最終話
本局の応援が到着するまでに一週間と半日がかかった。
大量の申請書と証拠品の積み重ねでようやく実現したガサ入れは、始まるや否や嵐のような勢いでフェリシダ教会を丸裸にした。
坑道跡の隠し部屋から麻薬精製施設、ケシ畑、市井の協力者に至るまで。人、物、金はもちろん、書類の一枚さえ余すことなく押収していく。正直、盗賊の方がまだ礼儀正しいと思えるくらいだった。
というか、えらく大所帯だなと思ったら、徴税官や異端審問局まで引き連れていた。サーラスが生きていればやっぱりと憤ったことだろう。色々御託を並べていたが、とどのつまりはやはり異端潰しじゃないか、と。
まぁすみませんとしか言いようがない。自分達はいつでも人手不足なのだから。借りられる手は全て借りないとやっていけない。何せ、百年前の〈勇者〉まで引っ張り出しているのだ。人繰りの厳しさには定評がある。
教会手前の広場には、天幕が張られていた。炎天下の中、制服姿の役人達が作業を進めている。取り調べを受けているのは生き残りの侍者だろうか。脇には現在進行形で証拠品が積み上げられている。
もはやミゲルに声をかける者はいない。最初の一日こそ根掘り葉掘り訊かれたものの、今となっては完全に蚊帳の外だった。ヘロニモ卿の護送も別の者が請け負っている。おまえは早く次の任地に行けと言わんばかりだった。
(十人は殺したんだけどな)
誰も責めない。
責めている余裕などない。
溜息を一つ、抜けるような青空の下、踵を返す。繁華街に続く下り坂に向かっていくと人混みが見えた。巡礼者は閉め出されているはずだから、町の人か? いや、でもあんなところで何をしているのだろう。
首を傾げていると「あ」という声が聞こえた。
見覚えのある少女が手を上げてくる。亜麻色の髪、すっと通った目鼻立ち、綺麗な瑠璃色の瞳。
アリアドナだった。
「ミゲルさ!」
息せき切って駆けてくる。その姿を中年の夫婦が心配そうに見守っていた。
「やぁ」
「全然会えねがったがら心配してだんだ! お役人様達は、大丈夫だって言ってだげど」
「おかげさまでピンピンしているよ。ディアも無事だ」
「怪我は? もうええのが?」
「怪我?」
「胸の……ミゲルさが急にオラの刀突ぎ刺して」
「なんだいそれ」
胴着のボタンを外して胸元をくつろげる。無傷の肌に、アリアドナの眉根が寄った。訝しげにのぞきこんでくる。
「おがしいな、確がに刺したで思ってだんだげど」
「色々あったから、記憶が混乱しているんじゃないかな。あの時はもう本当にだめかと思ったからね」
んんん、と首を傾げられる。だが目の前の光景には抗えないのだろう。諦め気味に視線を落とした。
「確がに、なんか変だものな。ミゲルさが自分を傷づげるわげもねぇし、そのあどオラ気失ったのも変だし、で、気がづいだら全部終わってだのも。なんか夢でも見でだのがな」
「あそこの役人達からは話を聞いたんだろう? あのあと何があったのか」
アリアドナはうなずいた。
「間一髪のところで応援の人達が踏みこんだって。司祭様つかまえでオラ達助げ出してぐれだって」
「じゃあ、そういうことだよ」
「そんなごどなのが」
「うん。運がよかったよね、本当に」
ところで、とミゲルは背後の中年夫婦を見やった。
「あの人達は? 知り合いかい?」
目が合った。人のよい、実直そうな面持ちだ。肩を寄せ合い様子をうかがっている。「ああ」とアリアドナが声を上げた。
「叔父さ、叔母さだ」
「え?」
「トロ村の、オラが世話になってる」
今度はこちらが意表を突かれる番だった。じゃあつまり、あの集団は、
「ひょっとして、村の人達か? みんな無事だったのか?」
「んだ」
アリアドナは嬉しそうにうなずいた。
「麓の森の、ケシ畑で働がせられでだんだ。見張りが寝だどごろに、お役人様が踏みごんでぎで助げでもらえだって」
「そう……か」
てっきりロレンソに始末されているものと思っていた。〈聖勇者〉の秘密を守るために口封じされたものと。
だがアリアドナは花が咲くように笑った。
「ミゲルさの言った通りだった。大丈夫だって、皆、無事でいるって。おぎに、そう言ってもらえだがらオラは諦めずにいられだ。皆助げようって頑張り続げられだ。全部ミゲルさのおがげだ」
「僕は」
そこまで考えていない。口先三寸で彼女の尻を叩いただけだ。だが彼女の目は宝石のように輝いていて、水を差すのは憚られた。
だから口元を緩める。シンプルに、静かに、淡々と、
「公務員だからね」
と答える。
「公僕だから、市民を助けるのは当然さ」
アリアドナはよく分かっていないという風にまばたきして、背後の叔父叔母を振り返った。
「なぁ、ミゲルさはこのあど時間あるが?」
「ん? なんで?」
「村の皆、お礼してぇつってんだ。自分達、助げでぐれだ認定官様をきぢんともでなしてぇって」
「へぇ?」
「で、よげればこのあどトロ村さ一緒に来ねぇが?」
