26 吠えたくなる夜
以前スクール島でノエムが『デスゲーム』という言葉を見つけたと書きましたが、修正しちゃったので覚えている方は記憶からデリートしてくださると助かります。そんな事実は、なかった。
サンサールに対して僕ができることは、当面ないとわかったのですごすご帰ることにした。いや、そのつもりだったのだけど、キアノは「少し寄り道するぞ」と、僕を連れまわす気満々だった。
さすがに苦言を呈さねばという気持ちは到着するなりどっかへ行った。
一角獣の降り立った場所が意外過ぎたのだ。なんか、馬糞変換装置が見えるんだけど?
思わずキアノの横顔を見つめると、ウィンクが飛んでくる。
彼はどこからともなく地図を取り出して、僕の手を引き歩き始めた。ちなみに隠密モードはオンのままだ。護衛は少し離れて待機している。
ここって、以前リャニスと一緒に来たところだよね。ってことはアレがある?
「探しているニホンゴはこれで間違いないか」
僕の考えを読んだかのようにキアノが壁を示す。そこには『ウマノフン』と釘でひっかいたような落書きがあった。
「はい。間違いありません。けど、どうして……」
「君に話を聞いたときから、秘密裏に探させていた」
「あの、これ、書き写したいのですが!」
とはいえライラを置いてきてしまったし道具がないか。どうしよう。
困っているとキアノはニコリと笑い、紙を取り出した。
「すでにご用意されてます!?」
しかも、筆跡までそっくり再現している。改めて見ると下手な字だな。やたらと美文字でも驚くけど。
そこまで考えて、まだお礼を言っていないことに気が付いた。
「すごいです、キアノ! ありが――」
全部言う前に、彼は僕の口に指をあてて黙らせた。
「まだだ。ノエム」
いたずらっぽい微笑みを浮かべ、彼は手品のように手元の紙を増やして見せた。
「見に行くだろう?」
さらに四枚あるだと!?
「行きたい! 行きたいのは山々ですが……!」
僕はちらっと空を見上げた。
「そろそろ帰らないと母に叱られてしまいます。侍女たちも心配していると思うし」
「ん? 言っていなかったか?」
キアノは顎に手を当て考えるそぶりを見せた。
そして反省を放り投げたらしい。堂々と言ってのけた。
「君を連れ出す許可なら取ってある。当然だろう? 未来の母君の機嫌を損ねたくはないからな」
「気が早い! ――じゃなくて。そういうことはもっと早く言ってくださいよ」
思い切りツッコミを入れてしまったじゃないか。咳払いでごまかしつつ、チラッと護衛の様子をうかがう。彼らも困っていないようなら行っちゃおうかな。
お膳立てされちゃったんなら仕方ないよね。
こうして僕の手元に五つの日本語が集まったわけである。
それぞれ、『ウマノフン』『デスゲーム』『メイジムラ』『トンマダゼ』『オオシゴト』とある。
言葉の選び方を見ても、どうも男児の仕業に思える。
それにしても……。
「トンマダゼ?」
「どうした、何か分かったのか?」
「なにやら馬鹿にされている、ということはわかりました」
とんまって、確か間抜けとかそういう意味だったよね。
王子は日暮れ前には、まあまあ紳士的に家まで送り届けてくれた。
日本語の写しもそのままくれたし、至れり尽くせりだった。
それはそれとして、僕は母上に物申すつもりである。鍛錬場にいると聞いたので、着替えもせずにそちらへ向かう。
「たのもー!」
ノリで叫んで踏み込んだそのとき、母は剣を手に藁束の前にいた。一歩踏み込んで一閃し、ふっと息を吐いて鞘にしまう。
くるりと母上がこちらを見た瞬間、藁束の上部が静かにズレて地面にドスンと落ちた。
僕は悲鳴を飲み込んで、顔のパーツを真ん中に集めてなんとかポメ化をこらえた。
「まあ、なんです。そのはしたない顔は」
「……すみません」
謝罪しながら僕は脳内でセーフと叫んでいた。
いつもは過剰に反応してしまう『はしたない』なんだけど、今は指摘されたのが顔面のことで心底助かったと思っている。もしも母に「勝負がしたいのですか」とか言われたら尻尾を巻いて逃げるところだった。
「それで、何の用です」
「僕を連れ出していいと殿下に言ったそうですね! 困ります!」
「困る? なぜです? 殿下はこうおっしゃいました。ノエムが頼んだ場合は連れ出す、と」
いや、あれは頼んだというか。……そういうことになっちゃうのかなあ!?
