エピローグ『貧民街の大魔導師』
────【魔塔・最上階執務室】
カラス・ウォリックは学院を無事卒業した。基礎学科の成績は平凡なままだった。オリーヴという秀才の知恵も知識も借り尽くしてそれだった。
だが、決して馬鹿ではない。いざというときの頭の回転は他の誰よりも優れ、学院を卒業後、二年も経つと彼女は師であったアレス・サリバンから多くの技術を引き継ぐだけでなく、ホロウバルト公爵家をも超える剣術まで身に付けた。
そしてリゼット・ヒルデブラントが引退したのち、彼女の地位を継ぐのは誰かという議論の末に魔塔階位を持つ者たちの投票によって彼女は最年少の魔塔主として名を馳せる。────待ち受けていたのは膨大な書類仕事だったが。
「ううん……うう~~~ん」
机に突っ伏してやる気なく片手に判だけ握りしめる。今となってはリゼットがいつもうんざりして眉間にしわを寄せていた理由が分かった。
「しっかりしてよ、魔塔主さん。アタシも手伝ってんだから」
魔塔主補佐にはオリーヴが任命された。階位は持たないが、大魔導師として魔塔の所属となり、その後ナタリアの進言もあって──最もカラスの補佐に向いている理解者として──補佐官として働いている。
「分かってるけどよ~。これなら魔塔主なんて引き受けるんじゃなかった」
「はいはい、めんどくさがらないの。午後から会食の予定でしょ?」
「皇帝陛下とだろ。分かってるよ、分かってますぅ」
「はあ~……。じゃあ元気の出るおまじない、かけてあげよっか」
「おっ、本当に? どんな?」
期待はしていない。どうせ甘やかすような言葉でも囁いてくるに違いないと半ば疑っていたカラスだったが、オリーヴはふふんと自信ありげに。
「今日の会食、騎士団副団長もご一緒だそうよ」
「……! オーレリアが!?」
学院を卒業後、オーレリアとは一度も会えていない。彼女は神秘魔法を使える魔導騎士として騎士団に入り、そこで日々の修業に加わっている事は耳にしていた。当人たっての希望もあり、一般騎士から地位を上げ、二年で瞬く間に副団長の地位を得た。その太刀筋はかつての副団長であったロックスの面影もある。
「うわ~、会いたいな……。よし、ちょっと頑張るか……!」
「それでこそよ。あ、それからコレ。書類じゃないんだけどさ」
「え? なに、手紙じゃん。誰から?」
封を開けると中には、やや汚い字で書かれたボーグル・ウェイトの名前がある。彼は学院を卒業後、魔塔所属の推薦があったが断り、かつて働いていた店に戻った。強くなりたいと願いながら、しかし平穏な生活が一番落ち着いた。
「へえ、元気にやってるんだ。……いいな、また皆で集まりたいな」
「アタシも。そ、こ、で、ですね。魔塔主様にご提案が」
そう言った直後、執務室に赤いローブを纏った大魔導師────リゼットが現れる。以前は掛けていた眼鏡は、もうなかった。
「その提案とやら、私と同じかな?」
「が、学院長……。もしかして暇なんですか」
「失礼な。あと私は学院長の代理だ」
リゼットの低下した視力は、二年の間にオーレリアの神秘魔法によって目覚ましい回復を遂げていた。今では離れた小さな文字も若かった頃のように見える。そのため学院長の座は降りたが、現学院長を務めるウィンスキー・エミルトンを三年は補佐するという約定を交わしたのもあって、代理で手紙を運んできた。
「もう仕事は休め、午後の会食だけ出席したらいい。後の事は私とウィンスキーで処理しようと話し合ってね。午前の数時間だけだが休みを満喫してこい」
「えっ、本当にいいの!? いやったあ! やっと休めるんだ~!」
もうずっと食事と寝るとき以外は執務室に詰められていたので、ようやく自分のしたい事が出来るぞと喜んで机から離れ、オリーヴに駆け寄った。
「行こうぜ、オリーヴ!」
「ええっ? 行くってどこへ……」
「オレの友達のところ! 顔合わせにさ!」
そうして彼女たちは執務室をあとにする。どこへ遊びに行くのかはなんとなく想像がついていたので、リゼットはフッと笑って机に腰を下ろす。
「よろしかったのですか、リゼット。貴女も忙しいのに」
「これはこれは、アリアドネ・シモン殿。ここに何か用でも?」
ハインリヒ派として名を連ねたシモン家の人間の中で、ただ一人彼らに関与せず、魔塔にも魔導の極意にも興味のなかったのがアリアドネ・シモンだ。家門が一斉に処分されたのを受け、彼女が正式に跡を継ぐ事になった。
ただ、当人は仕方なくであり、それにも興味はなかった。今の彼女の興味はカラス・ウォリックだけに向いている。
「姉の弟子を見に来てはいけませんか」
姉とは違い、雷の属性を持つ魔法に特化した彼女の長い髪は綺麗な金色で、姉妹揃って縛ってポニーテールがお気に入りの髪型だ。
「……はあ、お前は姉と違って言葉にも顔にも棘があるな」
「顔の事は関係ないでしょう。にしても、あれが黒の大魔導師ですか」
「書類仕事は嫌いみたいだが、まあ才能は十分が過ぎるだろう?」
「ええ、とても優れた人物です。姉の目を持つだけはあります」
優しく微笑むアリアドネに、リゼットは煙草を咥えながら尋ねた。
「恨んでないんだな。姉の死体から目を刳り貫いた私の事も、その目を喰らったカラスの事も。お前たち姉妹はなんというか、聖人か?」
「恨んでも仕方のない事はあります。むしろ有難い事ですよ、亡くなった姉の事を信じて覚悟を決めたのでしたら、私は認めて差し上げます」
咥えた煙草をアリアドネがさっと奪い取って咥え、指先で火を点ける。
「泣いて怒って得られるのは同情だけです。そんな下らないものは要らない。私は姉を誇りに思いますし、姉を信じた貴女達も誇らしい」
「……じゃあなんで隠れてたんだ。声掛ければ良かっただろ」
わざわざ黙って見送らずとも、とリゼットは不思議そうにしながらもう一本、指に煙草を挟んで口に咥えて、そっとアリアドネの煙草から火を貰う。
「私を見たら彼女に嫌な思いをさせてしまいますので。あなたが言うように顔つきも違うし髪色も違いますが、あちらが先だから姉とはいえ双子です。カラス・ウォリックが私を見てどう思うかは想像に難くない」
「どうかね、私はアイツがそんな奴には思えないが」
フーッと煙を吐き出して天井を見上げながら。
「貧民街で育った鴉は、もう巣立って立派になった。身も心も、大人たちの手の中でゆっくり大きく強くなった。会ってやれ、その方が喜ぶよ」
「……私の知らない姉の話、聞けますかね?」
姉とは違う道を進むと決めてシモン家から離れて暮らした彼女は、もう何年もアルメルとは顔を合わせていなかった。久しぶりに会えたときには既に墓の中だ。もう直接聞く事は出来ないが、彼女と最も親密だったカラスなら。
「ああ、聞けるだろうとも」
アリアドネがどこからか手にした灰皿に煙草を捻じ込み、リゼットに差し出す。
「仕事、手伝いますよ。私もこれくらいは出来ますので」
「助かるよ。今頃羽を伸ばしてる奴の代わりに、ひと頑張りするとしよう」




