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その21

鮎川儷の教室に着くと、施錠された自分用のロッカーからパソコン機器を取り出して入り組んだ配線を繋げ始めた。注意深く観察してみたものの、鮮やかな手捌きに感嘆が漏れるだけで仕組みはまったく理解できない。

 鮎川儷からセロファンに収納された新しいシャツとタオルをもらった。

「端末を貸してください」

 素直に自分のスマホを預けると、理闘は足早にトイレまで移動した。

 トイレの水道で髪についた卵を洗い流す。男物の服はサイズが大きいので裾を引っ張って胴回りできちく結んでおく。脱いだ服をビニル袋にまとめた。服についた卵の汚れは洗えば落ちるだろうか……。袋をぶんぶん振り回しながら教室に戻ると、鮎川儷がエリート社畜のような指さばきでデータを整理している。

 鮎川儷は学年主席になるほどの頭脳を誇るのだとファンが言っていた。何をどう機械処理しているのかは判然としないが、あながち過大評価ではないのかもしれない。

 タオルドライで髪をぱたぱた叩いていると、画面の中で数字やアルファベットが流れていき、やがてぴたりと停止した。やがてカウントするようにゆっくり数字が上下する。ニュースで見かける株価の値動きのようだった。

 理闘は恐る恐る画面を覗き込んだ。

「高いんだから壊さないでよ」

「わかりました」

「あんたのスマホを使えばいいじゃない」

「壊れたら嫌です」

「ぶっ飛ばすわよ」

 言いながら鮎川儷の後頭部に平手を見舞った。

「ビーさんはSNSをやっています」

「やってるってほどじゃないわよ。連絡や宣伝で使うだけだし、赤の他人とはやりとりしないしね」

「ビーさんはSNSを使用する際に利用規約を読んでいません」

 理闘はうっと言葉に詰まった。

 法律めいた堅苦しい文章で注意事項が並べられても頭に入ってこないし、読んでも読まなくても理解できないのだから同じだ。アプリの利用者が大勢いるということは危険性が少ない裏付けになると考えて、事務的にイエスの許諾ボタンを押している。

 鮎川儷がしゅっと右手を挙げる。

「ぶ。この画像に関係する数字は何ですか」

「それはあんたがボリなんとかに連れ去られたトラックのナンバーよ」

「わかりました」

「そういえば立て替えたコンビニ代とタクシー代もらってない。利子つけとくから。ああ、このシャツとタオルは洗って返すわね。言っておくけどお金は払わないわよ」

 鮎川儷が無表情でじっと理闘を見据えてくる。

「僕は追い剥ぎに遭いました。麗しくも清らかな肉体に合わせた特別注文のジャケットを山賊に奪われました」

「誰が山賊よ! 言ってくれるじゃない。ははーん、だから相殺しろって? 甘いわね。それはそれ。これはこれよ。第一あのくっさい上着を捨てなきゃ、あんたの細胞まで浸み込んでたわよ? 感謝してよね。ああくっさいくっさい」

「山賊は鬼の顔をしています」

 理闘が鼻をつまんで挑発すると、鮎川儷が神妙な顔を伏せた。

「鬼の顔はふたつあります。泣いた赤鬼と笑う青鬼です。鬼には角があります。鬼には牙があります。鬼には爪があります。鬼は魂を弄びます」

「誰が鬼ばばあよ!」

「照会しました」

 鮎川儷が抑揚のない声で淡々と説明を続ける。

 ナンバー登録されたトラックは【シャンラングループ】という企業が所有していた。

 会社名で検索をかけると、食品製造・加工・卸し・小売りなどを中心として、財務状況も右肩あがりだという。あまり馴染みのない名前だ。

 理闘がふむと考える。

「この会社がボリ何とかと繋がってるのかしらね。学園に食品を卸してるとか?」

「学園との契約履歴は見つかりません。トラックのドライブレコーダーにGPSがついていました。追える範囲まで遡ります。あぬててを送った電波の発信元を追います。ぶ。ふたつが交差する箇所が出ました」

「手掛かりがあったのね。行くわよ!」

 水滴を吸い込んだタオルを肩にかけ、理闘はさっそうとスマホを奪い返した。おかしな改造をされていないか確かめたかったが方法がわからないので諦めた。

 鮎川儷がロッカーを片付けたあと念入りに長い髪をとかしている。いつまでやってるのかと苛々しながら靴底で床を踏んでいると、鮎川儷が右耳に髪をかけた。

「どうですか」

「そんなことしてる場合? 今も一分前も一時間前も大した違いはないわよ。さっさと行きましょう。ああそうだ。渡しておく」

 理闘はスカートのポケットに隠しておいた飛び出しナイフを鮎川儷の手に収めた。

「これはお守り替わりよ。あんたは非力だから絶対に戦わないで。勇敢な英雄になろうとか馬鹿なことを考えずに、どうしても逃げられないピンチに陥ったらそれを使いなさい。何なら自害に使ってもいいわよ」

