第三章 静かな灯り
依頼をこなし、オルランドたちは家に戻った。そして疲れからか、二人は眠ってしまった。これは、その次の朝の話である。
朝は、思っていたより普通に来た。窓の外では、配送用の無人車両が規則的な音を立て、遠くで警告放送が流れている。昨日、百体の暴走者を斬った場所と、同じ都市とは思えないほど───何も変わっていなかった。オルランドは、事務所の簡易台所で湯を沸かす。古い器具は温度調整が鈍く、わずかに金属臭が混じる。だが使えないほどではない。背後で、布の擦れる音がした。
「……おはようございます。」
まだ眠気の残る声。アンジェリカだった。寝ぼけ眼でオルランドを見つめている。
「おはようございます。」
それだけの会話。けれど沈黙は重くない。湯気が、二人の間にゆっくり広がる。用意したのは、栄養調整された簡素な朝食。味は薄いが、身体は保つ。アンジェリカは一口食べ、少しだけ目を丸くした。
「……体あったまります。」
当たり前の感想。それでもオルランドは、なぜか少し安心した。
「冷たいものばかりだと、疲れますから。朝はお腹に優しいものがいいですし。」
「はい。」
アンジェリカは小さく頷く。それだけで、部屋の空気が柔らかくなる。不思議だった。この都市では、人と向き合う会話はほとんどが利害で出来ている。依頼。報酬。追求。責任。けれど今ここには、そのどれもない。ただ───同じ朝を過ごしているだけだった。
午前の依頼は軽いものだった。紛失した端末の捜索。所在はすぐに割れ、回収も問題なく終わる。危険も、血もない。拍子抜けするほど、普通の仕事。帰り道、アンジェリカが街を見上げた。高層の外壁に走る配線。途切れた広告表示。空を横切る監視機。
「……この街は、ずっと同じ景色なんですね。」
「ええ。───変わらないことが、ここでは価値なので。」
「変わらないことが……。」
彼女は少し考え、それから静かに言った。
「でも、変わってほしいこともあります。」
オルランドは何も聞かなかった。聞かなくても、分かる気がしたから。少しの沈黙。風が弱く吹く。そのとき。アンジェリカの髪が揺れて、光を受けた。ほんの一瞬。ただそれだけ。それなのに、胸の奥がわずかに痛んだ。理由は分からない。だが───この時間が、失われるかもしれないと、どこかで知っている感覚。オルランドは視線を外す。代わりに、いつも通りの声で言った。
「昼までに戻れば、次の依頼に間に合います。」
「はい。」
いつも通りの返事。けれどその声は、少しだけ柔らかかった。
夜。
事務所の灯りは弱い。節電のためでもあり、この部屋にはそれで足りた。アンジェリカは、椅子に座って本を読んでいる。内容の薄い古い物語。幸福な結末で終わる、今では珍しい形式。ページをめくる音が、静かに響く。オルランドは書類を整理しながら、ふと思う。───この時間が続けばいい。危険も、依頼も、都市の冷たさも関係なく。ただ、今日のような一日が、繰り返されればいい。そんな願いは、この街では現実的ではない。それでも。
アンジェリカがふと顔を上げて微笑んだ瞬間───その不可能は、少しだけ現実に近づく。
「……ここ、少し好きです。」
小さな声。オルランドは答えに迷い、それから静かに言った。
「……そうですか。」
それだけ。それだけなのに。胸の奥に、灯りがともる。弱くて、すぐ消えそうな灯り。けれど確かに、そこにあった。




