19 楽しんじゃった
この国、道化の国ピエルテンには多くの劇場がある。
お金さえ支払えば平民でも他国の人でも利用できる。もちろん、貴賓席を借り切って護衛達も一緒に、みたいな使い方もできる。
王子が向かったのは比較的小規模の劇場だった。どうやら演目でここに決めたらしい。
「少年と犬の物語ですか」
フランダースの犬みたいな奴だろうか。それとも名犬ものかな。どちらにしてもやっぱり王子、犬好きだな。
「キアノは見たことがあるんですか?」
僕の質問に王子は黙って首を振る。その口元がにんまりしている。
「まあ、見てみよう」
彼はさりげなく僕の肩を抱き、中へいざなった。
劇場の暗い廊下を進み、彼のエスコートでゆっくりと階段をのぼる。二階席正面が、僕らの席だ。
少年を演じるのは小柄な女性で、犬を演じているのは青年。
違和感は、舞台が進むにつれてスーッとどこかへ行ってしまった。圧倒的演技力。
助けた犬がここほれワンワン的に財産を見つけ出し、少年はどんどん裕福になっていく。だけど悪い奴らがそれに目をつけ、犬が攫われてしまう。
助けに行った少年の前に悪い奴らが立ちふさがり、少年は大ピンチ。
物語の終盤、犬が少年を庇って死にかける。
『財産なんかより、君のほうが大事だ!』
舞台上で少年の声が響きわたった時、正直僕はちょっと泣きそうだった。
少年の祈りは神に届き、犬にかけられた呪いが解け、美しい青年の姿になり生涯少年を愛すると――ってBLじゃないか!
びっくりして涙も引っ込んじゃった。
だけど、よかったね。
モフモフをモフモフのまま愛でたい派閥からは反発を喰らいそうな内容だったけど、僕的には犬、無事でよかったね、だ。
そのあと王子とレストランへ行き、ドックショーを見学し、あそこにいるワンコたちよりも賢そうに振る舞えるだろうかと内心ドキドキし、帰りがけにポメをかたどったガラス細工を王子がプレゼントしてくれた。
なんていうか、思った以上にデートだった。護衛がいても、ライラが付いてきてくれていても。王子のエスコート完璧すぎない?
「うぐぐ、楽しい」
「楽しいのならなぜ唸るんだ」
王子は呆れてるけど、こっちは複雑なんだよ。
聖女は見つからないしさあ。
王子に対する恋心(仮)を前面に押し出して、ドン引きしてもらうっていう計画も、なんか途中から忘れていた。
もう、ただただ楽しんじゃった。
思えばまったく押してないまであるな。
今からでもやっておくか。たぶん、ハニートラップ的なアレをすればいいんだと思う。腕を絡ませて密着するとかだよね。
よし押せ、押しまくるんだ。王子がコイツうぜえと逃げ出すまで。
僕は自分に気合を入れた。
「キアノ、今日は、ありがとうございます」
お礼を言いつつ、僕は王子の指先をちょいっとつまんだ。これが精一杯。
いや、無理。はずかし!
十秒ももたず手を離してしまったけど、王子もそれきり黙り込んじゃったし、なんなら触れた時ちょっと身を固くしていたようにも思うし、効果があったと思いたい。
◇
次の週末、三年生が主催するお茶会に招かれた。集まったのは僕を含めて十八人。特にコイバナ好きの女子たちが多く参加しているみたいだった。
参加人数が多かったので、特別に食堂の一階を借りている。
そんなわけで、出入りを制限するわけにもいかず、招かれてない人も遠巻きにこちらをうかがってたりする。男子生徒も結構いるのはなんなのかな。
「殿下とデートに行ったそうですね」
主催の三年生の目がキラーンと輝き、周りの女子たちもくすくすと楽しそうである。
なるほど尋問会かな?
僕が「ふふっ」と笑って気になりますかと尋ねると、興奮した様子で各位目をキラキラさせた。この中に実は聖女がいたりするのかな。
――となれば、言うことはひとつである。
僕の目的は聖女をあぶりだすことなんだから。
「はい。大変楽しい時間を過ごしました」
恥じらいは演技をせずともにじみ出た。
女の子たちは小さな悲鳴を上げたり、うっとりとため息をついたり嬉しそうだ。男子生徒はじゃっかん、そわそわしてる。
居づらいならいなきゃいいと思うんだけどね。
それにしても興奮は伝わってきてもこう、『嫉妬!』みたいな雰囲気がかけらもないな。
僕はそれでもさりげなく周囲に目を走らせた。
聖女は基本塩対応なんだから、白けた雰囲気の子を探すべきか。
まず目に入ったのはマスケリーで、彼は大半の男子と同じように照れくさそうにしている。サンサールはグッドサインでいい笑顔だ。レアサーラは壁際で腕組みしてなにやら深く頷いている。クリスティラはパンケーキ食べながら船を漕いでるし。
端の方で慰め合ってる男子数名は「俺たちのノエムート様が!」とか言ってるから違うな。
え、ぜんぜんわからんよ。
反応してよ、聖女さん!
