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お母さんから言われたとおり、眠人はおかゆにふーふーと息をかけて冷まし、オレに食べさせてくれた。
さすがに恥ずかしいという思いはあったが、まだ体調が万全ではないのだからと、その厚意に甘えさせてもらうことにした。
おかゆを食べているあいだも眠人が息を吹きかける音くらいしか聞こえなかったのだから、当たり前とも言えるが、食事終了とともに再び静寂の時間が訪れてしまった。
時計の秒針の音だけが、窓から差し込む陽光によって夕焼け色に染まり始めた部屋の中に寂しく響く。
普段はうるさいくらいに騒がしい眠人が、どういうわけかなにも喋ってくれない。
……いや、オレが体調を悪くして横になっている状態だから、気を遣って黙ってくれているのだろう。
こちらから話題を振ってもいいわけだが、なにを話していいものか、頭がぼーっとして考えられなかった。
おかゆを食べ終えた満腹感で、眠気も膨らんできているようだ。
ちらりと視線を向ける。
オレの気持ちがわずかばかりでも伝わったのか、微かに笑みを浮かべ、眠人は控えめに口を開く。
「ゆっくり眠っていいよ~」
やはり、静かにしてオレが安静に休めるよう、慮ってくれていたのだ。
と思ったのも束の間。
「寝たらまず、唇を奪って~、そんでもってあんなことやこんなことを~、ぐふふふ~」
「絶対寝るもんか!」
ゲシッ!
思わずパンチが飛ぶ。
女の子みたいな顔をしているというのに、ぐふふ、などといやらしく笑うのは、絶対にやめてもらいたいのだが。
「ああもう、布団がめくれちゃったじゃん~。ちゃんと寝てないと~」
「誰のせいだ誰の!」
文句を返しながらも、素直に体勢を戻す。眠人が布団をかけ直してくれたからだ。
だが、オレの素早い反応を見て眠人も安心してくれたのは、その表情を見ればよくわかる。
オレ自身も、この分なら少し休むだけで体調がよくなるだろうと予測できた。
眠人はなんだかんだと、少々エロい発言をぶつけてくることがある。
そういった場合は、オレを元気づけようとしてくれているのだ。
……絶対にそうとは言いきれない気もするな……。
とはいえ、実際にオレに手を出してきたことなどないのだから、そういった発言が眠人の気遣いの一環だというのは、疑いようのない事実なのだろう。
眠人は女の子と間違えられるくらいの可愛らしい顔立ちをしているくせに、十八禁のエロゲーが好きなのだという。
夜な夜なそういうゲームで遊んでるんだ~などと、屈託のない笑顔で言われたオレは、どんな言葉を返せばいいというのやら。
高校一年生、現在十五歳ということを考えれば、問題があるような気もするが……。
ただそれらのゲームは、どうやら父親から渡されたものらしい。
女の子っぽいことを心配して、少しでも男らしくなってほしいという願いが込められているんだよ~と、眠人は語っていたのだが。
眠人の父親はエロ小説家。いまいち説得力がないと言わざるを得ないだろう。
きっとおじさん本人のコレクションだ。間違いない。
もっとも、そういった小説を書くための資料、と言えなくもないわけだが……。
ちなみに、眠人の母親はエロ漫画家。眠人がそういったゲームをしていることも、華麗にスルーしているのだとか。
おかしな一家だ。
そんな眠人の家と、昔から深い交流を続けているオレの家も、およそ普通とは言えないのかもしれない。
☆☆☆☆☆
再び訪れた沈黙――温かさを含んだ不思議な沈黙に身を委ね、オレはそっと目を閉じ、過去の出来事に思いを馳せ始めた。
オレが自分のことを『オレ』と呼び、男っぽいサバサバした態度を取るようになったのは、幼い頃に読んでいた漫画の影響というのもあるのだが、それ以外にもうひとつの理由があった。
それが眠人だ。
当時、眠人のことが好きだったと以前にも言及したが、そんな幼馴染みが、小学校低学年の頃はいじめを受けていた。
さほど陰湿なものではなく、まだ幼かったこともあってか、言葉によるいじめだけではあったのだが。
それでも眠人は、よく泣かされていた。
原因は眠人が女の子っぽいこと。
今でこそ可愛らしくて、男子からすら好奇の目を向けられるほどであるが、その頃は他の男子たちに気持ち悪がられていたのだ。
寄るな、おとこおんな! オカマが移る! なよなよして気持ち悪いんだよ!
