第11話 レンズ越しの残像、あるいは春の整理術
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春休みも残り一週間を切った。
佐野悠希は、自室の机でノートパソコンに向かっていた。画面の青白い光が、少しだけ度が進んだ眼鏡の奥の瞳を照らしている。
現在時刻は、午前4時12分。
前日の20時に寝た、という歴史的な早寝により、とんでもなく、朝早い時間に目が覚めてしまった。しかも目は起きたときにバッチリと覚めてしまった。
これからもう一度寝ても良いのだが、せっかくの春休みにそれは、ちょっと勿体無いというなぞ感情により、写真整理をすることにした。
「……よし。まずは広見公園から」
カチカチとマウスを動かし、デジタルカメラとスマホから吸い上げたデータを整理していく。悠希にとって、旅は歩き終えて終わりではない。撮りためた写真を日付ごとに仕分け、自分なりの「注釈」をつけるまでが、独旅の儀式だった。
最初のフォルダを開く。
広見公園の急な階段。明治時代の製紙機械の、錆びついた鉄の重なり。
(……この角度、もう少し機械の『心臓部』に寄りたかったな、あと2.3枚とっておきたかった。)
独りごちて、構図の甘さを反省する。
次に開いたのは、富士川楽座からの風景だ。
これは、雁堤や冨士川の昔の姿に想いを馳せるために、出掛けたときの写真達だ。
富士川橋のトラス越しに見える、圧倒的な白さを湛えた富士山。その巨大さに、改めて息を呑む。写真で見返しても、あの時感じた「重機なしでこれを作ったのか」という戦慄が蘇ってくるようだった。
そして、最後に残ったフォルダ。
吉原商店街のアーケードを抜け、原田公園で撮った数枚。
「…………」
マウスの手が止まる。
画面に映し出されたのは、ベンチに置かれた二つのコンビニ袋と、食べかけのコロッケ。そして、その向こうで「美味しいね!」と言わんばかりに笑い、Vサインを作っている渡辺結衣の姿だ。
彼女はいつも、僕のカメラのフレームに断りもなく入り込んでくる。
風景だけを切り取りたかったはずなのに、彼女が映り込むと、そこだけ急に「温度」のようなものが宿る気がした。
(……この写真、ちょっとだけピンボケしてるな。アイツ、動きすぎなんだよ)
ぶつぶつと文句を言いながらも、悠希はその写真を「削除」のゴミ箱に入れることはしなかった。代わりに、新しいフォルダを作成する。
フォルダ名:『春休み・富士川〜吉原』。
キーボードを叩く指が少しだけ止まり、悠希は右手の指先で眼鏡のブリッジを「くいっ」と押し上げた。
あの日、商店街のショーウィンドウの前で、彼女と全く同じタイミングでやった動作。
(……あれは、真似されただけだ。絶対 ふw)
自分に言い聞かせ、データの転送を完了させる。
パソコンのファンが静かに回り、部屋には再び静寂が訪れた。
(誰かと行く旅もなかなか楽しかったな。)
パソコンから少し目を離し、時計を確認する。
現在時刻は、5時56分。空は、少しずつ明るくなっていった。
窓の外を見れば、街灯の下で近所の桜が、朝の静かな冷たい風に揺れている。
「……さて。次は、どの地図を広げることになるかな」
悠希はパソコンを閉じ、大きく背伸びをした。
僕は、まだ家族が眠っている午前六時に家を出た。目指すのは、徒歩十五分ほどの距離にある近所の緑地公園。
大きな旅もいいけれど、今日、写真 (旅の記録整理)を終えて、自分の生活圏にある「春」を最後にもう一度、丁寧にアーカイブしておきたく思った。
首からは、少し重みのある一眼レフ。ポケットには、メモ代わりのスマホ。そして、いざという時のためのコンパクトデジカメ。
重装備すぎるかもしれないが、これが僕にとっての正装だ。
坂を下り、坂を下り、坂を下る。たったの数百メートルほどの道のりだ。しかし、この街はとにかく坂が多い。心臓破りの坂と呼ばれる恐ろしいものがあるほどだ。だから、たったの数百メートル行くだけでも修行のようなものだ。
夏に、この道を歩くことを想像すると少し、気が遠くなる。だが、佐野悠希、小学生時代はこんな道をすんごく重いランドセルを背負い、毎日のように通学していたと思うと、自分でもすごいと思う。
公園に足を踏み入れると、ひんやりとした朝の空気が肺を満たした。
まず目に飛び込んできたのは、点在する鮮やかなタンポポの黄色だ。
(……まだ、露がついてるな)
僕は迷わず地面に膝をつき、一眼レフを構えた。ファインダー越しに覗く世界は、肉眼よりもずっと濃密だ。
