28 悪に染めてやる
なんだか家の中が騒がしい。
ふらりと玄関ホールまでやってきた僕は、リャニスの姿を見つけて心底驚いた。
「え? リャニス?」
ぱたぱたと駆け寄って、彼の顔を見上げて僕は首をかしげてしまった。
「リャニスだよね?」
今日帰って来るとは聞いてないし、出国前とずいぶん印象が違うから戸惑ってしまった。背も伸びたし体の厚みも増したように見える。頬がシャープになって、瞳に落ち着きを宿して……。もうね、到底十三歳には見えない。
「大人じゃん。未来から来ました?」
「兄上が変わらず健やかでお過ごしになられている様子に、心から安堵いたしました」
僕のボケにも動じず、リャニスはむしろ硬すぎるくらい生真面目に返してきた。
ツッコんでよぅ……、と言いたいところだが立ち話もなんだ。リャニスはコートを脱ぐどころかマフラーさえ外していないのだ。
「外は寒かったでしょう。ひとまず着替えを――」
「兄上、少し歩きませんか?」
それはいっこうに構わないけど、帰国してその足でうちまで来たんだよね? 疲れてるんじゃないのかな。
迷っているとリャニスは身をかがめ、僕にこそっと耳打ちした。
「少しのあいだだけでも、兄上を独り占めしたいんです。ダメですか?」
わずかに下がった眉と、遠慮がちなまなざしに『可愛い弟成分』がしっかり残っていた。リャニスがどこでそんなおねだりを覚えたのか知らないが、そんなん、一も二もなく頷いちゃうね。
いつもうるさいことを言う両親も、今は冬の儀式に出席するため留守だ。
こんな機会はめったにない。
ライラにコートを取ってきてもらう。彼女は当然自分の勤めを果たそうとしたのだが、クロフから申し送りがあると止められた。
「そんなの、一緒に行けばいいじゃないですか」
ライラは少々粘った。でもね、僕もリャニスと二人で話したいことがあるんだよ。そこはやんわりと断った。
リャニスは屋敷の裏庭を抜けるつもりのようだ。
無言のまま並んで歩いて、イチゴが群生しているあたりまでやってきた。季節外れだから当然実もついていないし、葉も縮こまって寒さに耐えている。
リャニスは足を止めることなく、農道めがけてゆっくりと進んだ。
どこまで行くつもりなのか尋ねるよりも、どう切り出せばいいかで悩んでいた。
僕はリャニスがザロンへ渡ったわけを知りたい。
こうして逞しくなって帰ってきたのを見ると、僕に明かした「強くなりたい」という言葉も理由のひとつなのだと思う。
だけど、なぜ急に強くなりたいなどと言い出したのか、きちんと彼の口から聞きたいのだ。じゃないと、思考がどんどんおかしなほうへ行ってしまう。
王子ごと、僕を断罪するため?
それとも母上の言うように、僕と王子の婚約の邪魔をしないために?
どちらも、僕の知っているリャニスの行動にはそぐわない気がする。
ええい、思い切って聞いちゃえ!
「リャニスは、僕のことどう思ってるの!?」
すると彼は大きく肩をビクつかせた。目を見開いて僕を数秒見つめたあと、今度はしきりに視線をさまよわせる。
「そんなこと……言えません、今はまだ。その、いろいろと準備をしてから」
なんかゴニョゴニョ言ってる!
こっちが驚いてしまうほどの動揺っぷりだ。そんなに言いづらいとは、本当に断罪の準備なのでは?
いや、でも――やっぱりそれは考えづらい。
むしろ僕が反逆者と知りつつ、どうすべきか迷いがあると考えるほうが理解しやすい。
そのとき僕は、キアノの言葉を思い出した。
彼は僕が日本語を扱えると知っても、『それはギフトだ。ポメ化と同質のものだ』そう言って笑い飛ばした。
噂よりも、これまでの僕の言動を信じると。
本来の流れなら、王子はきっと僕を見限るはずだった。でも今は味方だ。
リャニスもきっと、正義と身内への情に挟まれ困惑しているんだ。ってことはだよ?
このままでは断罪の矛先が妙なところに行ってしまいかねないってことで――
「僕にしておきなよ!」
「は!? えっ?」
なにやらリャニスの声がひっくり返ってしまったが、僕は必死だった。
「いいんだ、リャニス。遠慮なんて要らない。僕が全部受け止める!」
なんなら、まずは断罪の方向性へ持ち込み、そこから家族の情を持ち出して更なる同情を誘い、状況をひっくり返す!
よし、これじゃない?
現状、僕になんかするのは王子に喧嘩を吹っ掛けるも同然だ。
両親だって侍女たちだって、リャニスを恨んじゃうかも。
そうなるとリャニスは今後、トルシカ家で生きづらくなると思うんだよ。彼は当主になるってのに!
キアノだってすでに巻き込んでいる。
説得してみよう。リャニスの正義を捻じ曲げてでも。
どのみち僕は悪役令息なんだ。自分の命を守るためなら、弟だって悪に染めてやる。
決意を込めて見つめると、リャニスは絶句して動かなくなった。
え、大丈夫?
ちょっとつついてみようかと思ったところで、ピクリと動く。
片方の手で僕の視線を遮るようにして、空いた手で顔を覆ったリャニスは何事かつぶやいた。
惑わされるな、とか聞こえたような……。
そしてようやく顔を上げたんだけど、なにやら目つきが暗い。
ちょうどその時、遠くから音が聞こえた。振り返ると屋敷のほうから馬車が一台やってくる。御者席にいるのはリャニスの従者クロフのようだ。
いつのまにかリャニスの注意もそちらに向いていた。その横顔はどこか緊張を帯びていた。
「兄上、自分が何を言っているのか、理解していますか? いいえ、わかっていないはずです」
なんでそう決めつけるかな。僕はちょっと眉を寄せたけど、リャニスは固く目をつぶってこちらを見ていなかった。
深いため息とともに、迷いを振り払ったような顔つきになる。
「今から兄上を、地獄に連れていきます」
ほほう? てことは断罪ルート?
できるのかな、優しい君に。
気づけば僕は笑みを浮かべていた。
悪役令息らしく美しく堂々と。
「うん、わかった」
僕はエスコートを求めて手を伸ばした。
「わかっては、おられないのでしょう……?」
微笑む僕に対して、リャニスのほうが、青ざめてかすかに震えている。
「どこにだって行くよ。リャニスが望むのなら」
僕の挑発を受け、リャニスは苛立った様子で、僕の手を乱暴に引いた。