口々に罵られ、突き飛ばされたりしても、眠人は言い返したり手を出したりは絶対にしなかった。
自分が我慢すればいいだけだから。事を大きくしたくないから。そんなふうに考えていたのだろう。
力も弱いしトロい眠人だから、単に他の男子が怖かっただけかもしれないが。
ともかく、眠人はいつものように泣かされていた。
当然ながら、人に見られるような場所で正々堂々といじめるバカはそうそういない。たいてい中庭や体育倉庫裏など、人目につかない場所に連れていかれていじめられる。
オレはそんな様子があったら密かに追いかけ、眠人をいじめる男子たちの前に立ち塞がった。
眠人のことは、オレが守らなくては。
正義のヒーローとか、そういったものに対する憧れみたいなものがなかったとは言いきれない。よく見ていた漫画にも、ヒーローものは多かった。
だが、深い考えなんてなかった。
眠人を守りたい。ただその一心だけだった。
眠人を守ること、それが自分の役割なのだと決意を固めていた。
……いじめられるくらいなら、女の子っぽい部分を直せばいいのに。今となっては、そう思わなくもないのだが。
しかし、そういった部分も含めて眠人という一個人なのだし、今さら変わられても困惑してしまうだけだろう。
それ以前に、顔なんて直しようもないか。
性格的には女の子っぽいわけでもなく、微妙にエロ発言なんかもする普通の男子高校生でしかないのだから、他に直す部分があるとも考えられない。
しいて挙げるならば、にゃふっ、などと男らしくない声で笑うところくらいだろうか。
「ふふっ」
幼い頃の懐かしい姿を想像し、思わず笑みがこぼれてしまった。
その拍子に、おそらく眠りへと落ちそうになっていた頭が一瞬で現実に引き戻される。
パチリ。
まぶたを開けると、すぐ目の前に眠人の顔があった。
「…………おい、なにしてる?」
「ちぇっ、起きるなよぉ~」
悔しそうに眉をしかめてもなお可愛らしい笑顔を残して、眠人は顔を離す。
「眠人、お前まさか、さっき言っていたことを本当に実行しようとしたんじゃないだろうな?」
「え~? ボク、嘘なんてつかないもん~。有言実行だよぉ~。偉いでしょ~!」
「偉いわけあるか! エロいだけだろ!」
「う、うわぁ~、飛鳥ちゃん、オヤジギャグ~? 面白ぉ~い!」
「殴る! 絶対殴る!」
暴れるオレの目を、キラキラと輝きを放つ眠人の瞳がじいっと見つめる。
「な……なんだよ!?」
「もう元気になったみたいだね~。よかったぁ~」(にこっ)
……こいつは……。
いったいどこまでが冗談でどこまでが本気なのやら……。
ともあれ、オレの体調がすっかり回復していたのは紛れもない事実。
それを確認するための言動だったのだろう。……たぶん。
「そういえば……」
ふと、オレは気になっていた質問を口にする。
「今日の授業中、アストラルシャドーが出てきたときのことだが、お前、見えていたのか?」
あの戦いの際、眠人は後ろに注意するよう、声をかけてくれた。
それでオレは、背後に迫っていたアストラルシャドーに反応できたのだ。
見えていなければ、そんな言葉がかけられるはずもない。
オレはそう考えていたのだが。
「え~っと……なにも見えなかったよぉ~」
「だったらなぜ、あんなことが言えたんだ?」
「う~ん……よく覚えてないけど、なんとなく飛鳥ちゃんが危険だって感じたのかもぉ~」
追求するも、曖昧な答えしか得られなかった。
まぁ、眠人だし、こんなものか。
と思って油断していたからか、不意の一撃を、オレは不覚にもまともに食らってしまう。
「だってボクは、いつでも飛鳥ちゃんのそばにいて守り続けるナイト様になりたいんだから~。にゃふふっ」
一点の曇りもない笑顔で言われ、顔が真っ赤に染まる。
「そんでもって、夜のほうのお相手も~。ぐへへへ~」
ゲシッ!
すねを思いっきり蹴飛ばしてやった。
オレを和ませるための冗談なのだろうが。
眠人のほうこそ、オヤジっぽさ全開じゃないか。