第十五話
街道の観察を始めてから早くも六日が経った。
ひとまず、街道を見下ろす雑木林の斜面に拠点を固めることにした。ここは風下で、また水場が近く、背後は人間の足では登れない岩場になっている。万が一の際も逃げ込める、好条件の場所だ。
六日間、ひたすらに街道を通る人間の観察を続けた。
わかったことを整理する。
隊商は必ず護衛を連れている。数はおおよそ荷馬車一台につき二人。
人通りは昼に集中し、夕方から朝にかけてはほとんど通ることがない。
そして、単独で歩く人間は思っていたよりも多い。荷を背負った行商人や旅装の男、酒の匂いを漂わせながら歩く帰り道の、おそらく農夫と思われる男だったりがいた。
そして、道を使わない人間もいる。
街道から外れた森の際を、何かを確かめながら回る男がいた。男には獣の血と皮の脂の匂いが染みついていたことから、最初は狩人かと疑ったが、おそらく違う。あの男は、多くの人間の匂いがする方角を、常に避けて動いているのがわかった。おまけに単独行動しかしていない。他の人間の香りがしないのだ。
人間に見られたくない狩人となると、高い確率であれは密猟者、というやつだろう。
好都合である。
狩りを始める前に、決めておくことがあった。
ルールだ。
この餌場は、うまくやれば何年でも使うことができるかもしれない。だが、下手を打てば一度で終わってしまう。
人間は、仲間が消えれば何かしらの対応をしてくるはずだ。この世界の人間がどれだけ行方不明という事象に敏感なのかにもよるが、この近郊で人間が消え、探しても見つからなければ、いずれ情報として広まるだろう。行方不明者多発地帯として。何か得体のしれないものが、ここにいると辿り着く。もし俺という存在を把握すれば、彼らは群れで来るか、封鎖すると思われる。あの三人が消えた後、森を訪れる人間がぱったりと絶えたのも、あの三人の行方不明情報が共有されたからだと考えている。街道の場合、まさか使わないわけにもいかないので、俺と言う存在が露見した場合、大規模な討伐隊が組まれることになると考えていた。
だから、自分に課す。
一つ。狩るのは、単独の人間だけ。
二つ。痕跡を残さない。肉も、骨も、血の染みた土も、装備も。
三つ。同じ場所で、二度は狩らない。少なくとも短期間では。
四つ。狩りは、可能な限り雨の日に行う。
我ながら、行儀のいい捕食者だと思う。
これは漁だ。漁も、ルールを守らないと最終的にはこちらが破滅する。俺は、この川とは長く付き合っていきたい。
七日目に、雨が来た。
密猟者と思われる男は、雨でも変わらず動いていた。むしろ、雨の日を選んで動いていたのかもしれない。人目が絶えるからだろう。
考えることは同じらしい。
男の巡回路は、三日でわかっていた。九つの罠を決まった順に回っていく。三つ目と四つ目の罠の間に、深い茂みの窪地があり、風はいつも窪地から街道の方へ抜ける。つまり、あの窪地において、男は常に風上に立つ。
狩りでは、決まった道を歩く者から、死んでいく。
あのイノシシがそうだった。
夜明け前から、窪地の茂みに伏せていた。
男は、いつもの時間通りに、いつもの場所に来た。
蓑をかぶり、俯いて、三つ目の罠から四つ目へ。窪地に降り、俺の前を通り過ぎようとする。
その半歩前に、終わっていた。
首を一噛み。
悲鳴はなかった。蓑が地面に落ちる音だけがした。
人間の身体はあっけなかった。この世界の人間は強い、と俺はずっと思ってきた。だがそれは、おそらくは訓練された人間の話だ。
ただの人間は、ただの餌でしかなかった。
(いただきます)
四人目の人間は、これまでと同じように、うまかった。
装備していた革、血の混じった泥、鉄の罠と小刀、蓑は窪地の土の深くへ埋めた。
食い終わる頃、断片が降ってきた。
——雨の森。かじかんだ指が、針金の輪を木の根に固定していく感触。
——囲炉裏の火。安酒の匂い。誰かを罵る、何度も繰り返された言葉。意味はわからない。粘つく恨みの感情だけが、貼り付いている。
——最期の思考。
それは、恐怖ですらなかった。今朝仕掛け直した五つ目の罠に、何が掛かっているか。それだけだった。
……こいつも、飯のことを考えながら死んだのか。
妙な気分だった。この男と俺の間に、大した差はないのかもしれない。違いがあるとするならば、どちらが捕食者に回ったか、それだけだ。
それと、俺の指は今、針金の輪の結び方を知っている気がする。
獣の身体で何に使うと言うんだ。
雨は、夜まで止まなかった。
次の獲物の当てが、すぐにあるわけではない。単独の人間が森際に転がっている偶然など、そう続くものではないだろう。当分は鹿で腹を繋ぐことになるか——そう考えていた矢先だった。
風上から、匂いがする。
何日も洗っていない男たちの匂い。安酒。鉄錆。血の、古い染み。それが、まとめて十いくつ。
街道から離れた丘の陰に、人間の群れが住み着いている。
堅気の匂いでは、なかった。




