誰かが誰かを愛してる
いつもありがとうございます(*^-^*)
今の素直な気持ちを、お話にしてみました。
今日こそ意見しに行こう!
私――ヴェロニカは、寝間着の上に羽織ったガウンの紐をきっちり結び、廊下に出た。すでに夜中を回っているのに、夫が戻る気配はない。今夜だけならまだいいけれど、連日この調子。ラファエルはつねに私に甘いため、浮気の心配はしていない。
それならなぜ、近頃戻りが遅いのかというと――
執務室の扉を開けた私は、書類にサインを走らせる彼の姿を目にした。昼間外に出ている分、溜まった仕事を片付けているのだろう。淡いランプの光が、恐ろしく整った顔に陰影を落としている。一瞬、呼吸も忘れて見惚れるけれど、言うべきセリフを思い出す。
「ラファエル、このところ働き過ぎよ。そろそろ寝ないと」
「ニカか。どうしたの? 私がいなくて寂しい?」
ラファエルは、顔を上げて私を見るなり目を細めた。けれど、嬉しそうな目元にも疲れが滲んでいる。
「ごまかさないで。これ以上無理をして、身体を壊したらどうするの!」
強い口調で言ってみた。
大変なのはわかっているが、一国の王子が倒れたら大変なことになる。
「さ、早く寝るわよ」
「魅力的なお誘いだけど、あとちょっと。手元にある分だけでも片付けておきたい」
「手元って……積み上げられているじゃない!」
ラファエルの軽口には、いつものキレがない。少し乱れた前髪は落ちて額にかかっているし、紫の瞳も輝きが失われていた。途端に胸が痛くなり、私は唇を噛みしめる。
「ほら、行くわよ」
「……待って、ニカ」
問答無用で彼を立たせることにする。でも私がいくら引っ張っても、彼はその場を動こうとはしなかった。
「ラファエルお願い! 秘書官も体調を心配していたわよ。せめて仮眠を取ったらどう?」
「仮眠……か。まあ、それくらいならいいかな。ニカも付き合ってくれる? 膝枕をしてくれたら嬉しいな」
私を追い払おうったって、そうはいかない。
通常なら断ることも、今は緊急事態で恥ずかしがっている暇はないのだ。
「もちろんよ。ほら、早く」
本棚の前にある長椅子の端に座った私は、自分の太ももを両手で叩いた。
「いつもより、ニカが優しい……」
「失礼な。私はいつでも優しいわよ」
諦めたのか、ラファエルは長椅子に倒れ込むように横になると、私の太ももに頭を載せた。そして、あっという間に眠りに落ちる。
「やっぱり。相当疲れていたのね」
起こさないように柔らかな金の髪を撫でながら、私は彼の寝顔を見つめた。こうして触れること自体、本当に久しぶり。
全属性の魔法を持つラファエルは、本来なら疲労程度は自分で癒やせる。しかし、国内のあちこちで疫病が発生したため、自分の光の魔法を重病人に優先して使っているのだ。
あんなに『天使』と同列に見られることを恐れた彼なのに、最近はそれすら厭わず、ひたすら民のために尽くしている。
ラファエル率いる魔法使い達のおかげで、我がノヴァルフ国は他国と比べ最悪の事態は免れている。でもこのままでは、彼や看病にあたる人達が身体を壊してしまうだろう。そうなればこの国は、内側から崩壊しかねない。
「困難に立ち向かう姿勢は立派よ。だけど、何もかも背負おうとすることないじゃない」
魔法が使えず、ラファエルの力になれない私。少しでも彼の助けになれないかと、考えを巡らせる。
「ねえ、ラファエル。城のみんなも心配していたわ。貴方が思うよりずっと、貴方はみんなに愛されているのよ」
彼にはもっと、自分を大事にしてもらいたい。
もちろん人助けをやめろというわけではなく、時々休息を取ってほしいという意味だ。
「彼を忙しくさせている原因は、手伝えない私にもあるのよね。ラファエルの筆跡を真似て私がサイン……では、無理があるし」
肩を落として首を横に振る。
他には? この国と民のため、私にも何かできることがあるはずよ。
「重病人の手当ては無理でも支援はどう? あと、この国の衛生管理は中世並みだから、教育から始めるのは?」
寄付を募って資金を調達し、必要な物資を支援する。字が読めない民のため、絵で各自がやるべきことを訴えて、身の回りを清潔に保つように促す。
それなら私にもできそうだと、片手を握ってガッツポーズ。
その時ふと、彼の視線を感じた。
「普段のニカも可愛いけど、気合いの入ったニカは綺麗だね」
「なっ……起き抜けに何を言い出すの。ラファエルこそ、どんな時でも素敵じゃない」
不意打ちのため、思わず本音が零れ出た。私の言葉を聞いたラファエルが、楽しそうにクスクス笑う。