「わかりました」

 学園前で捕まえたタクシーで移動する。鮎川儷が割り出した場所は裏路地だからか人影が少ない。目立つ八階建てヴィンテージマンションは外界を遮断するようにぐるりと壁に囲まれていて、剪定された庭木の緑が上品だった。

 街灯の下で住所と現在位置をスマホで照らし合わせる。

「まずいわね。充電なくなってきた」

「あれが怪しいです」

 鮎川儷が指差した表通り側のビルはどこが入口なのか明確ではなく、堅牢な要塞のようで、看板もなければ電飾もない。その時、覚えのある声が路上に響いた。

「レイ!」

 ぎくりとして、振り返りざま俊敏に身構える。声の主は須藤しえあだった。昼。放課後。今。この短時間で三度も遭遇するなんて偶然にしては笑えない。

 尾行されている? いつから?

 理闘は神経を尖らせて一挙手一投足に注意を払った。紅白でまとめたミニスカニーソ姿にツインテール、先ほどより少しメイクが濃いだけで変化はない。

 しえあは両手で口元を押さえて大仰に感動している。

「これってこれって本気で運命じゃないかな。待ち合わせしてないのにすっごーい」

「……あなた、待ち伏せてるの?」

 理闘が鋭い目で睨みつけながら直球をぶつけると、一瞬だけ間の抜けた顔で呆然としたしえあが両手首を左右に振って否定を示す。

「やだやだ、違うヨ! ストーカーじゃないってば! わたしは主催のオンラインクラブ活動に出てたんだヨ。この近くで集まってるだけ」

 しえあの顔色から真偽をつきとめるのは難しかった。嘘をついていない声音だが、もしも工作員としての教育を受けているのなら、些末なことで馬脚を露すわけがない。

 それにしても三度目だ。

 一日三度も顔を合わせる偶然が起きるだろうか。

「須藤さんはこの辺に詳しい?」

「もちろん! レイのためなら一緒に探すし、探し当ててみせる。あのねあのね、わたしはストーカーじゃないヨ? わたしのこと信じてくれる? 疑ってない? 迷惑行為でブラックリストに入れられない?」

