(三)保留
◆ (七)第二関門
森が少しずつ薄くなった。
木の間から、煙が見えた。
次に、柵。
木を組んだ簡素な外柵。
その内側に、低い建物が並んでいる。
町だ。
理人は足を止めそうになった。
異世界の町。
そう思う余裕は、すぐに消えた。
門の前には人がいる。
槍を持っている。
荷車を確認している。
つまり、検問がある。
身分証なし。
言葉不明。
同行者からも信用なし。
「ここが第二関門か」
理人は小さく言った。
荷運び隊の年長の男が門番と話す。
当然、理人の方を指す。
門番の目が細くなる。
理人はまた両手を少し上げた。
今日、何度目か分からない。
リナが何かを説明している。
犬。
荷役獣。
森。
水。
麻袋。
理人には単語は分からない。
だが、リナが自分を即座に危険人物として扱っていないことだけは分かった。
それでも、門番の警戒は解けない。
当然だ。
理人でも、同じ立場ならそうする。
やがて、年長の男が理人を指し、町の奥ではなく、外側に近い大きな建物を指した。
倉庫。
あるいは厩舎。
理人は、そこに連れて行かれることになった。
町の中心ではない。
人家でもない。
神殿でもない。
まずは倉庫。
それは、彼らなりの妥協だった。
◆ (八)倉庫兼厩舎
連れて行かれたのは、町外れの大きな建物だった。
半分は倉庫。
半分は厩舎。
干し草の匂い。
動物の体温。
革紐。
油。
湿った木箱。
積まれた袋。
理人は、入口で足を止めた。
袋が多い。
穀物か。
飼料か。
薬草か。
中身は分からない。
だが、数はある。
列になっている。
高さが違う。
崩れかけている場所もある。
新しい袋と古い袋が混ざっている。
理人は、無意識に数えそうになって、やめた。
今はまだ早い。
信用がない。
正しいことを言っても、聞かれない。
まずは、ここで生きることだ。
リナが木の椀に何かを入れて持ってきた。
薄い粥のようなものだった。
匂いは悪くない。
理人は両手で受け取り、頭を下げた。
「ありがとう」
リナは、少し困った顔をした。
たぶん、言葉の意味は分かっていない。
それでも、悪い反応ではなかった。
年長の男が、理人に箒を渡した。
次に、床を指す。
掃け。
たぶん、そういう意味だ。
理人は箒を受け取った。
「労働対価、了解」
通じない。
だが、理人はうなずいた。
箒で床を掃く。
男たちは見ている。
門番ほどではないが、まだ警戒している。
リナも見ている。
理人は丁寧に掃いた。
早くやりすぎない。
遅すぎない。
勝手に奥へ行かない。
荷物に触らない。
動物に近づきすぎない。
倉庫の仕事というより、信用の検査だった。
◆ (九)対応表の一行目
夕方になった。
理人は倉庫の隅に座っていた。
与えられたのは、薄い毛布一枚。
寝床は藁の上。
悪くない。
少なくとも、森で夜を迎えるよりはずっといい。
リナが近づいてきた。
手には木の椀がある。
水だった。
リナは椀を指した。
「ミア」
理人は椀を見る。
水。
たぶん、水を意味する言葉。
理人は自分の喉を指した。
「水」
次に椀を指す。
「ミア?」
リナはうなずいた。
「ミア」
理人は繰り返す。
「ミア」
発音が違ったのか、リナが少しだけ首を傾げた。
もう一度、ゆっくり言う。
「ミア」
理人も繰り返す。
「ミア」
今度は、リナが小さくうなずいた。
理人は、床の埃に指で短い線を引こうとして、やめた。
さっき森で考えたことを思い出す。
知らない世界で、いきなり地面に図形を描くのは危ない。
代わりに、胸に手を当てて覚える。
ミア。
水。
いや、正確にはまだ分からない。
飲み水かもしれない。
椀かもしれない。
渡すという意味かもしれない。
喉が渇いたという意味かもしれない。
対応表の一行目。
ミア。
対象、水らしきもの。
確度、低。
理人は自分の頭の中に、そう記録した。
リナは、理人が何を考えているのか分かっていない。
ただ、彼が真剣に音を覚えようとしていることだけは分かったらしい。
「リト」
リナが言った。
理人は自分を指した。
「リヒト」
リナは少し苦戦した。
「リ……ヒト」
「そう」
伝わらないと分かっていても、理人は少し笑った。
「山科理人。リヒト」
リナはうなずいた。
「リヒト」
その発音は、まだ少し違っていた。
だが、十分だった。
◆ (十)保留
夜になった。
倉庫の入口には、男が一人座っている。
見張りだ。
理人は藁の上に座り、薄い毛布を膝にかけた。
逃げる気はない。
逃げても行く場所がない。
それに、ここには水がある。
食べ物がある。
屋根がある。
そして、少なくとも一人、自分を即座に危険だと決めつけなかった少女がいる。
理人は、倉庫の奥に積まれた袋を見た。
数えたくなる。
だが、今はまだ数えない。
信用がない。
信用がない数字は、ただの異物だ。
まずは、ここにいていい理由を作ること。
掃く。
運ぶ。
待つ。
覚える。
理人は目を閉じた。
この世界で最初に得たものは、ステータスではなかった。
スキルでもなかった。
女神の祝福でもなかった。
信用ですらない。
槍は下がりきっていない。
見張りはまだ入口にいる。
リナも、彼を信じたわけではない。
ただ、殺されなかった。
追い出されなかった。
水をもらった。
粥をもらった。
箒を渡された。
つまり、役に立てということだ。
保留。
この世界が山科理人に与えた最初の待遇は、それだった。
それでも、今の彼には十分だった。
◆ (十一)ログ
観測点:増加
局所反応:不安定
判定:
接続未満。
断絶未満。
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※ネタバレ範囲にご注意ください。
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