◆ななさんと午後の終わりに
「本当に、良いのですか?」
そう問いかけたのは、メガネがきらりと凛々しい、レヴィアン様の側付きであるジルさんでした。
「ええ、もちろん」
そっと微笑む私を、ジルさんは心配そうに見つめます。あらあら、なんてことでしょう。私の回りにいる方たちは、みな、本当に優しい方たちばかりで、困ってしまいますね。
くすくす、と、笑いをこぼせば、ジルさんは、とても不思議そうに見返えしてこられます。ああ、首を少しばかりかしげられてるところが、たまりません。小首を傾げる、というほどはかしげてませんが、その仄かな角度が逆に、愛らしくみえてしまいます。あら、これがもしかして、萌え、というものなのでしょうか? 少しばかり違う気もしますけれど。
「いいえ、ごめんなさい。あなたで5人目よ」
詫びながら理由を告げると、驚いたようにジルさんは目を丸くしました。そう、同じように告げてきた人が、同じように問いかけてきた人が、すでに5人いるんですもの。ルゥにライに、そして、そばに居てくれる愛らしい侍女の子たちも、同じように問いかけてきてくれたのです。
その気持ちが嬉しくて、なんだかくすぐったいような気持ちにさせてくれるのです。ああ、みなさん、なんて優しいのでしょう。そして、なんて愛しいのでしょう。私は、幸せな気持ちで、そっと小さく微笑み続けるのでした。
本当にいいの?
紡ぎだされたその言葉は、それぞれ、丁寧であったりぶっきらぼうであったりと、表現こそは違っていましたが、その裏にある感情は、誰もかれも、どの言葉も、私を心配してのものばかりでした。そう、問いかけてきた人がみな、私を心配して、声をかけてくださったのです。それがわかるような言葉ばかりだったのですもの、それが嬉しくないわけなどありません。
族長という立場の人間の妻となることが相応しくない、とか、逆に落人だから妻になって当然、と、そう私に告げることも、そう思うことも、間違いなくできたでしょう。事実、先日聞いたお話の限りでは、そう考えられたとしてもおかしくない状況なのですから。
けれど、彼らはそうではありませんでした。
本当に、嫁いでいいのか、と、無理をしているのではないか、と、裏になんの陰りもなく、心配して問いかけてくれる彼らの存在は、私にとって何よりも嬉しくて愛しいものです。そう、彼らの存在は、レヴィアン様に嫁ぐと決めた私の心を「ああ、決めてよかった」とこの上なく穏やかに幸せな気持ちへと導いてくれました。
「――ありがとう。あなた達がいるから、私はここに嫁ぎたいと思えるのよ」
そっと告げた言葉に、ジルさんは少し照れたのか目を伏せると、ゆるりと破顔してくれました。
真面目な方がふと漏らすやわらかな笑みの、なんと素敵なことでしょう。そして、穏やかで優しい人々に囲まれたこの場所の、なんと愛しいことでしょう。
私は、ここで生きていくのです。ここで、私のままに、愛しくも優しい人々に囲まれながら。そう、一人じゃないと思わせてくれる、いつも優しい気持ちがあふれている、だからこそ、私はこの場所がなによりも愛しいのです。そして、この愛しい場所にいられることを、何よりも嬉しいと思っているのでした。
あの時。
お勉強の中で、ジルさんにお話を聞いてから、落人の存在の意義を、その理由を、ずっと考えていました。
落人に彼らが、特にその長などの立場にある人ほど惹かれる傾向にあるのは、もしかすると本能で、その血を求めてのことかもしれない、と。
落人との間に子がほしい、そう願う彼らは、もしかすると彼らの中の遺伝子が、無意識に私たち落人を求めさせているのかもしれない、と。
けれど、だからなんだというのでしょう。
彼らはどんな理由であろうとも、確かに、私に対し好意を持ってくれています。そして、間違いなく、「落人として」だけではなく「私」という存在をみてくれている。落人だから惹かれるのかもしれない。けれど、ちゃんと「私」を見つめてくれていると思えたからこそ、私は頷くことができたのです。
「落人だから」だけであったならば、きっと私は頷かなかったでしょう。頷くことはなく、笑って受け流していたでしょう。
この世界に、この国に、この場所に落ちてきて、私はここで、長いとはいえませんが短いともいえない時間を過ごしてきました。
その中で、レヴィアン様に、ルゥやライに、そしてジルさんに、他の侍女さんたちに、出会い語らった中で得た温かい気持ちは、間違いなく「私」に向けられた本当の、真っ直ぐな、そして、愛しいほど優しいものでした。
それは、「落人」だから与えられるものではなく、「私」に向けられるもの、そう信じられたのです。
信じられたからこそ、私は、レヴィアン様に嫁ぐことを決意し、ここで生きると、自信を持っていえるのです。
――ですが。
「……これは、若い娘さんたちには、微妙に複雑な問題、かもしれませんね」
ひとり、部屋の中。窓の外を眺めながら思案していた私の唇から、ぽつん、と言葉がこぼれ落ちます。
若い娘さんたちに「番に!」などという人がいなければ良いのですが。そんな、デリカシーのないセリフをいう方など、いらっしゃらないとは思いはするものの、不安は残ってしまうものです。ふう、と、思わず漏れるため息は、思ったより深いものになってしまいました。
おそらく、ただ「落人だから」と求めるひとは、ほとんど居ないでしょう。本当に欲しい、と、願う相手でなければ、そう求めることはどうやらこの世界では少ないようであると、ジルさんと話していて思いました。
しかし、そう、言葉が足りない方がいるかも知れません。ちゃんと、言葉のニュアンスや、複雑な心を、伝えることが出来ればいいのですが。
どこまでいっても、私たちは落人なのです。受け入れられても、優しくされても、その事実を理解してもらえなければ、おそらく、その心の奥の寂しさは消えないでしょう。
ふう、とため息を漏らせば、ゆらりと部屋の空気が揺れたのでした。