きていることが不思議なくらいだ。
(あ、れ……? アンナは? 護衛騎士の二人や御者は? それに――)
「ここは、どこ……?」
投げ出された状態ではないし、視線の先にあるのは自分の家と遜色ないレベルの家具や調度品ばかり。
貴族の屋敷であることは確かだ。
(あの場所は――レイナイト侯爵領、だったはず)
レイナイト侯爵家には何度も行っているし、私はそこで侯爵夫人になるための勉強をしていたのだから、もちろんすべての部屋を把握している。
でも――今いる部屋は見たことがない。
私が戸惑っていると、扉がノックされた。
「――ッ! セラフィーナ!」
私は駆け寄ってきた人物に驚き、言葉を失う。
「大丈夫か? ひどい怪我だったんだぞ。もう目覚めてはくれないのかと心の底から心配した」
呆然としている私に構うことなく、ベッドサイドに跪き、私の手を両手で包み込んだ。
「どうして……あなたが、ここに……?」
彼はにっこりと穏やかに微笑んだ。
「ここは、レイナイト侯爵領の別邸だからな」
「別邸……」
「ああ。ここは私の祖父母の屋敷だ」
彼の片手が私の手を離れ、優しく髪を撫でた。
「あなたが、助けてくださったのですか……? ――ダニエル様」
「ああ、そうだよ」
ダニエルは今まで一度も見たことのない笑顔を私に向けた。
「大切な婚約者を助けるのは、当たり前のことだろう?」
幾度となく聞いてきた“当たり前”に吐き気がする。
あの御令嬢に向けていた笑顔が今は私に向けられている。
それを願ったこともあった。
でも、今は――ただただ気持ち悪いだけだ。
「申し訳ございません、ダニエル様。何だかとても具合が悪いのです。医師を呼んでいただけませんか」
ハッと息を呑んだダニエルが少し慌てたように腰を上げた。
「わかった。今すぐに呼んで来よう」
「ありがとうございます」
ダニエルが部屋を出ていくと、私はそっと目を閉じ考えを巡らせた。
(何とかダニエル様と距離をとれてよかったわ。とにかく今は――他の皆が無事かどうか確認しなくては)
もし一緒に助けられていれば、屋敷にいる医師がアンナや護衛騎士たちのことも診ているだろう。
医師がくれば、皆のことも確認できる。
それに――婚約者とはいえ、診察の間はダニエルも同席できないだろうから、何か頼めることがあれば、その時にできそうだ。
(事故のこと、私がここにいること、お父様やお母様は知っているのかしら?)
いくらダニエルでも私の両親に知らせずにいるとは思えない、けれど。一応、確認は必要だ。
きっと、心配していることだろう。
あの場所からだとあと数時間もあれば、到着できていたはずだし、それどころか事故に遭ってしまったのだから。
(そういえば……あれからどのくらいの時間が経っているの?)
それも聞いてみようと考えていたところに、タイミングよくノック音が響いた。
「どうぞ」
ダニエルが医師を連れて入ってきた。
出ていく気配がないどころか、椅子に腰掛け、同席するつもりでいるらしい。
「あの……ダニエル様。今から診察していただきますので……」
「ああ、構わない」
「え? いえ、あの……ですから、出ていっていただけませんか」
「何故だ?」
ダニエルは心底わからないという顔で首を傾げた。
私は開いた口が塞がらない状態で、助けを求めるように医師に目を向けた。
「ダニエル様。御令嬢のお身体を診察させていただきますので、ダニエル様には席を外していただきたいのです」
「――ッ。そうか……では、扉の外で待っている」
ようやく理解したのか、少し顔を赤らめたダニエルは足早に部屋を出ていった。
「ありがとうございます」
「いえ」
医師は優しく微笑んだ。
年齢的には私たちの祖父と同じくらいだろうか。
その笑顔にどこかホッとする。
「セラフィーナお嬢様でいらっしゃいますね」
「はい」
「今回の事故の怪我はそう大したものではございませんが……意識が戻るのに時間がかかりましたのでしばらくの間は安静に、こちらで療養されるのがよろしいでしょう」
「私はどのくらい目覚めなかったのですか?」
「三日間です」
あの日から一日程度しか経っていないと思っていた私は驚愕した。
「え、三日間も……眠っていたのですか?」
「はい」
「あの……! お伺いしたいことがあります。一緒にいた侍女や護衛騎士はどうでしたか? 今、どこにいるかご存知ですか?」
医師は起き上がろうとした私を両手で制し、落ち着くように言い聞かせた。
「護衛騎士の一人は無事だった馬に乗り、御者を連れてグランディ公爵家へ助けを呼びに行ったそうです。もう一人の騎士は身体の一部が馬車の下敷きになり、意識がない状態でした」
私はヒュッと息を呑んだ。
「しかし、今は安定しておりますのでご安心を」
よかった、とホッと胸を撫で下ろす。
「そして、ご一緒におられた侍女ですが――」
私は無意識に唇を噛み締め、胸を押さえた。




