第7話「新しい仲間」
ヘルメストリスを歩きながら、途中でパンとコーヒーを買った。申請を通して許可状のある店で働く人たちの大勢は魔力を持たない普通の人間だ。そうして活気ある一つの町として魔導学院は形成されている。
ただし秘匿性の高い魔術研究なども行われていたり、緊急用の対魔物訓練区画もあって、許可状が発行されるまでの審査は厳しい。誰でも出せるわけではないのが大切な事なのだとアルメルは話した。
「それにしてもなんだか嬉しいですね。弟子がこうして魔導学院に入れるほど成長してくれるなんて。時の流れは早いものです」
たった三年の間にカラスはすくすく育った。骨と皮ばかりだった身体つきは、今ではとても標準的。あるいは少しだけ筋力がついている方だ。最初こそ不安だったが時間が経つにつれて元気になっていくのは気分が良かった。
我が子がいればこんな気持ちなのだろうか。アルメルは微笑ましく思う。
「アンゼルムとお師匠さんのおかげだよ。だけど、まだこれからだ。オレは絶対に大魔導師になってやるから待っててくれよな」
「ふふっ、期待してます。その前にほっぺのパンくず落としましょうか」
これから人に会いに行くのに汚れたままでは駄目だとハンカチを取り出して、カラスの口元を拭く。既に二人はハウスタウンへ入っていた。
ぱっと見は少し大きめの家がいくつも並ぶ普通の街並みだ。ローブを着た生徒たちが談笑をしたり、魔法を見せ合ったりしてそれぞれの時間を過ごす休日の風景。三人から四人がひとつ屋根の下で暮らす地区は、カラスには見た事も無い楽しそうな暮らしがあった。
「オレがいた孤児院とは全然違うんだな」
「ここにはあなたを知る者は誰もいませんから、きっと楽しいですよ」
「……だといいけどな。正直、ちょっと不安かも」
まだ抜けきっていない孤児院での記憶による精神的な痛み。浮かない顔をするカラスの頭を優しく撫でて「大丈夫ですよ」と笑いかけた。
魔導学院で問題が起きないと断言はできない。仲違いする者たちもいる。だが彼女は強い。人としても。口は悪いが社交的ではある。それに何よりアルメルが安心できるのは、これから行く寮で先に暮らしている仲間だ。
「着きましたよ。貰った書類だと、ここがあなたの暮らす寮になります」
「なんか普通の家って感じ。オレがいたとこより綺麗だけど」
「ふふっ、あえてそうしているんですよ。窮屈さを感じないでしょう?」
「あー、それは確かに。んで、誰かいるかな」
「とりあえずノックしてみましょう。今日は休日なので分かりませんし」
叩こうとして、先に扉が開く。枠よりも少し大きな図体をした男が顔を覗かせた。剃って短髪にした男は筋骨隆々な肉体を持ちながら、顔つきは穏やかだ。開いているのか閉じているのかもよく分からない目が二人を見た。
「おや。オリーヴが帰って来たのかと思ったが違った」
「それは失礼しました。あなたは……」
「武術学科一年のボーグルだ、見たところ教授殿か?」
ぼりぼりと頭を掻きながら、ちらっと部屋の中を振り返った。
「中に入ってもらう方がいいが……かなり散らかってて……」
ボーグルがとても困っているのは、広間がオリーヴの衣服で散らかっているせいだ。彼は基本的にシャツと上着のローブだけだ。しかし中を覗けばあらゆる脱ぎ散らかした服や下着が放置されていて、頭を抱える要因だった。
「私は構いませんよ。ところでオリーヴはどこへ行ってるんです?」
「昼食を買いに。毎日交代で行ってるんだ」
「……もしかして自炊してない感じでしょうか」
「夜は作ってるよ、俺が。食材はアイツが買ってくる」
あまり触れたくなさそうに、ソファに乗っていたオリーヴの私服や替えのローブを纏めて抱えると、洗濯物を入れるカゴに放り込んだ。
「まあ座って。喉が渇いていないか、コーヒーでも」
「飲んできたので大丈夫です」
カラスの手を引いて、先にソファに座らせてから自分も座った。
「今日はこちらの子を紹介しておきたくて。学院長から話は聞いてますか?」
「……ん? えー、と……あぁ、なんだったかオリーヴが言ってたな」
腕を組んでぼんやりする。ボーグルは鍛錬に時間を費やすのが日常で、自分たちの寮の管理は基本的にオリーヴと地区の担当に任せきりだ。誰かが来るとだけは聞いていたのを思い出して、ぽんと手を叩く。
「新しい仲間だ。そうだろ?」
「はい。学院長が薦めていらっしゃったので」
緊張の面持ちでカラスは「おっ、オレはカラスって言うんだ、よろしく」と照れながら挨拶をする。ボーグルもうんうんと嬉しそうに手を差し出す。
「よろしくな、カラス。俺はボーグル・ウェイトだ」
求めた握手に対してカラスがほんの僅かにビクッとしたのを彼は見逃さない。理由を尋ねるかのような視線をアルメルに送った。
「彼女は色々と事情がありまして。基本的には気の強い子なんですが」
「なるほど、他人が少し恐ろしく感じるのか」
スッと手を引いて膝に置き、優しい笑みを浮かべた。
「では慣れるまで俺からは触れないようにしよう。せっかく新しい仲間として来てくれたんだ、決心がついたら、また改めて握手をしてくれ」
「あ……おう、ありがとう。なんかごめん、気ぃ悪くしちゃって」
もっと自分が強い人間だと思っていた。だが蓋を開けてみれば他人に臆病だ。公爵家の人々には慣れたが、殴られていた頃の痛みの記憶は未だに彼女を必要以上に苦しめる呪いだ。克服したつもりでも、差し出された大きな手が、頭の片隅に追いやっていたはずの記憶を引き寄せてしまった。
だが、ひと安心させられる事があった。ボーグルはとにかく強そうな外見と同様に、若くして心も強靭に鍛え上げられた男だ。彼女が嫌だというのであれば、そうでなくなるまで静かに待つ事が出来る自信が目に見えるほどだった。
「嫌な記憶が簡単に癒えるのなら、人間は恐怖も勇敢さも持たないだろう。君の反応は正常だよ、カラス。俺は気にしてないから構わなくていい」
大きな手で、ばしっと自分の膝を叩く。
「そうだ、せっかくなら俺のメシを振舞おう。オリーヴが買い出しから戻ってきたらみんなで食えばいい。そう思わないか、教授殿!」
「あ、すみません。私はこの後仕事がありますので……」
名案だと思ったが、あっけなく断られて少しの沈黙が流れる。
ボーグルがごほんっと咳払いをした。
「……まあ、それならカラスに親睦の意味も込めて準備しよう。そろそろオリーヴも帰って来る頃だから、今日は昼食も俺が作って────」
ばたんっ! と大きな音がして玄関の扉が開かれた。
「何!? ボーグル、あんたが昼も作るってホント!?」
金髪のツインテール。気の強そうな吊りあがった目。薄青の瞳が期待と希望に満ち溢れた少女。黒色のローブが彼女の学年を示す。
勢いの良さに対して物腰柔らかに、先んじてアルメルが小さくお辞儀する。
「お久しぶりです、オリーヴ・サンジェルマン」