予想外の誘いだった。この仕事を続けてかなりになるが、疎まれこそすれ感謝されることはなかなかない。正直嬉しい。是非同行させてもらえればと思ったが、
「申し訳ないけど、もう出発しないといけないんだ」
「え」
アリアドナの顔が曇る。
「そうなのが?」
「うん。仕事が溜まっていてね。明日の朝には別の町についていないといけないんだ。だからここでお別れだ。あとのことは残る役人達に任せてある。困ったら彼らを頼ればいいから」
「ん……」
「もう〈勇者〉なんてものには関わらないように。僕が言えるのはそれだけだ。ああ、あと、雨の中では無闇に走らないようにね」
「分がってら」
むくれ顔が朱に染まる。一瞬置いて、彼女はこれまでの感謝を総括するように居住まいを正した。ぺこりと一礼した後、少しうかがうような眼差しになる。
「なぁミゲルさ」
「ん?」
「オラの勘違いがもしれねぇげど。ミゲルさ、あの時、自分が〈勇者〉様みだいなごど言ってながったが?」
「……」
「伝説の〈勇者〉で、今もお役目を果だしてるって」
「まさか」
ミゲルは破顔した。心底、面白い冗談を言われたような顔で、
「僕の仕事は〈勇者〉を探すことだよ。〈魔王〉を倒したり世界を救ったりなんてことは、悪いけど別の人にお願いしたいね」
二度はご免だ。
その言葉を、ミゲルは口の中だけで転がした。
* * *
町外れに着くと、そこにはもうディアが待っていた。
大きな荷物を背中に乗せて、肩ひもを握りしめている。二つ結びにした髪がぴょこぴょこ揺れていた。彼女はこちらを認めると伸び上がって手を振ってきた。
「ミゲル様」
片手を上げながら近づく。
「悪いね。少し後処理に時間を取られていたんだ。待ったかい?」
「いえいえ、全然待っていませんよ! まさに今来たところです!」
ふぅん。
「ちなみにいつからここにいるんだい」
「三時間、いえ四時間くらい前ですね!」
嘆息して彼女を追い抜く。ディアが続くのを確認しながら、ミゲルは片眉をもたげた。
「君はね、もう少し自然な言動というのを身につけた方がいいよ。周りの人が変に思う」
「自然。はぁ、そうなっていませんか」
「普通待ち人が来なければ、一度引き揚げて様子を見るものだよ。同じ場所に何時間も立ってたりはしない。あと四時間はすぐ前と言わない」
ディアは不思議なものでも見るように首を傾げてきた。
「よく分かりませんねぇ」
「分からないかい」
「はい、だってディアはいつもミゲル様のお役に立つことだけを考えていますから。自然とか不自然とか、周りの人がどう思うとか、本当に分からないんです。今だって万が一、ミゲル様をお待たせしたら大変だと思ったから。本当はもっと早めに来たかったんですけど」
なんという健気さ、甲斐甲斐しさだろう。
第三者が聞いていれば、あまりの献身っぷりに涙したはずだ。だが、今の言葉の意味をミゲルは嫌というほど理解している。結局、彼女の行動を縛るのは、自分達が施した〈制約〉のみなのだ。『ミゲルを守れ』と指示されたから守る、『従え』と決められたから従う。思考も、価値観も、行動も、何もかもがその〈制約〉からしか生まれない。だから『自然に』なんて言葉が通じるわけもない。
今更の話か。
百年かかってまだ人間同士の関係を求めるとか、自分も大概度しがたい。
苦笑をどうとらえたのか、ディアが横顔をのぞきこんできた。
「ミゲル様ぁ? ディア、何か変なこと言いました?」
「いや、君は正しいよ。結局、それが君の自然ってことなんだね」
「はい? あー、はいっ」
曇り一つない笑顔でうなずいてくる。
群青色の空が頭上に広がっている。乾いた風が山道を吹き抜けていく。平穏極まりない景色は、だがほんの一瞬で消し飛ぶものだ。何かの間違いで彼女が解き放たれたら。自分達の〈制約〉が弾けたら。
地獄があふれる。
あの坑道の惨劇を、何万倍にもしたような破壊が現出する。
ボタンを外して胸元をくつろげる。施された延命機構の影響だろう、傷痕はない。だがそこに描かれた〈刻印〉はわずかに薄らいでいた。解放と封印の繰り返しが〈制約〉の力を弱めている。ただでさえ有限の魔力が、無茶な操作で失われていた。寿命も少なからず縮んだはずだ。
「ディア」
何気なしに呼びかける。視線を彼方にやりながら、
「はい?」
「悪いね。君が元の姿を取り戻すまで、僕は生きていられないかもしれない」
復讐の機会は与えられない、彼女の始末をつけるのは別の人間かも、そう告げたつもりだったが、
「大丈夫ですよぉ」
邪気のない笑顔が返ってきた。
愛くるしい、見る者全てを魅了するような表情で、
彼女は、〈魔王〉は言った。
「あなたが力尽きる前に、ちゃんとディアが殺して、バラバラにして、喰らい尽くしてあげますから」
* * *
かくして勇者認定官ミゲルの旅は続く。次なる災厄を防ぐ目処は――まだない。




