第三十六話
翌朝早く王都を発ち、馬車に揺られること数時間。
途中に休憩を挟みながら、徐々にのどかになっていく風景をぼんやりと眺めていた。
もうすぐレイナイト侯爵領の一部であり、例の落石事故があった場所に差し掛かる。
今現在も私たちを縛り付ける、呪いのような契約が始まった場所だ。
「すべては――ここから始まったのね……」
両側に高い崖がそびえ立ち、その谷間にある一本道を馬車はガタゴトと大きく揺れながら進んでいく。
早く通り過ぎたいのは山々だが、舗装されているわけでもなく、時折パラパラと斜面から転げ落ちてくる石でボコボコのため、慎重に進まなければならない。
馬車窓から見える崖上に、今にも落ちてきそうな岩がある。
少しでもバランスを崩したら落ちてきて、この一本道を塞いでしまいそうだ。
それどころか運が悪ければ、衝突しかねない。
(もし、ここで私がいなくなったとしたら――)
両家の約束事は果たされないだろう。
そうしたら、兄の息子エリックやこれから生まれてくる第二子に私たちと同じ思いをさせてしまう。
(可愛い甥っ子たちに、私たちのような思いはさせられないわ)
私は祈るように頭上の岩を見つめていた。
――パラパラパラ。
馬車の振動で砂と小石が振ってくる。
もう少しで大きな岩の真下を通りきろうとした、その時。
――ガガガッ。ゴゴッ。
不穏な音が辺りに響き渡り、それと同時に、座った体勢を保つことができないほど車体が大きく揺れた。
◇
「これは――」
セラフィーナが領地へ向かった翌朝。
学園にセラフィーナと自分の休学届を出したルドルフは馬車を使わず、馬を走らせた。
少しでも早くセラフィーナに追いつきたかったからだ。
しかし、レイナイト侯爵領の片隅にある谷の一本道に差し掛かったところで馬を止めた。
「落石、か」
大きな岩が道を塞いでいた。
グランディ公爵領に行くにはこの道を通るのが一番早い。
恐らく、セラフィーナもこの道を使ったはずだ。
その証拠に馬車が休憩で立ち寄ったであろう真新しい形跡が道中にいくつか残っていたのだから。
ルドルフは馬の背から降りると、岩に近づいた。
道は完全に塞がれており、馬で横を通ることも、岩の上を乗り越えていくこともできそうにない。
「仕方ない……戻るか」
今は考えている時間すら勿体ない。
もうすでに辺りは薄暗くなってきている。
ルドルフの頭の中にはレイナイト侯爵領の地形がすべて入っているため、遠回りにはなるが違う道へ迂回しようと引き返し始めた、その時。
「……たす、けて……くださ……い」
囁くほどに小さな声が聞こえてきた。
ルドルフはもう一度、馬を降りると、声のした方へと近づく。
「どなたか、いらっしゃるのですか?」
声をかけてみるも、返事はない。
しばらく同じように問いかけていたルドルフの耳に「ううっ」と苦しそうな息遣いが聞こえた。
「大丈夫ですか?」
「わ、たしは……だい、じょうぶ……です……」
途切れ途切れの言葉にルドルフは事の深刻さを感じ取った。
「あなた以外にどなたかいらっしゃるのですか?」
「は、い……どうか、お願いです……お嬢様を……」
そこまで聞いて、ルドルフは自分の身体からもの凄い勢いで血の気が引いていくのを感じた。
(嘘、だ……ろ……?)
助けを呼ぶ彼女の声には聞き覚えがあり、そして、その声が『お嬢様』と呼ぶ人物は――この世界にたった一人しかいない。
どうか、聞き間違いであってほしい。
そんなルドルフの願いも虚しく、彼女は言葉を続けた。
「……セラフィーナお嬢様を、助けてください」
彼女の言葉を聞き終える前に、ルドルフの身体は宙を舞い、大きな岩の上を飛び越えていた。




