6 薬草園へ行きたい
今日はザロン語の授業だ。
母の出身国だし、挨拶と簡単な単語くらいは知っている。これは有利ではと思ったのだけど、リャニスと少し話をして僕は反省した。
彼はもう、今日試験を申し込んでも合格しそうなレベルだったのだ。読み書きスラスラ。
「リャニスはいつの間にザロン語の勉強なんてしていたの?」
彼はきょとんとした。
「母上は熱が入るとザロン語をお使いになりますよね」
「あー、なるほど」
僕には母上が熱血指導したくなるほどのポテンシャルはない。遠い目をしかけたのだが、どうもそれだけでもないようだ。
「それに、わからない単語や発音ついては、快く教えてくださいますよ」
こういう日々の積み重ねが差を生むんだね。
現実から目をそむけたその時、教室の扉が開いた。
危うく悲鳴をあげるところだった。
颯爽と入室してきたのは、イレオスだったのだ。
彼は教壇の前で立ち止まり、さらりと銀髪を揺らして微笑んだ。
教室内がどよどよしているよ。
なんでも、ザロン語を受け持つ先生が腰痛でダウンしたらしく、今日から臨時でこの科目を受け持つことになったらしい。聞いてない、聞いてないよ!
ヤバい、なんにも頭に入ってこない。
発音するときの口元を見ていてくださいねって言われても、顔が良すぎて直視できないし、無駄にいい声で異国の言葉を口にすればASMRかなって感じ。
授業が終わるなり、突っ伏したくなるのを根性で堪えた。
「なんでイレオス様が……?」
なんか、すっごく疲れたんだけど。
「知らなかったんですか、ノエムート様。女の子たちが騒いでましたよ。あ」
何かを察した様子でレアサーラは口を閉ざす。
「なに!?」
「いえ、ノエムート様がイレオス様にキャッキャしているところを殿下がご覧になったらと、気を回したのでしょうね」
「キャッキャなんてしてませんが」
人が真面目に答えてるってのに、なんで肩をすくめるのかな。
リャニスまで変な顔をしてるじゃないか。
「してないからね!」
次の授業では、レポートが返って来た。
レアサーラの作った毛染めを手順から完成までレポートしたわけだけど……。
ギリギリ合格ラインだな、コレ。人を観察するのは難しい。でもポーション自体は品質が高いですねって褒められた。
どうやらレアサーラは逆で、毛染めの評価は低めだけど、レポートの点数は高い。バランスが取れてるね。
みんなそれぞれ、評価に一喜一憂したあとは、またポーション作りに挑戦する。二回目以降は、学校側で準備した材料を使ってもいいし、自分で用意してもいい。自由度が上がってますます楽しい。
そのほかにも、座学全般、剣術、ギフトやダンスの練習なんかもこなしつつ、結構忙しい日々を送っている。
◇
最近気になることがある。
「ツェビーとタルエから、おんなじ匂いがしない?」
なんとなくコソコソと、レアサーラに尋ねてみた。
二人は僕らのクラスメイトで、地味なタイプの男女なのだが、最近さりげなくいい香りを放っているのだ。
そばに行かないとわからない程度だけど。
「まあ!」
それに食いついたのはレアサーラではなく、マルーシャという名前の女の子だ。彼女は人の恋バナに目がないゆるふわな女の子なんだけど、内緒話の意味は?
「ノエムート様、お気づきではなかったのですね。あの二人、恋人同士なのです」
「そうなんだ」
え? 声大きくない?
からかうつもりはないけど、二人がやりづらくなるのではとそっと見回すと、タルエはニコリと笑って手を振ってくれたし、ツェビーも軽く頭を下げてくれたので大丈夫そう。つついちゃいけないことじゃなくてよかった。
だってほら、婚約じゃなくて恋人だからね、何か事情があるのかと勘繰っちゃうわけだよ。
僕の心配に気付いた風もなく、マルーシャは楽しそうに話をつづけた。
「それで、タルエはツェビー様に香水を差し上げたそうですよ」
キャーっと両頬を押さえてはしゃいでいる。
「香水」
ほへーと感心していると他の女子も会話に加わった。なんなら当のタルエも加わった。
「ノエムート様、ご興味がおありですか? よろしければノエムート様もお作りになりませんか?」
タルエが言うには、香水と言ってもポーションの一種らしい。相手のことを思って作るから相手を知ることにもつながるし、自分の好みをつたえることにもなる。それに調合も一筋縄ではいかなくて楽しいですよ、と。
次の授業で作るものが決まっていなければどうですかと大プッシュされてしまった。タルエは無口なイメージだったんだけど、語るねえ。恋が彼女を変えたのかな。
「あ、申し訳ありません、しゃべり過ぎました。わたくし香水にすっかりハマってしまって」
なるほど沼落ちか。仲間を求めてさまよっているのか。熱量がすごい。
「いやでも、僕には贈る相手もいないし」
断ろうとするとみんなが、会話に加わっていなかった男子まで、一斉に戸口を見た。え、なに、王子でも来たの!?