「いいえ」

 理闘はきっぱり否定してから小声で耳打ちした。

「むしろ役立つ情報には報酬を払うわ。お金ではなく画像で。探してる場所は……あなたと鮎川儷が乗せらせたトラックが、ええと、ナンバーを撮ってて」

 アプリをタップしてトラックの画像を拡大すると、しえあがごくりと息をのんだ。

「これって……」

 わなわなと声が震えている。

「これってこれって、見切れてるけどわたしとレイのツーショットじゃん!」

「どこが?」

 画像の端には薄汚れたふたりの肩や肘の部分が僅かに写っていた。顔の写っていない画像をツーショットと呼ぶには強引すぎる。

「すごいすごい。初ツーショットだ! んー可愛い。レイは肘だけでも可愛いなア。ねえねえ、これ欲しいな。送って送って。何でもするからア」

「マニアックすぎない? これは拉致未遂を通報するための証拠だけど」

「もう警察には届けた?」

「ええ、さっき」

 理闘はしれっと嘘をついた。本当はSNSに届いた救助信号がファンのものだと確定してから通報する予定だ。

 しえあが画像の着信を確認して満面の笑みを浮かべる。一瞬だけ真顔になった。覚悟を決めた意思の強い顔を持ち上げ、鮎川儷の両手をがっしり握る。

「わたしを信じてついてきて。たぶん目的地がわかる。案内するヨ」

「ほ」

「最短距離で連れていく。そのために今日わたしはここにいる運命なんだと思う」

 鮎川儷は黙然と見下ろすだけで返事はしなかった。

 ほうと理闘は息をついた。偶像に入れあげて騒ぐだけだと思っていたが――その声は凛々しく、叡智に富んだ面持ちは彼女に信頼の芽を期待させた。

 鮎川儷の疑念通り何らかの罠かもしれない。だとしても、予め警戒しておけば問題はない。標的が理闘ではないので、欲張らず防戦に徹すれば被害は最小限で済む。

 須藤しえあの奇行を思い出す。鮎川儷の髪や爪を採取したり、手首や指の太さまで測っていた。天下の往来にも関わらずボトムまで下げようとしていた。

 もう一度、須藤しえあの耳元に餌を放り込んでおく。

「すべてがうまくいったら腰回りのサイズを測らせてあげるわ」

「えっえっ、まさか!」

「あの男の」

 だから頼んだわよ、という意思表示を込めて須藤しえあの背中をバンと叩くと、意外にも鍛えたアスリートのような背筋をしていた。

 マンションの脇に建てられた巨大な貯水塔に案内され、須藤しえあはカードキーを縦リーダーに通した。ピと電子音が反応して扉が小さくスライドする。

 貯水塔を模した小型のエレベータらしい。

 一人ずつ身を縮めて乗り込むと、天井が低く、三畳に満たない狭さに圧迫感と息苦しさを覚えた。起動する。不安定な重力で足元がぐらつく。音がなく、上下のどちらに移動しているのか体感ではわからない。数秒で停止する。須藤しえあが濃い藍色の腕時計を確認した。一目でわかる高級品だった。盤面が大きいので男性用かもしれない。

 値踏みする理闘の視線に気づいたしえあが曖昧に笑う。

「これねこれね、男性用をつけると手首が華奢に見える効果があるんだヨ。レイは腕時計をつけない信条かなア。今まで見たことないもん」

 さすがにファンは詳しい。

 エレベータが開く気配がないので手動ボタンを探したが壁には見当たらなかった。

「あら……?」

「焦らない焦らない。ここら一帯の建物は独立してるように作られているけど、実は通路で繋がってて、部屋という部屋が絶えず歯車式で動いてるから、内部で移動する際には時間を合わせないとダメなの。例えばこう」

 しえあが手刀を作り、横に滑らせながらゆっくりと回転させる。

「例えば……この親指が扉だとして。六時から三時に移動するまでの時間と角度で移動できる部屋が限定される仕組みになってて、もし警察が乗り込んできても建物の奥を捜索できないようになってる。利用者も全体像は把握できない規約で」

「随分とお金をかけた複雑な構造ね。ここって秘密組織か何か?」

「表向きの看板は遊び場だったり一般住居だったり法人施設になってるヨ。わたしの知る限り、闇カジノや闇オクもあるし、闇医者での整形や堕胎や治験もあるし、マネロンも盛んにやってる」

 理闘はきゅっと眉根を寄せた。須藤しえあが非合法組織に関与しているのは明らかで、

いつでも戦闘開始できるよう無意識に拳を握ってしまう。

「あなた何者なの?」

「須藤しえあ。レイのファンだヨ!」

「ただの高校生とは思えないわ」

「わたし、高校生じゃないもん。美少年美少女マニアだもん。世界中から美形の資料を集めるのが使命だもん。だからレイの握手会にも行ったんだア」

「は。明峰学園の生徒じゃないの?」

「残念ながら」

 しえあがひょいと肩を竦めた。

「うふうふ。画像と動画でしか出回っていない生の鮎川儷本人と接触できる大チャンスを逃したら美形保存グループ主催の名が廃る。握手会の会場がわからないし、参加者も口外しないから一計を案じてみた。鮎川儷好みのドレスコードを守らないと参加できないという服装指定をSNSで流したの。あとは学園の敷地を歩き回って、ミニスカ集団を目印に後ろをついていけばいい」

 それでみんなミニスカニーソ姿だったのか。

 年齢や体格や顔の造形を問わず同じ恰好をしているのが不自然だと思っていた。

「美少年・鮎川儷は全国――いや全世界規模の有名人で、その筋で知らない者はいないし、芸能事務所からのスカウト交渉も続いてる。けどレイの実家が障壁になってるのと、本人にもその気がないのが厄介なところ。レイさえ了承すれば即時人気芸能人なのに」

「顔だけでやっていけるほど甘い世界じゃないでしょ?」

 このナルシストに高い価値があると言われても納得できず、理闘は口唇を尖らせた。

「ロン毛だし、不愛想だし語彙が少ないし笑いもしないし、ファンサービスどころか歌や芝居もできないわよ?」

「美形には莫大な需要があるんだヨ。容姿が整っているのは特別な才能だもん。鮎川儷の握手会に警護をつけないなんて無防備すぎるゾ、マネージャーさん」

 しえあにびしっと指をさされ、理闘は固まった。自分が鮎川儷のマネージャーだと認識されている現実に衝撃を受けた。成行で関わっただけの赤の他人なのに。

「そこまで……? このナルシストが……?」

 理闘は呆れ気味に鮎川儷の顔を見上げた。自分が話題にされていることに頓着しない相変わらずの無表情だった。

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