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一人きりになると、自分の身に起こったことがまるで夢のように思われて、シルヴィはこれが現実なのか否か分からなくなってしまった。何だか視界がぐるぐる回っている気がした。


シルヴィは深呼吸を繰り返し、そうすることで自分の精神を落ち着かせようと努めたものの、服を脱いだ場所まで情けなくも犬のようによつんばいになって進んだ。もちろんシルヴィとてちゃんと歩いて移動したかったが、どうしても体に力が入らなかったのだ。


ようやく目的地に到着した後で、シルヴィは座ったままの姿勢で服を手に取った。手が震えたせいで服をつまんで引き寄せることさえ苦労した。手にうまく力が入らなくて、何度か服がシルヴィの手から逃げるようにこぼれ落ちた。それでも何とか上着をはおり、乗馬用のキュロットや靴下を穿き、最後にブーツに足を通した。


ニコラスを待たせていることもあり、服を着るくらい、シルヴィとしてもさっさとすませたかったのだが、あいにくたっぷり時間を使ってしまった。


だが、そのおかげで彼女の呼吸や体温もようやく平常に戻った。


シルヴィは立ち上がり、ニコラスが待っている場所へと足を進めた。その間にも、これから彼の前でどんな顔をすればいいのかを考えると右も左も分からなくなって、急に心細くなった。


ニコラスは馬を繋いだ木にもたれた状態で立っていた。何か考え事でもしているのか、腕を組んでいる。


シルヴィがゆっくりと一歩ずつ彼との距離を縮めると、シルヴィに気づいたニコラスは木から体を離し、優しくもどこか照れくさそうな笑みを浮かべ、彼のほうもシルヴィのほうへ歩き出した。


自分も彼のように微笑みたいのに、シルヴィはやはり恥ずかしくて、思わず顔を伏せてしまった。


ニコラスの大きな手がそんな自分の頬に触れた。シルヴィはそのまま上を向かされた。


再びニコラスにくちづけられ、その後でぎゅっときつく抱きしめられたから、彼の腕の中にいる現実に感極まり、シルヴィ本人も知らないうちに涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。