いや、いないな。
なんだよ、心臓に悪い。
「ノエムート様、ぜひ作りましょう! 香水って、日頃の感謝をお伝えするにもピッタリなんですよ」
「日頃の感謝……?」
「ええ!」
それは必要かもしれないな。
僕が考え込んだのを見て、タルエも神妙に頷いた。
「よろしければ我が家の薬草園へいらっしゃいませんか? 皆様もご一緒に」
「薬草園? 行きたい!」
香水にはそれほど興味はないけれど、薬草園は気になるお年頃なのだ。
「それはいいお考えですね。わたくしもぜひお邪魔させてください」
「わたくしも!」
みんなホッとしている。
これは女子がこぞって香水を作る流れかなと思ったら、さりげなくレアサーラが会話から抜けていた。恋バナ苦手かな。
まあ、クリスティラも誘いに乗らないだろうから、もともと女子全員でって話にもならない。そもそも僕、男だしな。
「薬草園ですか」
想定通り、リャニスが難色を示した。女子の集いってことで、今回はリャニスを連れて行くわけにもいかないしね。ライラは連れていくつもりだけど。
「大丈夫だよ。僕に考えがあるんだ」
ということで、僕はリャニスを連れて前庭へ向かった。
「兄上、お考えとは何ですか、何をなさるおつもりですか」
わあ、警戒しているね。
僕は毒耐性が弱いんだけど、そのことは一部の人間しか知らない。薬草園には強めの草もあるから、リャニスは心配してくれているわけである。
でも考えてみてほしい。僕はカード探しで散々草むらに手を突っ込んだ。なんなら顔も突っ込んだ。草かぶれくらい今さらである!
とか言ったら叱られそうなので、ここはひとつ真面目にリャニスを説得するよ。
「あったあった!」
花壇にはピンクや黄色のプリムラが咲き乱れていた。日本でも道路わきの植え込みなんかで見ることの多い花だ。ハート形の花びらが愛らしいのだが、実はこれ、人によっては手がかぶれるのだ。
「今から、アレに触ります」
するとリャニスはすばやく通せんぼをした。
「兄上、あの花は」
さすがだね、僕が触っちゃダメなもの把握しているね。
僕はにっこりして両手を肩のあたりでワキワキさせた。
「レアサーラが、毛染めを作ったときに面白いことをしていたんだよ」
ギフトで薄い膜を作り、ゴム手袋みたいに手を保護するってヤツ。
これね、水仕事にもいいんじゃないかと思って侍女たちと共有して盛り上がったんだよ。というわけで僕も習得済み。
「リャニス、手をこうしてあげてみて」
リャニスは顔に疑問符をつけながらも、言われた通りにしてくれた。素直!
僕はすかさずその手を握った。両手恋人つなぎみたいになっちゃったけど、リャニスなら、目には見えないギフトの流れを感じ取れるだろう。
「わかる?」
「あに、うえっ!」
「ん?」
静電気でも起きたかな。リャニスが振りほどこうとするので反射的にさらにキュッと握ってしまった。あ、違う、恥ずかしいのか。
遅まきながら気づいてそっと手を離す。
「ごめんごめん。触ったほうが早いかと思って。でもさ、こうして手を保護すれば……」
リャニスがとまどっているうちに、僕は花壇にずぼっしゅと手を突っ込んだ。これだけでも普段の僕なら手首まで真っ赤になっちゃう。
でもね、これだと平気なんだよ。
「ほらね! 触っても大丈夫」
リャニスは疑わし気に僕の手を見つめていたが、やがてため息をついた。
「しばらく様子を見ましょう」
時間差で症状が出ないかどうか見たいらしい。
夕食後に訪ねてもいいかと聞かれたのでもちろんイエス。自信あるよ。
そして無事、リャニスの了承を得たわけである。