母上の目つきがとっても冷ややかで、僕は後ずさりしそうになった。
いつもちょっと低めの声だけど、今日はさらにやばい。あえてゆっくりと話すところにまざまざと怒りを感じる。
「殿下の厚意にすっかり甘えておいて、その言いよう――」
まずい!
でもここ引いたら一生カゴの鳥だぞ。背筋をビシッと伸ばし、僕はいっそ自信ありげに言い切った。
「そのことなんですが、母上が僕の単独行動の許可をくれないから、殿下を頼りにしてしまう側面もあると思うんです。僕にも行動の自由をください!」
「なりません」
えー!?
ちょっとは考えてくれたって良くない?
声にこそ出さなかったが、不満はばっちり顔に出たようだ。
母上はふっと息を吐いて剣を侍女に預けた。
「夕食の後で少し話しましょう」
「望むところです」
正直、仕切り直しは大歓迎だ。やっぱり、帯剣した母上は必要以上に怖い。
食後のお茶を母の私室に運んでもらい、侍女を下がらせると母上は重々しく口を開いた。
「ノエム、あなたは自分の立場をわかっていますか」
「先ほどの続きですよね? 僕はキアノジュイル殿下の婚約者候補です」
「その通り。候補でしかないのです」
わかってるよ。だからあまり甘えたくないんじゃないか。
つい口を尖らせてしまった。母は咎めるでもなくわずかに眉を寄せた。
「今のあなたは非常に危うい立場なのです。キアノジュイル殿下の花嫁として不足という声もありますし、ならば自分が娶りたいという声も多いのです。誰ぞに攫われて傷物にされる可能性だってあるのですよ」
うーん、たぶん、それはない。
ノエムートにそんな未来は予定されていない。
伝染病と間違えられて隔離されるイベントはあったけど、リャニスに断罪されてトルシカ家から追い出されたあとの話だし、母の心配とは方向性が全然違う。
それに僕にはライラがいるじゃないか。
「わたくしが言いたいのは、つまり、殿下に甘えるのなら候補などでなく、きちんと婚約者の座を勝ちとりなさいということです」
「いや、でも」
「でも?」
母上が口調を強めれば、僕は反対に口をつぐむしかない。圧が強すぎる。
「ノエム、あなた殿下とデートしたそうですね?」
「へ?」
「たいそう楽しんでいたと侍女たちから報告を受けています」
「あの、それがなにか……」
「それなのにあなたは、殿下との婚約を拒んでいる。理解に苦しみます」
母上は、疲れたように頭を振った。
死ぬ運命にあるからですと、いくら何でも自分の母親には言えない。
いつもの悪知恵もなんだか働かなかった。
「リャニスはどうして卒業を待たずにザロンへ行くなどと言い出したのか疑問でしたが、あの子の判断はいつも驚くほど正しいのですね」
「どういうことですか」
「あなたの婚約に差し支えると考え、あの子は身を引いたのです」
「身を引いたって何ですか。リャニスは、弟なのに……」
「普通は問題になどならないのでしょうけど」
母上はそう言って、固く目をつぶった。
僕も目を伏せ考え込む。
……新説が出ただと?
リャニスが隣国に渡った理由を、僕は最初こう考えていた。
僕のことを反逆者と認定したからだと。そしておそらく、王子が僕の味方をすると彼は判断し、王子ごと処断を下さそうとしたんじゃないかって。
でもそれは、原作に影響されたイメージの中のリャニスだ。
僕の知っているリャニスは優しい子だ。いきなり断罪などせず、まずは僕を正そうとするだろう。
けどそうなるとますますわからなかったのだ。
なぜ彼が、ザロンへ行ったのか。
客観的に見たとき、母の説は非常に説得力があった。
ようするに、僕が可愛いすぎるから周りが邪推しちゃうってことだよね。
そんなこと振り回されて、出発当時は十二歳。この九月でようやく十三歳を迎えたばかりの少年が、一人で外国へ行っちゃったってことだよ!
なんてことだ。
子供はそんな気を回すもんじゃないよっ!
僕は夜、自室で手紙を書きながら吠えた。
「リャニス、帰っておいで!」
変なことを言うやつはお兄ちゃんが叱っておくから。