「シルヴィ!? 何で泣いてるんだ!?」


シルヴィ本人にも分からなかったし、泣いているなんて何だか気恥ずかしくて、シルヴィは


「泣いてないっ……!!」


と慌てて涙を拭いながら彼に背を向けた。


ニコラスは


「意地っ張り」


と噴き出した。


ニコラスの楽しそうな笑い声に、シルヴィは口を尖らせた。


「……どうせ、意地っ張りよ……」


いじけたような口調が子供っぽくて、こんな自分、自分でもかわいくない、と彼女は思った。


「ああ、そうだな」


ニコラスにもあっさりと肯定されてしまい、シルヴィの胸がずきっと痛んだ。発作でも起きたように胸が締めつけられて、彼女は我知らず両手で胸をぎゅっと押さえた。


やっぱり、私はかわいくない……。


けれどシルヴィにはどうしても他の女の子たちのようにかわいく振る舞うことなんてできなかった。


それを認めると余計に泣けてきて、シルヴィは肩を落として落ち込んだ。


すると、ふわりと空気が動いた。


シルヴィは気づくとニコラスに後ろから抱きしめられていた。


「でも、そういうところがかわいい」


「えっ………?」


ニコラスの言葉が意外で、自分の空耳かとも疑い、シルヴィは思わず振り向いた。


至近距離のニコラスと目が合い、どうしようかとおろおろしている間にもう一度キスをされ、シルヴィは飛び上がりそうになった。


ニコラスはシルヴィに微笑みかけながら、


「ナルフィ城に戻ったら、剣の手合わせをしよう」


と言った。


「え……?」


「俺を負かしてスヴェンに剣を教えてもらうんだろう?」


「い……いいの……? 私、剣をやめなくても、いいの……?」


シルヴィがそう尋ねると、ニコラスは心底不思議そうに目を瞬かせた。


「何で剣をやめるんだ?」


「だって、剣を使うなんて、全然女っぽくないじゃない!?」


「……………」


ニコラスは空を仰ぎながらあごに手をやり、何かを考えているようなしぐさをした。


「確かに、よく考えてみるとティティスでは一般的じゃないな。でも、前にお前が言ってたじゃないか、『強ければ強いほど、大切なものを守れる』って。俺もそう思うよ」


ニコラスが自分の意見に賛成してくれたことが何だか信じられなくて、シルヴィは目を見開いた。


「それに、剣を持たないお前なんて想像できない」


自分が剣を持つことをニコラスが肯定してくれたため、シルヴィの感情が昂ぶる。


「じゃあ、いいの……? 私、剣の練習をやめなくても、いいの……!?」


シルヴィが半ば叫ぶように詰め寄ると、ニコラスはあっさりと首を縦に振った。


「ああ。お前は剣を持っている時が一番輝いていると思うしな」


ニコラスが素の自分を、自分の考えを、全てを受け入れてくれたのが嬉しくて、シルヴィは感激のあまり言葉を失った。


シルヴィの信条は今まで師ロイク以外には理解されなかったから、彼女はずっと気を張って周囲に抵抗してきた。


常に張り詰めていた糸がぷつんと切れたのだろうか、緊張から解き放たれた安堵で、シルヴィは自分でも知らないうちに泣いた。あっという間に洪水のようにぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。


「ほら、泣くなよ」


ニコラスは優しさがにじむ口調でそう言って、シルヴィの頭を撫でた。シルヴィは逆に、泣いてもいいよ、と彼が言ってくれているような気がした。


いつもの勝気な自分が泣いてなどいないと言い返したかったが、次々に涙と嗚咽が込み上げてきたため、それはかなわなかった。


シルヴィは必死に泣きやもうとしたが、そうしようとすればするほど涙が溢れ出た。頬を伝い落ちるしずくを何度拭っても追いつかなかった。


ニコラスは苦笑しながらシルヴィの体を包み込むように抱きしめ、彼女が落ち着くまで何も言わずに待ってくれた。


密着しているせいで伝わってくるニコラスの体温や、時々自分の頭の頂点に落とされる優しいキスのおかげで、シルヴィはようやく、自分の気持ちと彼の気持ちが同じであることを心の底から素直に信じることができた。


彼への気持ちに気づいたその日以来ずっとシルヴィが抱えていた不安は、今は跡形もなく消え去ってしまった。


もう自分の気持ちを隠さなくていいのだ。忍ばなくてもいいのだ。


そう思うと、シルヴィの胸は喜びと安堵でいっぱいになり、彼女はここ最近無縁だった安心感に包まれた。


シルヴィの涙が枯れ、くせになったしゃっくり上げがようやく治まったのは、太陽がずいぶん西に傾き、空がオレンジ色に染め上げられた頃だった。暗くなり始めた東の空ではすでに一つ二つ明るい星が輝き始めていた。


初夏とはいえ、夕方に吹く風は冷たい。


「城へ帰ろう」


ニコラスがそう言って差し出した手を、シルヴィはためらわずに握った。そして彼はシルヴィの剣だこや傷がいくつもある手をぎゅっと握り返した。


そのことがたまらなく嬉しくて、シルヴィは大きくうなずきながら、恋人と繋いだ手に力を込めた。


このお話はニコラス視点の『誰ゆえに 乱れそめにし』(https://ncode.syosetu.com/n7401et/)と対になっています。


『フェーベ大陸の恋人たち』シリーズの話の流れとしては、『気難しい王子とそんな彼の婚約者』(イヴェット編)に続きます。

シルヴィとニコラスの今後は『こひぞつもりて』で扱っています。

(なお、以上の二つはムーンライトノベルズのほうで公開しています。)

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