第二章③ 痕跡の先
闇の奥で、音が増えた。一つや二つでない。擦れる足音。歪んだ呼吸。乾いた喉が鳴る音。───数えきれない。どうやらここはそんじょそこらの違研(違法研究所の略)とは格が違ったらしい。オルランドは理解する。
「……囲まれています。」
返事はなかった。代わりに、隣で光が強まる。アンジェリカは、ただ静かに剣を握り直していた。次の瞬間。影が溢れた。通路の奥、崩れた壁、天井の裂け目。あらゆる隙間から、人だったものが這い出してくる。腕の多いもの。脚を引きずるもの。顔の形を失ったもの。ざっと見て───百は下らない。常識なら、逃げる数だった。オルランドは短銃の安全装置を外す。心拍は静かだ。恐怖より先に、計算が来ている。
「……走路はありませんね。」
「───はい。」
アンジェリカの声は、不思議なほど穏やかだった。
「大丈夫です」
何が、とは言わない。だがその言葉には、確信があった。最初の一体が跳ぶ。銃声。頭部が砕け、倒れる。だが止まらない。二体、三体、十体。群れが雪崩れ込む。そのとき───光が、解き放たれた。アンジェリカが踏み出す。細い体が、群れの中心へ向かって一直線に。無謀な動き。だが。振るわれた一閃が、空間そのものを切り裂いた。音が遅れて届く。───時の流れが遅い。倒れる影が、一拍遅れて崩れた。一直線に、十数体が同時に断たれている。オルランドの目がわずかに開く。速さではない。重さでもない。質が違う。光は止まらない。二閃。三閃。四閃。剣が振るわれるたび、闇が削り取られていく。血飛沫すら、光の中で神々しく光輪を描いていた。まるで───アンジェリカがこれらを救済する女神とでも言うように。それでも数は多い。背後から迫る群れへ、オルランドが射撃を重ねる。正確。無駄がない。余計な感情もない。二人の動きは、言葉なく噛み合っていた。前を切り開く光。隙間を埋める銃弾。時間の感覚が薄れる。何分経ったのか、あるいは数十秒か。最後の一体が、ゆっくりと崩れ落ちた。静寂。残ったのは、壊れた肉体の山と、まだ消えない淡い光。アンジェリカは、小さく息を吐いた。剣を下ろす。その動作は、驚くほど静かだった。百体を斬った直後とは、思えないほどに。オルランドは言葉を失う。理解が、少し遅れて追いつく。───この人は。守る対象ではない。同じ場所に立つ者だ。あるいは。それ以上に、遠い場所にいる。
「……怪我は無いでしょうか。」
やっと出た言葉。アンジェリカは首を振る。
「あなたは?」
「問題ありません。」
短い沈黙。そして彼女は、少しだけ微笑んだ。戦いの最中とは違う、柔らかな表情。その落差に、オルランドの胸がわずかに揺れる。理由は、まだ分からない。だが確かに───何かが始まっていた。