「ニカは本当に、なんて可愛いんだろう。早く用事を片付けて、君とゆっくり過ごしたいよ」
「急がなくていいわ。貴方は働き過ぎだから、まずは自分のことを考えて」
「自分のことを考えているからこそ、愛するニカと民を守りたい。それが私の願いだから。あと少し、今が正念場だ」
誰よりも多様な魔法を扱うラファエル。
彼の言い分はもっともだけど、こちらにだって主張したいことはある。
「ねえ、ラファエル。貴方が民を愛するように、民も貴方を愛してる……もちろん私も。お願いだから、無理をしないで」
「ニカ。だが……」
「大変な時だっていうのは、わかっている。だからこそ、なんでも一人で抱え込むのはダメよ。なんのための夫婦なの? 貴方を案じる私の気持ちまで、否定しないで」
「ニカ……」
「病気の人にも治す人にも、みんなに家族がいる。大切な人に傷ついてほしくないと考えるのは、当然でしょう?」
ラファエルが口を引き結ぶ。
この際だから、言ってしまおう。
「治すことも大事だけれど、病気は防ぐことも重要よ。一部の人が頑張るのではなく、みんなが協力すれば良いと思うの」
「……具体的には?」
ラファエルが横になったまま、片方の眉を上げて問いかける。
「ええっと、疫病が発生した地域の水を飲まないようにしたり、普段から身の回りを清潔にしたり。病人だけでなく、派遣された魔法使いや看護の方にも必要な物資を送る、かしら」
「ニカが私と同じ考えで嬉しいよ。ただ、光の魔法使い達のおかげで一番ひどい地域の峠は越えた。活躍した者には報奨金を与え、今は交代で休みをとらせている」
「まあ」
「あとは感染拡大を防ぐため、残った兵が民の指導に当たっているかな」
「そうなの……」
「必要な物資は届けたし、重症患者の出た地域の井戸は封鎖した。水の魔法使いが水路を確保し、休み明けの光の魔法使いが、水の浄化に向かっている」
なんてこった。
私の浅知恵程度では、ラファエルの足下にも及ばなかったらしい。彼はとっくに指示を出し、事態の打開に努めていた。それなら私の存在意義は……。
「きゃあっ」
長椅子から飛び起きたラファエルが、突然私を抱きしめた。
「確かにね。近頃私は君と触れ合えないせいで、かなり疲れていたようだ」
彼のかすれた声と温もりに包まれて、私の心臓が大きく跳ねた。
「ニカ、君の気持ちはわかったよ。書類へのサインが終わったら、必ず休む。それと、愛する人を守るため考えて行動するようにと、民に呼びかけよう」
「呼びかけるのは良い考えね。風の魔法を使うのでしょう?」
「ああ」
「貴方の声ならきっと、みんなが聞いてくれるわ。――誰かが誰かを愛してる。病気の人にも元気な人にも、みんなに大事な人がいる。人は一人では生きていけないから、思いやりを持った行動をしてほしい――。そう親身に訴えかければ、わかってくれるのではないかしら」
「そうだといいな。私もニカがいないと、生きていけないから」
いつもなら大げさだと笑い飛ばすところだけれど、紫の真剣な瞳に捉えられた瞬間、心を鷲掴みにされてしまう。
これは最近、ラファエルとすれ違いの生活をしていたせいだ。私の心の平穏のためにも、疫病の一日も早い収束を祈ろう。
ふいに顎を捉えられ、上を向かされた。
ラファエルの綺麗な顔が迫ったかと思えば、形の良い唇が私のそれに重なる。
「ニカ、愛しているよ。寂しい思いをさせてごめんね」
キスの合間に彼が囁く。
私は頬を火照らせドキドキしながら、頷いたり首を横に振ったりと大忙しだ。長いキスの後で、ようやく声を発する。
「私も貴方を愛してる。でも、そんなに寂しくないわ。だって、貴方のことはいつも身近に感じているもの」
「ニカ! やっぱり君は、なんて可愛いんだ!!」
そのまま長椅子に押しつけられて、頬をすり寄せられた。ラファエルは、その後も……。
ちょっとなはずの触れ合いが、長時間に及んでしまう。
――私を構ってばかりいて、ラファエルは休めたのかしら?
*****
誰かが誰かを愛してる。
家族として、人として、好意を寄せる人として。
それから大きくても小さくても、どんな形でも親切を分け与えられた者として。
誰もが大切な日を大切な人と過ごせるよう、みんなが協力しあえますように。
そして、病が一日も早く治って、平穏な日々が戻りますように……。
ヴェロニカ&ラファエル
最後までご覧いただき、本当にありがとうございました。
無理をせず、お身体を大事にお過ごしくださいませ。