その時、僕の視界を横切る小さな影があった。
「あ……」
黄色い翅のモンキチョウと、真っ白なモンシロチョウ。
二匹は競い合うように、ダンスをしながらタンポポの周りを舞っている。僕は息を止め、シャッターを切り続けた。
カシャ、カシャ。
「……悠希くん~ 朝から熱心だね~」
不意に、横から聞き慣れた声がした。
ファインダーから目を離すと、そこには薄手のウィンドブレーカーを着た渡辺結衣が立っていた。
「……おぉ。びっくりした。なんで、ここに」
「散歩だよ、散歩。春休み最後の一週間だし、朝の空気を吸っておこうかなって。悠希くんこそ、また『独旅』?」
「……これは、近所の散策。……偶然だな」
「うん、偶然だね!」
彼女はそう言って、僕の隣でしゃがみ込んだ。
驚くことに、彼女は僕が撮ろうとしていた蝶を驚かせることなく、ただ静かに見守っている。その距離感が、今は不思議と嫌じゃなかった。
「桜、綺麗だね~」
彼女は、そう言い。スマホをそっと桜の花へと向けて、一枚、また一枚と写真を撮っていた。
僕も、それに被せるようにカメラやスマホで桜の写真を一枚一枚、丁寧にとった。構図を変えてみたり、別のところに焦点を当ててみたり、階段から撮ってみたり、ベンチから撮ってみたり。
少しフラッと来てしまった。写真を撮るときに、息を止める癖で、軽く酸欠みたいになってしまったようだ。
「大丈夫?」そう彼女は、声をかけてきた。
「うん。一応ね」そう僕は、少し曖昧に返した。
「じゃあ行く?」
と彼女に促されるまま、僕たちは公園の奥へと歩き出した。
そこには、空を埋め尽くすようなソメイヨシノの並木が広がっていた。
朝の光に透ける花びらは、淡いピンク色というより、どこか発光しているような純白に近い。
(……きれいだな)
僕は一眼レフを向け、次にスマホを取り出して、動画でその広がりを記録した。
結衣は、そんな僕の横で「ええね〜」と、どっかのおばあちゃんみたいな感嘆を漏らしている。
「ねえ、悠希くん。蝶々、あっちにも行ったよ」
彼女が指差す先、桜の枝の間を、さっきのモンシロチョウがひらひらと昇っていく。
僕たちはどちらからともなく、その小さな命を追うように歩き始めた。
一人で歩くいつもの散策。けれど、隣に誰かがいて、同じ「春」を指差す。
その行為が、僕の記録に新しいレイヤーを重ねていく。
「……あと一週間か」
ふと、口から漏れた。
「え、何が?」と結衣が聞き返す。
「春休み。長いと思ってたけど、終わってみれば一瞬だった気がする。でもまだあと一週間もある。結構なにしようか悩む。」
「そうだね。私も。 なにもせずボケッと春風のなかで、してるのもありかもね。二年生になったら、もっと遠くまで行けるようになるかもよ?」
結衣は、桜の木の下でくるりと振り返った。
ちょうど逆光で彼女の表情はよく見えなかったけれど、その声は春風に乗って、真っ直ぐに僕の胸に届いた。
一時間ほどの散策を終え、僕たちは公園の出口へ向かった。
スマホの歩数計はまだ二千歩程度。けれど、カメラのメモリーカードには、何十枚分もの「春」が蓄積されている。
「じゃあ、また学校で。……あ、二年生になっても、よろしくね~!」
結衣は軽く手を振って、自分の家の方へと駆けていった。
一人残された道。僕は、首に下げた一眼レフのプレビューボタンを押した。
そこには、満開の桜と、その間を飛ぶ白い蝶。
そして、端の方に偶然映り込んだ、少しだけ跳ねた彼女の髪。
「(……ピント、合ってないな)」
僕は眼鏡を「くいっ」と押し上げ、少しだけ口角を上げた。
一週間後の、新しい教室。新しいクラス。新しい仲間、先生、景色。
そこへ向かうための助走は、もう十分に終わっている。
佐野悠希の「とある春の1日」。
春の陽光が、昨日よりも少しだけ暖かく、背中を押し始めていた。
(いや~ 桜綺麗だった。春って良いね。花粉症勢には、試練だと思うけども。朝早く起きたからか、ちょっとやっぱ眠たいな)
(どうすっかな。ボケッ~と春風にさらされて日向ぼっこでもしようかな。)
のんびり、のんびり坂を上っていく。一歩一歩。
「自分だけの景色」を探して、自分の居場所を探して。
何てことない、日常から、新たな旅が、新たな物語がなんだか、始まる気がする。
物語の行く末は、誰を知らない。春風に押されながら、自分の足で、体で作り上げていくからだ。
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