それともこの場にはいないのかな……。
わからないままお茶会は続く。
二人でどこを回ったのか、何を食べたのか、根掘り葉掘り聞かれて答えたりかわしたり、二時間ほどおしゃべりしただろうか。
結局、聖女は判明しなかった。
お茶会が終わるとどっと疲れが出たので、僕は癒しを求めて温室まで来た。
物言わぬ植物たちに慰められ、ほっとしていると、後ろから声がかかった。
「ずいぶん、楽しかったようだな。私も嬉しいよ」
いや、王子に届いてどうすんの!
そりゃ王子は嬉しいだろうね。もともと、仲のいいところを見せつけたいみたいなところがあるからなあ。
などと考えながら、僕は気合で微笑んだ。
「キアノ、どうしてこちらへ?」
今日は別に、誰にも行き先告げてない気がしたんだけどな……。
「君の姿が見えたから。――邪魔をしたか?」
「いえ、そんな」
王子の手がするりと伸びてくるのを見て、例によって口説かれると察した僕は慌てて話題を変えた。
「見てください、キアノ! こちらは以前キアノが描いてくださったサボテンではありませんか? 花が咲いています」
一抱えほどの鉢に丸っこいサボテンが収まっており、それが意外なほど大きな花をつけているのを先ほど見つけたのだ。擬人化するなら髪に真っ赤な花を飾ってるみたいで面白い。
「このように咲くんですね」
興味深いのは本当なので、僕は真っ赤な花をしげしげ見つめた。
「……覚えていてくれたんだな」
「もちろんです。いただいた絵は今でも寝室に飾ってありますよ」
「寮の?」
「はい」
「そうか、大事に取っておいてくれたんだな」
あれ、王子の反応がちょっと変だ。いつもなら恥ずかしいセリフの一つも言いそうなものなのに、視線が下を向いている。
「どうかしましたか?」
「いや、少しあの頃のことを思い出して……。君はスズランの花を描いて送ってくれたな。あれ以来、君はずいぶんとそっけなくなってしまったから」
そういや毒耐性をつけようと、寝込むようになったっけ。
僕はあいまい頷いた。
そして再び王子に目をやりギョッとした。
泣き出しそうに見えたのだ。彼は胸のあたりに手をやり、眉をギュッと寄せていた。
「あの時のことを思い出すと、今でも胸が苦しいよ。君は、全然会ってくれないし、具合が悪いとだけ聞かされてどれほど心配したことか」
うわ罪悪感!
常々まぶしすぎるほどの笑顔を浮かべていている王子が、そんな顔をするなんて。
させてるのが僕じゃなければ、新しいスチルかなって、楽しめたかもしれないけれど。
見ていられなくて僕は、両目をぎゅっとつぶった。
「す、すみません……」
そのくらいで王子が逃がしてくれるわけもなく、両頬を挟まれる感覚がして、僕はそろりと目を開けた。王子は子供みたいに口を尖らせていた。
「本当に寂しかったんだからな」
いや、ごめんて!
全部が全部わざとってわけじゃなかった。だけど、あのままフェードアウトして、婚約破棄にこぎつけられればなって狙いも確かにあったわけで。そこつつかれると僕としては少々弱い。
とはいえここで、押し負けるわけにもいかない。これからはそばにおります、みたいなことを言うわけにもいかないのだ。
ではこんな状態の王子をどう慰めればいいのか。今の僕に必要なのはそう、圧倒的な兄力である!
僕はそっと手を伸ばし、王子の頭を撫でた。
「もう大丈夫ですよ」
しまった、間違えたかも。
パチッと目を見開いたまま王子が固まっちゃった。
引っ込めようと思ったんだけど、王子の頭がそのままついてきた。これは……、このまま撫でろってことかな。
僕はいつも、撫でられる一方なのですごく変な感じだ。
くせ毛の遺伝子が強いトルシカ家と違って、王子のまっすぐな髪は少し硬くて、冷たく感じる。
不思議だな。
彼の琥珀色の髪をひと房手に取ったところで、はたと我に返り目線を上げると王子がじっとこちらを覗き込んでいた。微笑むでも怒るでもなく、きょとんとしたような無防備な顔が思ったよりもすぐそばにあって、もう一度しまったと思った。
王子ときたらすぐキスしようとするからな。この距離はマズい。
ところが、僕が退避する前に彼の手が僕の目を塞いだ。
「見るな」
言われたことの意味をすぐには理解できなくて、僕は少し考え、愕然とした。
王子、まさか、本当に泣いちゃったの!?
「……あの、僕外へ出ていましょうか」
「いや、いい。そこにいてくれ」
いいのかな。
王子が呼吸を整える音がはっきりと聞こえてしまって、ハラハラしちゃうよ。
それでも、さすがは王子、立て直すまでは早かった。
割とすぐ手は離れて言ったけど、念のため僕は目を閉じたままでいた。
「……もういいぞ」
まずは片目だけ開けてチラッと様子を見る。
すると王子は今度こそ笑みを浮かべていた。安心して僕もへらっと笑みを返した瞬間、王子の目つきが変わり笑みの形のまま強めの圧を放った。
「絶対に、他の者にはするなよ」
「もちろ――ん?」
言うなよ、じゃなくて?
首を傾げてしまった。
「するなよ?」
一言一言、強調するみたいに王子は言うけど、そんなふうにすごまれたって、人の頭を撫でるなんてことそうそうあるわけがない。だけど、――絶対ないとも言い切れないな。
「返事は!」
僕はニッコリして、明言を避けた。