第8話
祭祀自体はそれから一時間ほどで終わった。
最初の騒ぎを除けば、ほぼ教科書通りのスタンダードな進行だった。司祭の言葉、聖歌斉唱、祈り、聖典の朗読、そしてまた聖歌。
事前に聞いていた通り、〈聖勇者〉は文字が読めないようで、儀式の大部分はサーラスが取り仕切っていた。それでも文句が出なかったのは序盤の出来事があったからだろう。気づけば参列者全員が(あの隣村の祭司達でさえ)真摯に祈りをささげていた。
予想外だったのは、儀式中に〈聖勇者〉が追加の奇跡を執り行わなかったことだ。てっきり癒やしの業が大盤振る舞いされるものと思っていたので、少し肩すかしだった。果たしてこれで終わりなのか、神の福音とはこの程度のものかと考えていると、侍者が声を張り上げた。
「聖餐の儀をご希望の方は、聖堂右手の翼廊にお並びください」
巡礼者の三分の一ほどがざわざわと動き始める。特に怪我人や病人と思しき者が目の色を変えていた。
ああ、なるほど。つまり奇跡の本番はこのあとらしい。
あとに続くべきか、それとも遠巻きに様子をうかがうか、迷うように顎をなでた途端、傍らのディアが立ち上がった。
「すごかったですね! すごかったですね!」
興奮で頬が赤くなっている。団栗眼がきらきらと輝いていた。
「神様の声なんて初めて聞きました! 本当にいるんですね、びっくりです!」
「……君は本当に素直だね、人生楽しいだろう」
「はい! 毎日が幸せです!」
皮肉も通じないのか。げんなりした表情を見て取ったのか、ディアは「あれれ」と首を傾げた。
「ミゲル様は感動しなかったんですか。あんなに素敵な儀式だったのに」
「いや、すごいとは思うけどね。ちょっと演出過剰かなと」
「えんしゅつかじょー?」
振り向きながら背後の高窓を示す。
「あの採光窓だけどね、目隠しが動くようになっている。多分、角度を調整して明かりの向きを変えられるんだ。で、シルクみたいに光沢のある服を目当ての人物に着せて、聖堂中央にたどりついたところで照らし出す。と、いきなりその人物が現れたように見えるわけだ。何もないところから忽然とね」
「え? それって、まさか」
「うん、〈聖勇者〉様の登場シーンだよ。あれは照明担当とサーラスがタイミングを図ってやったんだ」
そもそも事前に近隣町村の祭司達を見つけていたのなら、入場を拒否してもよかったわけだ。あえて中に入れさせて、挑発して、絶妙のタイミングで〈聖勇者〉にやりこめさせた。これを演出過剰と言わずしてなんと言う。
「最後の奇跡だって妙だよ。仮に〈聖具〉が本物だとして、相手の病気や怪我の具合はどうやって知ったんだい? 骨折と風邪じゃ施す術も違うだろう。なのになんの迷いもなく奇跡を振るって、ほら、元通りと来たもんだ。明らかに仕込みだろう。サクラを忍ばせて台本通り喋らせたとしか思えない」
「ミゲル様ぁ」
ディアがやや鼻白んだ様子になる。眉尻を下げて、
「そんな風に、なんでもかんでも疑って疲れません?」
「君も王国の公務員なんだから、もう少し警戒してかかりなよ。実際どうだい。最小限の奇跡を見せただけで、次のイベントは満員御礼じゃないか。多分、今度はそれなりの金を取るんじゃないかな。寄付か寄進か、名目は分からないけどさ」
「んー」
斜に構えた見方が気に入らないのか、ディアは下唇を突き出した。少し考え後に続ける。
「でもミゲル様、神様の声は聞こえましたよね?」
「ああ」
「あれはどんな仕掛けなんですか? それに〈聖勇者〉さんは本物の〈勇者〉でしたよね。傷を治したかどうかはともかく〈聖具〉は使ってましたし」
「まぁ」
それを言われると返しづらい。サーラスが商売上手なのと奇跡の存在は、別に矛盾しない。サクラ相手だからと言って、退魔の輝きが無効になるわけでもなかった。
もとよりこちらの目的は、彼らのシノギにケチを付けることではない。〈聖勇者〉がどの程度の実力なのか、伝説の〈勇者〉と同じ力を持っているか見極められればいいのだ。だとすれば今は予断を捨てて情報収集に専念するべきだろう。
「聖餐の儀とやらにも参加してみるか」
「え? いいんですか」
ディアの目が丸くなる。今までの逡巡はなんだったのかという顔で、
「相手に乗せられて、お金払うの嫌だーって感じだったじゃないですか」
