トイレに行きたかっただけなのに、なぜかヒルベルトの無限ホテルに閉じ込められた件について
新幹線に乗り込み、俺たちは指定の座席を見つけて荷物を棚に収めた。司狼の荷物はボディーガードたちが手際よく片付けてくれたが、そこでふと疑問が浮かんだ。さっき駅で男ふたりに結衣が押しのけられた時、なんでガードたちは動かなかったんだろう? 彼らの警護対象は、あくまで司狼ひとりだけってことなのだろうか。
「荷物入れたか? 終わったんならちょっとどけよ、俺が窓際座るんだから」
武が俺の肩をぐいっと押しやりながら割り込んできた。
「おい待て、押すなって!」
押し問答を繰り広げつつ、ひと騒動の末にようやく全員が着席した。
結衣とキヨミは隣同士で楽しそうにおしゃべりに花を咲かせている。一方で、俺の隣をぶんどった武はというと、着席早々すでに爆睡していた。どうせ寝るならなんで窓際にこだわったんだよ。司狼は2人のボディーガードに挟まれながら携帯ゲーム機に夢中だ。彼は席に着く前、例の謎のレンガを俺に預けてきていた。
そのレンガは、寸分の狂いもないピッタリサイズの箱に収められている。しかしこの箱、よく見たら……待てよ。これ、本物の金か……!?
ただの上質な金メッキ塗料かと思っていた俺は、あまりの重厚感に目を見開いた。まあ、相手が司狼ならこれくらい贅沢な物を持っていても不思議ではない。だが純金製となると話は別だ。命がけで守らなきゃいけない代物じゃないか。
でも冷静に考えると、なんだか笑えてくる。もし泥棒がこの箱を盗んで「中に超高価な宝物が入ってるぞ!」とワクワクしながら開けたら、出てくるのはただの古ぼけたレンガひとつなのだから。
「んん……何その箱じーっと見てんだよ……」
ちょっとした仮眠から目を覚ました武が、大あくびをしながら目をこすった。
「いや、この箱が純金でできてることに気づいてさ」
俺が何気なく呟くと、
「純金ねぇ、へぇ……って、純金ぇえええ!?」
武が突然大声を張り上げた。
俺はとっさに手を伸ばし、それ以上叫ばせないよう奴の口を力任せに塞いだ。
「声が大きいんだよバカ! 新幹線の客全員にアピールする気か!?」
俺が低い声で威嚇すると、
「わ、わかったって……で、でもマジで純金なのかよ?」
武は目を丸くしながらひそひそ声で尋ねてきた。
「ああ、本物だ。だから中身がどれだけガラクタだろうと、この箱だけは絶対に死守しないといけない。わかったな?」
「う、うん……把握した」
「よろしい。じゃあ寝ろ」
俺はそう言うと、無理やり奴の目を手で覆って閉じさせた。
「寝ろって言われても! こんな話聞かされたあとに寝られるわけねぇだろ!?」
「あー、そうか。じゃあ今の話は全部忘れて普通にしてろ」
「うぐぐ……わかったよ。東京に着いたら起こせよな……」
武は不満げにぶつぶつ言いながら、再び寝る体勢に入った。
ありがたいことに、俺たちが乗ったのは「のぞみ」だ。東京までは少なくとも2時間半はかかる。体を休める時間はたっぷりあった。
「なぁ結衣、ちょっとトイレ行ってくるからこの箱見ててくれないか?」
「ええ、いいわよ」
結衣は快く受け取り、箱を膝の上に載せた。俺は通路を歩いてトイレへと向かった。今朝、水を飲みすぎたのかもしれない。
「さっさと済ませて戻るか」
ひとり言を呟きながら、俺はトイレのドアを勢いよく引き開けた。
「……は? なんだこれ……!?」
俺はあまりの光景に呆然と立ち尽くした。
扉の向こうにあったのは、トイレなどではなかった。そこには真っ直ぐどこまでも続く、果てしない列車の通路が広がっていたのだ。廊下の両脇には、トイレのドアとそっくりな扉がズラリと立ち並んでいる。
何の衝動に駆られたのかは自分でもわからないが、俺は吸い込まれるように一歩足を踏み入れていた。見渡す限り、その異様な通路は無限に伸びている。
試しに左手にある最初のドアのノブを回してみたが、鍵がかかっていて開かない。すると背後から、丁寧な女性の声が響いた。
「お客様、何かお困りでしょうか?」
振り返ると、そこにはホテルのフロント係のような制服を着た女性が立っていた。なぜ新幹線の中にホテルの従業員がいるんだ?
「あ……いや、このドアを開けようとしたんですけど、鍵がかかっていて」
頭が追いつかず、咄嗟に思いついた言葉をそのまま口にしてしまった。
「さようでございますか。お部屋のご予約ですね、承こむ知いたしました」
彼女はにっこりと微笑むと、そのドアをコンコンとノックした。
ほどなくしてドアが開き、中からパリッとしたスーツを着た男が現れた。
従業員の女性は、その男性に向かってさらりと言い放った。
「お客様、誠に恐れ入りますが、お隣のお部屋へ移動していただけますでしょうか? そしてそのお部屋のお客様にもさらに隣のお部屋へ移動するようお伝えいただき、そのお客様からさらにお隣のお客様へ……とお伝えいただけますか?」
……ちょっと待て、この人はいま何を言っているんだ??
俺の頭は完全にキャパオーバーを起こしていた。自分の人生という物語が一体どこに向かっているのか、まったく見当もつかない。もし今、この状況を小説として読んでいる読者がいるとしたら、間違いなく俺と同じくらい困惑しているはずだ。
「いいですよ、お安い御用です! 1分待ってくださいね」
スーツの男は嫌な顔ひとつせず快諾し、荷物をまとめるために部屋へ戻っていった。
「お待たせいたしました。こちらのお部屋をお使いくださいませ」
女性は丁寧におじぎをした。
「あ、あの……お会計はどうすれば?」
「お支払いでしたらご安心ください。次のお客様がいらした際に、お客様ご自身も隣のお部屋へ移動していただければ結構です」
彼女は完璧な接客スマイルで答えた。
「……それだけでいいんですか?」
「はい、それだけでございます」
いや待て待て待て! なんで俺は当然のようにここに泊まる前提で話を進めてるんだ!?
俺はただトイレを借りに来ただけだぞ! なんでこんな怪しい幻覚だか何だかわからない空間に閉じ込められてるんだよ!?




