第4章|2018〜2020年 ― 日常の濃度と静かな疲労
2018年になると、私たちの関係はもはや「特別な逢瀬」ではなく、生活の中に組み込まれた習慣になっていた。
新横浜、渋谷、武蔵小杉。
地名は感情を運ぶ記号のように並び、ホテルの名前は固有名詞ではなく、時間を折り畳むための装置になった。
正月早々、新横浜のホテルで迎えた姫はじめ。
映画を流し、ベッドに並び、次の予定を決める。
その軽さに救われながら、同時に、その軽さに依存している自分にも気づいていた。
登戸から府中へ車を走らせ、ラーメンを食べ、はるひ野へ送る夜。
ユキの家に近づくほど、言葉は少なくなる。
彼女の沈黙は拒絶ではなく、境界だった。
私はその境界を「大人の配慮」だと解釈した。
ユキはこの頃も、
別れを考えたことなど一度もなかった。
家庭を捨てるつもりもない。
ただ、あきらと過ごす時間が、自分の心を支えていることを理解し始めていた。
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2018年、幸福の濃度が上がる
この年、会う頻度は異常なほど多かった。
焼肉、ラーメン、映画、ライブ。
ONE OK ROCKの東京ドーム公演、ELLEGARDENの復活ライブ。
音楽は出会いの理由であり続け、同時に逃げ場でもあった。
現実を見ないための、大音量。
はるひ野で過ごす時間も増えた。
ワインを開け、夜中にドライブに出て、橋の上で車を停める。
ユキは楽しそうに見えたが、朝になると必ず少しだけ距離を取る。
着替えの手際が早くなり、コーヒーの味が薄くなる。
私はそれを「大人の関係の自然な変化」と思った。
だが実際には、ユキの中で“現実”と“逃避”の境界が摩耗し始めていた。
それでも、
別れようとは一度も思わなかった。
あきらを失う未来のほうが、ずっと怖かった。
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2019年、静かな揺らぎ
平成が終わり、令和が始まった。
その節目の日、ユキの家に立ち寄り、軽くキスをしただけで別れた。
祝うには、立場が曖昧すぎた。
けれど、関係が薄くなることはなかった。
むしろ、日常はさらに密になった。
新横浜のフェアリーは、もはや第二の居場所だった。
部屋に入ると、ユキはバッグを置き、髪をほどき、ベッドに腰を下ろす。
その一連の動作が、まるで“帰宅”のように見えた。
私はその自然さに安心した。
ユキは、その自然さに怯えていた。
この頃、ユキはときどき未来を連想させる言葉を口にした。
「もし独身だったらね」
「たらればだけど」
すぐに笑って流す。
その笑いが、私には許可のように聞こえた。
実際には、ブレーキだった。
——これ以上は望まないで。
ユキはそう言いたかったのだ。
それでも、
別れを考えたことは一度もなかった。
あきらとの時間は、罪悪感よりも先に“救い”として胸に残っていた。
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2019年の秋、台所の沈黙
はるひ野で夕食を作ってくれた夜。
天ぷらの油がはね、ユキが小さく声を上げた。
私が手を伸ばすと、ユキは一瞬だけ身を引いた。
すぐに笑って「大丈夫」と言ったが、その“引き”は本能的だった。
私は気づかないふりをした。
気づいてしまえば、何かが壊れる気がした。
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2020年、濃度が限界に近づく
2020年に入ると、世界がざわつき始めた。
外に出ること自体が理由を要する行為になり、
だからこそ、会う理由は逆に強くなった。
新横浜のホテルで朝から何時間も過ごし、
向ヶ丘遊園のダイエーで惣菜を買い、
車の中で食べる。
普通の夫婦のような行動が、歪んだ満足を生んだ。
はるひ野で過ごす夜が増えた。
テレビを見て、料理をして、同じソファに座る。
ユキは穏やかだったが、ときどき視線が遠くなる。
責任という言葉を、彼女は決して口にしない。
ただ、朝になると必ず現実へ戻る準備をする。
その背中を見送るたび、私は置いていかれる感覚を覚えた。
ある夜、ユキがふと呟いた。
「……あきらくんといると、現実が遠くなるね」
私は笑って返した。
「それって、いいことじゃない?」
ユキは首を横に振った。
「遠くなりすぎると、戻れなくなるの。私、そういうのが怖い」
その言葉の意味を、私は深く考えなかった。
考えたら、関係の形が変わってしまう気がした。
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2020年の夏、静かな悲鳴
はるひ野の部屋で、ユキが珍しく弱音を吐いた。
「……最近、疲れが取れないんだ」
「仕事?」
「ううん。全部」
その“全部”の中に、私が含まれていることを、私は理解しなかった。
理解しようとしなかった。
ユキはこの頃も、
別れを考えていなかった。
むしろ、あきらを失うことのほうが怖かった。
だからこそ、疲労は静かに蓄積していった。
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深まりと歪みの臨界点
2018年から2020年にかけて、私たちは確かに愛を重ねていた。
ラーメンの湯気、コンビニのコーヒー、駐車場の沈黙。
積み重なったそれらが、私たちをほどけない形にしていった。
だが同時に、
その愛は、ユキの心を静かに削っていた。
私は、ユキの変化を“気のせい”だと誤読した。
ユキは、私の優しさを“重荷”だと理解していた。
そして2020年の終わり。
ユキの心の中で、まだ小さな“限界の影”が生まれた。
しかしそれでも、
別れを考えることはなかった。
あきらを失う未来だけは、想像できなかった。