「〈聖具〉適合者の監査なら経費で落ちるし、僕らの懐は痛まないよ。まぁ、額にもよるけどさ」
巡礼者の風体を見るに、それほど裕福そうには思えない。さすがに局長決裁の限度額は越えないだろう。
翼廊を見る。既に人口密度はかなりのものになっていた。早く並ばないとどんどん後ろに追いやられそうだ。
「行こう」
荷物を持ち上げて列の最後尾に向かう。前に並んでいたのは初老の女性と娘だった。多分親子なのだろう。足を引きずる女性を娘が支えている。目が合った拍子に会釈すると、女性の相好が緩んだ。
「あんた方はどこを悪くされましたかの」
言われてみれば、周りはどこかに不調を抱えた者ばかりだ。考えた末に「胸の病を抱えていまして」と答える。相手は「そうですか」と屈託なく微笑んだ。
「あたしは見ての通り、足を悪くしましての。もう治らないものと諦めていましたが、この子の夫が〈聖勇者〉様に助けていただきまして」
「え?」
娘がはにかんだようにうなずいた。
「私の主人は工房で働いていて、仕事中にひどい火傷を負ったんです。でも〈聖勇者〉様にご相談して、痛みを取っていただくことができて」
予想外の展開に息を呑む。逸る気持ちを抑えつつ訊ねた。
「じゃあ、聖餐の儀に立ち合われたことがあるんですか、あなたは」
「はい」
「どんな儀式だったんです?」
「簡単なものですよ。怪我の事情を話して、そのあとに清められたパンと果実酒をいただくんです。神の血と肉を分かち合うというお話で、一緒に祈りを捧げながら」
「それだけですか?」
「はい」
ほとんど洗礼の儀と同じだ。作法や道具立てにも珍しいものはない。それで傷や病が治る? ちょっと信じがたい。
「儀式は? この場で執り行われるんですか」
「いえ、別室に通されて、司祭様達の立ち会いの下、〈聖勇者〉様と向かい合う感じで」
「痛みはすぐ消えてなくなったんですか。その、祈りを捧げられたタイミングでとか」
「どうでしょう。よく覚えていなくて。儀式の途中からぼうっとしてしまって、気づいたら主人が『治った』と叫んでいて」
「ふぅむ」
相手の顔にわずかだが不審の色が過る。ちょっと根掘り葉掘り訊きすぎたか。頃合いと見て質問を切り上げる。
「ありがとうございます。ご母堂の足がよくなるといいですね」
「ええ、あなたも」
あとは実際に見てみるしかない。幸い、列は思ったより早く消化されていた。足音が響くのに合わせて翼廊奥のステンドガラスが近づいてくる。
ふっと見上げると、滑らかな壁面が迫っていた。
岩肌を磨き上げたのか、そう思って目を凝らすと、細かい五角形が無数に組み合わされてドームを構成している。いやに規則的な配列だ。計算して削りこまないとこうはならないだろう。素掘りの坑道跡ではないのか? いや、入り口のあたりはそれらしい無骨さも残っていた。だとすると聖堂に流用する時、一部をわざわざ造作し直したのか。ふむ、随分と手間のかかることをやっている。
つらつらと考えているうちに列の先頭にたどりついていた。年若い侍者が受付越しに会釈してくる。
「大変お待たせしました。こちらの書類にご相談内容を記入願います」
「はいはい」
名前や出身地を書きこみながら、料金表(とはもちろん書かれていない。お布施の目安的なタイトルだった)に目を走らせる。予想通り、なかなかよい金額だった。王都の兵士の月給並みだ。一瞬手が止まりかけたが、ここまで来たら乗りかかった船だ。覚悟を決めて書類を書き上げる。
提出。
「はい、こちらで結構です。では整理札をお渡ししますので、外でお待ちください。当日の予定は毎朝六時に、正門前の掲示板で発表します」
……ん?
違和感を覚えて侍者を見返す。ディアが肩越しにのぞきこんできた。こくりと首を傾げながら、
「あのー、このあとすぐ儀式が始まるんじゃないんですかー?」
「〈聖勇者〉様の力にも限りがありますので」
侍者の笑みは朗らかだった。
「一日の面会は十名程度になっております。昨日までのお申しこみも含めて、毎朝、厳正な抽選で儀式の参加者を決めさせていただきます」
嫌な予感がした。番号札を握りしめて、やや上目遣いに訊ねる。
「ちなみに皆、平均でどのくらい待つのかな?」
「おおよそ一ヶ月ですね」
ミゲルとディアは顔を見合わせた。




